71/ 戻れない日々

文字数 3,174文字

よぉ……

 おかえり、と疲れたようなか細い声。昨日、シュゼットと共に森の奥の館へ帰ると、夕食の準備で火起こしをしている豊が出迎えた。九月の夕方頃なんてまだ日が高く、明るい。太陽光を苦手とするヴァンパイアである彼が疲れるのも無理はない。




 この手の家事は、今はこの館を守る主であるシヴァ・ジャクリーヌの仕事だ。豊から事情を聞くと、そろそろ食事の支度を始めるべき時間だというのに姿が見えないという。自我というものを失ってしまったシヴァ・ジャクリーヌは、たまにこうして意味不明の徘徊をすることがある。
その捜索はシュゼットが自ら申し出て、白いセーラー服を着替えないまま森の奥へ消えていった。

なあ、豊
何だよ。……なんかあらたまってるな
豊さ、人間の島で会いたい人っていないのか?
いるわけねーだろ、そんなの
 別段、自嘲気味ということもなく。至極、真面目な顔で豊は呟いた。

第一、今さら俺の顔が見たい奴なんかいないだろうな。

……俺は、ろくなことしてこなかったし

 その、「ろくなこと」の内容を、俺は知っていた。それを教えてくれたのは豊の旧友で、豊の正体と生存を知りながら、合わせる顔がないと嘆いていた東さんだ。


 そう言った瞬間の豊の態度は、その話をしてくれた時の東さんと、少しばかりの違いさえなかった。そうして俺は、自分の過ちと愚かさを思い知らされたのだった。




キネ先輩は、じゅうぶん会いたそうにしてたけどな
 俺達が人間の島を出るために学校を去り、今、人間の島に戻るため学校にも戻った。そのどちらの場面においても、キネ先輩は豊を求めていた。

――会ったってどうしようもないんだよ。

俺は、あいつのために何もしてやれないんだから

 はーあ、と重苦しいため息を吐いて。豊は、後は任せた、と言い残して館に入った。
……だぁってさー
 そんな、いかにもふて腐れた一言にはっと正気に返る。無意識に遮断していた視界を戻すと、真正面にはマージャが、椅子の背もたれに顎を当てては離し、とやっている。こいつがこんな風に、うなだれた様子を見せるのは珍しい。
おまえだって、高校くらい卒業しておきたいだろ?
……は?
 意外すぎる言い分に、一瞬、理解が追いつかなかった。間抜けな一息が勝手に喉から絞り出される。

ほら、今後おまえがさ、

もし人間の島での普通の暮らしに戻りたいなーなんて思った時、

高校中退じゃ色々とまずいんだろ?

それはそうだけど、おまえの言ってた使命とやらは、

俺の都合を考慮していられるほど悠長なものなのか

いやいや、もちろんそんなこたぁないけどさー……

 後は、小声でぐちぐちやっているだけで、マージャの主張は俺に伝わってこない。そんな態度を見て、俺は思った。




 もしかして、こいつ、意外と優柔不断なんじゃないだろうか。自分の使命を果たすためにソースの力が必要だ、と訴えてはみたものの……それはおそらく、俺に人間の島での人生を捨てさせるほどのものなのだろう。だから、いざ決断が出来ずに、「まだその時じゃない」なんてごまかしてみたりして。


 いちクラスメイト、市野学としてのこいつのイメージは優等生だが話しやすい、隙のない奴だと感じていた。マージャとして本性を表しつつあるこいつの意外な一面に、不本意ながら俺は少しだけ微笑ましい思いがした。まだ、マージャの奴に心を許すつもりはないから、表面には出さないでおくが。




 下校間際のホームルームが終わると、俺は早速帰ろうと席を立った。いつもならこんなに帰宅を急いたりしないのだが、今日は特別だ。




 帰ったら豊に、東さんのことを伝えよう。そう決めた。それから豊がどう思い行動するかなんて、俺が判断するべきじゃなかったんだから。


 それに、今日はシュゼットがいない。どういうわけか五時限目終了後の休み時間で早退してしまった。言わずもがな、早退理由は訊いても答えてくれなかった。もうどうにでもなれ。




おーい、アーチ!
 せっかくの決意が水の泡、校門前でお気楽な調子で声をかけてきたのはマージャだった。さっきのしおらしさはどこへ行ったのやら。
学校内でその名前は出すなよ……

もしつっこまれたら、あーちゃんて言ったんだよー、

とでも言っときゃいいんだよ! 

そんなことよりさ

 だったら最初からしなければいいというつっこみが追いつかず、マージャが本題に入る。
おまえさ、まさか自分の姉さんを見捨てるつもりはないよな
当たり前だろ
 アネキは悪霊に取り憑かれているが、今はまだ手も足も出ない。キネ先輩からそう宣告されてから、もう数日が経ってしまった。

俺の見たところ、今夜あたりが潮時だろう。

動くなら今しかない。

その前に、とっておきの秘密を教えとくよ

とっておき、ねえ……

どれだけのもんだか怪しいね、おまえが言うとさ

信用ねーなぁ。ま、とっておきはとっておきだぜ。

全校生徒あーんど教師を含めて、知っているのはひと握り……

要するに俺とシュゼットと、ここにいた時はティアーとユイノもそうか

そーいう前振りはいいからさっさと言えって……

 校門前で男子生徒がふたり、帰るでもなく延々話し込んでいるのは、誰が気にするでもないだろうが居心地が悪い。




つれないなぁ。わーかったよ、ほれ
 ぼやきながら、マージャが投げてよこしたのは、手のひらサイズの小石だった。とても自然物とは思えない、きれいに楕円で、表面は滑らかで。そして、魔術式が刻まれている。

そいつをしっかり握って、

これから俺の指す方をじっくり見てみー

 いつの間にやら、下校する生徒達の波は一旦途切れているようで、校舎内に人は大勢いるだろうが校庭にいるのは俺とマージャだけになっていた。その中にあっては気兼ねすることもないだろう、マージャは「とっておきの秘密」に、人差し指を向けた。




 マージャの示す先にあったのは、巨大な石碑だった。……石碑?




 校門脇には、この学校の名前とならわしを簡潔に記した石碑がある。それは知っていた。だが、こじんまりとしたそれの三倍弱ほどの大きさはあろうかという、隣の、巨大な石碑。こんなものがここにあったっけ?


 おかしい。小さい方の石碑の存在を知っているのに、それより遙かに大きくて目立つ石碑に気がつかないなんて。いぶかしむ、なんてレベルでなく薄気味悪さを感じながら、俺はその巨大な石碑の前に立ち、そこに刻まれた文章に目を通す。


 気味が悪い、という感想は、驚愕によって塗り替えられた。

何だよこれ……嘘だろ?
いくら俺だってここまでたちの悪い嘘はつかねーよ
だって、こんなのありえないだろ……っ

 はいそうですか、と納得するには、不可能としか思えない事柄が多すぎる。




 まずは、言うまでもない。明るく人好きのする笑顔を振りまくキネ先輩は、今もこの学校に存在するじゃないか。


 仮にこの石碑に刻まれた事件が事実だとするなら、キネ先輩の存在をこの学校にいる誰ひとりとして疑わないのは何故なのか。こんな事件が自分の通う学校で

起こったのなら、いくら長い年月が経ったとしても未だ語りぐさにくらいはなるはずだ。そも、こんな石碑が校舎内に堂々と鎮座し、「綺音紫」と実名まで入っていて、誰も気がつかないなんてありえない。




 そして、それらは全て俺自身が気がつかなかったことでもある。こんな馬鹿でかい石碑に気がつかないわけがない、自分の通う学校で過去、こんな事件があったことを知らないわけがない。


 そして、何より信じられないのは……こんな死に方をした人が、もしもキネ先輩だとしたら。あんな風に何の陰りもなく笑えるはずが……。




 つまり、いくら考えたって。こんなこと、俺は信じたくなかった。そんな結論を察したのだろうか、マージャは残酷な説明を始めた。俺のすがっている要素を、ひとつひとつ、握り潰していくかのように。




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登場人物紹介

名前:高泉 敦(こういずみ あつし)

主人公。高校二年生。

ごく平凡な高校生のつもりで生きていたが、この世で最強の「無限に湧き続ける魔力」を持つことが判明。

人間に敵対的な魔物達から命を狙われるようになってしまった。


(敦のアイコンは、主人公=読者自身としても読めるように顔の見えない仕様にしました)


〇〇の色:不明

(〇〇←本編のネタバレにつき伏せています。

吹き出しの色と連動させたいので作者が忘れないようにするためにここに書いています)

名前:海月 涙(みつき なみだ)

高校三年生。敦の姉、円(まどか)の親友。


〇〇の色:不明

名前:長矢 豊(ながや ゆたか)

高校二年生。敦のクラスメイト。

昼間は眠たくなる体質とのことで、不真面目ではないが学校生活では怠惰になりがち。


〇〇の色:深緑

名前:市野 学(しの まなぶ)

高校二年生。敦のクラスメイト。噂好きで学校内の情報通。

成績優秀だがお調子者のムードメーカー。

目に障害がある? とのことで、分厚いゴーグルをかけている。


〇〇の色:水晶のように澄んだ、白混じりの紫

名前:綺音 紫(きね ゆかり)

高校三年生。敦は「キネ先輩」と呼ぶ。

豊と親しいらしい、大人びた先輩。


〇〇の色:紫

魔物名:ティアー

敦を守る側の魔物。狼少女で、秘密が多い?


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:不明

魔物名:ユイノ

敦を守る側の魔物


種族:ヴァンパイア

(変身能力があり、たまにアイコンが変わります。

別の登場人物と同じアイコンですが使い回しではなく、

彼が無意識に過去の知り合いをイメージして変身したせいです)


〇〇の色:深緑

魔物名:ヴァニッシュ

敦を守る側の魔物。物静かな青年。血縁ではないが、ティアーとは兄と妹のような関係。


種族:ワー・ウルフ


〇〇の色:銀色

名前:サクルド

敦に仕えると自称し、彼が望んだ時にしか姿を現せないらしい。

魔物達は基本的に敬語を使わないが、彼女だけは丁寧な話し口。


〇〇の色:新緑のように鮮やかなエメラルド・グリーン

名前:エリス

敦を守る側の魔物。知識豊富で戦闘は不得手だが、いざという時は戦う。


種族:エルフ


〇〇の色:青

名前:ライト

敦を守る側の魔物。仲間内では最も戦闘力に長ける。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ベル

敦を守る側の魔物達のリーダー。ちょっと意地悪? だけど、いざという時は最前線で指揮を執り、頼れる存在らしい。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:薄紫

名前:セレナート

エメラードの水源。


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:シュゼット

エメラードを監視する魔物。敦達に対して中立……と言いながら、要事には割と関わって助けてくれる。


種族:レッド・フェニックス


〇〇の色:赤

名前:トール

敦とは子供の頃に知り合いだったが、何故かエメラードで再会することに。


種族:ゴーレム


〇〇の色:茶色

名前:アッキー

トールをゴーレムとして作り上げた、アンデッド種族の研究者。


種族:パン


〇〇の色:不明

名前:フェイド

魔物なのかそうではないのかもわからない、謎の青年。

人間ではないことだけは、確か。


種族:不明


〇〇の色:黄金

名前:カリン (小笠原 楓)

アクアマリン同盟に属する、人間の魔術技師。


〇〇の色:赤紫。ワインレッド。

名前:春日居 梓(かすがい あずさ)

アクアマリン同盟に属する戦士。


種族:人間と魔物(ハーフ・キャット)の混血


〇〇の色:麦穂のような黄金(こがね)色

名前:江波 聖(えなみ ひじり)

アクアマリン同盟に属する戦士。人間でありながら魔物と対等に戦える実力を努力で培った。


〇〇の色:流水色

名前:唐馬 好(とうま このみ)

豊の伯父の、内縁の妻の娘。豊とは5歳くらいの年齢差。謎の言動が多い


〇〇の色:漆黒


大人になった好

名前:春日居 要(かすがい かなめ)

梓の養父で、アクアマリンに住む子供達を見守ってくれる。

代々、魔物の研究者の家系。


〇〇の色:不明

名前:ツヴァイク

アクアマリンを監視する魔物だが、梓達にとっては親しい友人。


種族:ブルー・フェニックス=フォボス


〇〇の色:青

名前:不明

両フェニックスに仕えるキメラ。

(AI変換で作中の外見情報を再現しきれなかったので、このアイコンは「イメージです」ということでお読みください)


種族:ムシュフシュ


◯◯の色:不明

名前:高泉 円(こういずみ まどか)

高校三年生。敦の姉、涙の親友。


〇〇の色:不明

名前:ジャック

人間の島の森の奥で魔物達が生活する、「出張所」の管理人。


〇〇の色:不明

名前:オルン

エメラードの船が着く小さな砂浜に住む技術者。ベル達の協力者。


種族:ドワーフ


〇〇の色:不明

名前:ボーン

エメラードに住む、ベル達の協力者。エリス同様、知識を披露したがるタイプの魔術師。


種族:竜


〇〇の色:白

魔物名:シヴァ・ジャクリーヌ

敦と敵対した魔物


種族:ホムンクルス


〇〇の色:不明

名前:ナウル

エメラードに住む魔物。敦達に対して中立。


種族:ハーピー


〇〇の色:桃色混じりの明るい茶色

名前:ディーヴ

敦と敵対した魔物。大量の虫を使役する。


種族:鳥精霊と人間の混血


〇〇の色:不明

名前:サリーシャ

敦と敵対した魔物。


種族:ブラック・アニス


〇〇の色:蒼白

名前:東 浩一(あずま ひろかず)

豊の旧友だが、仲違いしたことを深く悔いている。


〇〇の色:不明

名前:環(たまき)

愛称はタマちゃん。ごく普通の居酒屋店主。

ユズちゃんの兄。


〇〇の色:不明

名前:穣(ゆずる)

愛称はユズちゃん。動物と遊ぶのが好きな、ごく普通の小学生。

タマちゃんの弟。


〇〇の色:不明

名前:キリー

ライトの末の娘。


種族:タイタン


〇〇の色:紫混じりの黒

名前:ハイリア

アクアマリン同盟・盟主。全身に目玉を持つ。


種族:タイタン族の亜種


〇〇の色:不明

名前:セリオール

アクアマリンの水源


種族:ウンディーネ


〇〇の色:常に多様に変化していて、一定ではない

名前:カンナ

ベルの古い友人


〇〇の色:赤錆色


名前:長矢 実(ながや みのる)

豊の伯父。内縁の妻とその娘と暮らす。料理人。


〇〇の色:不明


名前:長矢 恵(ながや めぐみ)

豊の母。


〇〇の色:不明

名前:岬 結人(みさき ゆうと)

生き物の価値基準は全て「血のにおい」で判断する。典型的なヴァンパイア思想で生きている。


種族:ヴァンパイア


〇〇の色:深緑

名前:式竜

源泉竜直属の竜で、最も重要な使命を与えられた。


種族:竜


〇〇の色:深緑

名前:支竜

源泉竜直属の竜。式竜の使命を補佐させるために作られた。


種族:竜


〇〇の色:麦穂のような黄金色

名前:小竜

源泉竜直属で、源泉竜の憧れを叶えるために意図的に弱く作られた竜。


種族:竜


〇〇の色:不明

名前:巨竜

巨神竜直属の竜だが、勅命を受けて源泉竜領地にいた。


種族:竜


〇〇の色:山吹色

アイコン差分

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せっかく登録されてるのでこの公式アイコン、使ってみたかった。使える場面があって良かった。

作者。あとがき書くかもしれないのでアイコン登録しておきます。

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