51/ 惜別の情
文字数 3,210文字
俺はうつぶせに倒れ、背中に巨人族のライトが尻を落ち着かせている。たくましい筋肉を備えている彼の重量は凶器だ。
やれやれ、とごちてライトがどいてくれるが、すぐに立ち上がれない俺に痺れを切らせたのか、俺の両肩をひっつかんで無理やりに立たせる。
午前中は、ツリーハウス前の広場でライトによる体術の訓練。一応の見張りとしてヴァニッシュが控える傍らで、ただ今、その真っ最中である。当然ながら、
生まれ持った戦闘能力としては竜に次ぐという巨人族を相手に、人間が体術だけで太刀打ち出来るはずもない。ライトは俺にも勝ちの目が見えるくらいには、い
つだって手を抜いてくれている。それでも俺はこんな有様なのだが、ライトの叱責はそういうことじゃないだろう。
ティアーに告白した翌日、俺はライトの特訓の最中、左足を軽く捻挫してしまった。そのケガが一段落して、今日からやっと特訓が再開したというのにまたこんな調子。注意散漫にでもなってるんじゃないか。要するにそう言いたいんだろう。
少しばかり不満を表しても、すぐに態度を切り替えてくれるのはライトのいいところだと思う。
来客って誰だろう、と訊こうとしたところで、関心が他に移った。ただでさえ寡黙なヴァニッシュだが、それにしたってやけに静かだなー、と思っていたら。彼らしくなく居眠りをしていた。
上空に小さな人影が見えた。音もなく、挨拶もなく、静かにツリーハウスの上に降り立ったのは、フェニックスのシュゼットだった。
ますますわけがわからないが、俺の客と言われるくらいだし、行けばわかるだろう。ライトに特訓の礼を述べて、俺はツリーハウスへ急いだ。
小屋の屋根に立つシュゼットが、小屋の戸の前に立つエリスへ伝える。
目で姿を確認しなくても、俺が到着しているとわかっているらしい。魔物は魔力でお互いの位置を捕捉してしまうとかで、いつだってこんな反応である。
エリスはひとっ跳びで小屋の屋根に降り立つ。彼女が跳ぶ時は、地面に水面の波紋がかすかに広がっているのが常だ。
人間の島にいたティアー達と、そこから遠く離れたエメラードにいるエリス達はどう連絡を取っていたんだろう、というのはかねてからの疑問だった。フェナサイトとアクアマリンであれば郵便の制度が設けられているが、船でさえ三十日に一便しかないエメラードにはそれがない。
その答えは、小屋の屋根に描かれた、伝達用の魔術式だった。日中、屋根の上は日当たりが良くて太陽光由来の魔力が蓄積する。そのおかげで大掛かりの魔術でもそこに式を描けば使えるらしい。
も、意外とすっきりとした風だった。ベルを叩き起こすくらい深刻な問題で、本人もそれをわかっている、ということだろうか。
無言でこちらへ戻ってきたエリスに、訊ねる。
――端的に言うと、ジャックはもう長くない。
人間の医者の診断でそう断言されたらしいわ。
だからベルはジャックを殺しに行くのよ。
ジャックは死後、ヴァンパイアになることを望んでいないから、
それを防ぐための儀式をしに、ね
ああ、知らないのね。
ジャックはベルの息子よ。
儀式は誰でも、方法さえ知っていれば人間だって出来る。
けれど、彼をダムピールとして産み落としたのはベルの責任だから。
彼がヴァンパイアになりたくないというのなら、
ベルがその手を汚す儀式を担うのが自然でしょう
ジャックさんが、かつての豊と同じダムピールだったなんて、それさえ俺は今知ったのだ。だから森の奥、魔物の館で一人で暮らしていたのだろうか。……自分の死後、人間に害をなさないように?
ジャックさんとベルが親子なんて、それこそ考えもしなかった。外見上、ジャックさんはお爺さんでベルはそれより遥かに若い。魔物の外見と年齢は関係がないとわかっていても、どうやら俺は未だ、そこのところなじんでいないようだ。
ヴァンパイアは肉体を変化させる能力に長けている。
鳥になってフェナサイトまで飛んでいくの。
肉体的な疲弊は相当なものでしょうね。
帰りは船で戻るだろうけど、
それなりに機嫌を損ねているだろうから
あまり刺激しないようにね
ラルヴァというのは、人間の言うところの悪霊のこと。
人間が故人を惜しみ悲しみに暮れるのが悪いとは言わないけれど、
その想いが強すぎると、魂だけがこの世界に縛られて転生を出来なくしてしまう。
最初から悪霊となるわけじゃないけれど、生前どんなに善良な人間だったとしても、
誰とも触れ合えず魂だけでさまようというのは自然と心をすさませてしまうものよ