54/ 550年前
文字数 3,151文字
その頃はまともな船なんざなかったもんで、
島を出るには手間暇かけて、強~い海の生き物を手なずけたのさ。
アクアマリンかフェナサイトか、どっちかの島に着くまで
ひとり乗せて泳いでもへばらないくらいのガタイのいい奴をな
そうさなぁ……当時のアクアマリンは荒くれの魔物の溜まり場で、
奴らは気まぐれにフェナサイトへ集団で赴いて悪さをしては帰ってくる、
人間にとっては暗黒そのもので平和なんて夢想だにしない世の中だったぞ。
ただ、エメラードにいる分にはその限りじゃあなかった
……でも、今の人間の世の平和なのは、そんな時代の積み重ねの結果なのだろう。俺達が何かしたわけじゃないのに、過去の人達の死にもの狂いの戦いが、俺達に安息の島を与えてくれた。その戦いの頂点にあったのが、セレナートが今も大事に守っている遺体の女性がソースとして生きた時代――だったかな、確か。
おいらもな、適度に刺激のある場所にいたいと思っただけだから、
とりあえずエメラードを出てアクアマリンにでも行こうか。
そう思っただけだったのさ。
ところが潮の流れの読みを間違えて、
たどり着いたのがフェナサイトだった……
おい敦、それ、貸してみ
船の中からアクアマリンを見て、とりあえず驚かされたのは、港の風景が人間の島のそれと全く変わりなかったところだ。船着き場はコンクリートで固められ、建ち並んだ大きな倉庫。対してエメラードは、ちっぽけなほったて小屋がひとつあっただけ、ひたすらに重苦しい大森林の影に迎えられた。
そう、家さ。どんな貧しい人間だって、
何かしら住処を持って暮らしてた。
穴を掘ったり木の上だったり元からある洞窟を占拠したり、
魔物の寝床は適当なもんだ。
人間は木を組んだり石を並べたり、
少しでも頑丈になるようきちんと設計した家を建てた。
元の肉体が貧弱な人間だから、
雨風から体を守るために家が必要だったんだろう。
今みたいに立派な機械のある時代じゃない、
ひとりの家を建てるのに集落の仲間は協力し合うんだ。
資材を組み立てるのに、おいらの腕力は異様にありがたがれたんで、
いい気分になってフェナサイト中を回り、各地の建築現場の手助けをしたんだ
思えばあの頃が、これまでの生涯で最も充実していた。
何せ、他の魔物が見向きもしない建築という技術を、
ひとり占めにしているような心地でいられたんだ。
それに建築自体がおいらには楽しいものだった。
おいらには必ずしも家なんざ必要じゃなかったんだが、
今の人間がパズルのおもちゃで遊ぶような感覚かね。
そこそこの風雨や災害に耐えるよう、少しでも強い家を作るんだ、
っていう計画や組み立てそのものが娯楽だったのさ
それ以上に、あの頃のおいらには恐れるものなんか何もなかった。
まだ若かったから寿命はたっぷり、
巨人族に生まれたわが身には災害も他の魔物も怖くない。
おまけに自分の生きがいまで見つけちまって、
こんな風に充実した毎日が死ぬまで続くもんだと信じて疑わなかったんだ
こういう振りをしたら、わかるだろう?
そもそもおいらはあの頃と同じ暮らしはしていないしな。
そういう日々は長くは続かなかった、ってやつさ。
こいつ ――いずみと、奴の連れていたひとりの女が、
無知で怖いもの知らずだったおいらの、最初の終着点だった。
もちろん、その時のおいらはそんなことに気がついていやしなかったけどな。
今にして思えばってことだな
フェナサイトのどこだったか、
具体的には覚えちゃいないが、
確か北の方だったかな。
各地で人間の手助けをしてる巨人、
エメラードからはるばるやって来た無害な魔物がいるって噂を聞きつけたとかで、
いずみはおいらを探し当てて話し掛けてきたんだ
ぱっと見の印象、いずみは取り立てて特徴のないごく普通の小僧だった。
資産家でもなさそうだし、あえぐほどの貧窮にあるわけでもなさそうな。
そんな奴が何の用かって思ったらな、
エメラードへ行きたいっつう相談だった。
いわく、魔物の扱う魔術の知識に関心があって、
その勉強をしたいって言うんだ。
その目的がいけなかった。
あの頃のおいらは人間の建築についての勉強が楽しくて仕方がなかったから、
いずみの言い分につい共感しちまったのさ。
それが表向きのことであって、
本心からの目的は別のところにあるんだってことを疑いもせずに
そう。奴はひとりじゃなくて、眠れるお嬢さんを連れてた。
何でも、よくわからん魔術をかけられた結果、
生きたまま深い眠りに落ちたきり目覚めなくなってしまったんだとさ。
彼女にかけられた魔術を解くことが第一の目標だ、って言われておいらは納得した