94/ ボーン
文字数 4,483文字
エメラードの大森林には、タイタンのライトが建てた家屋が点在している。神話時代から変わらない野生の暮らしにはそぐわないが、人間の島で建築を学んだライトの趣味と、自分の城としてまともな住居を構えるのも悪くないと考える魔物の知識人達の需要とが合致したらしい。
彼らが住処として選ぶ場所には、ある共通点がある。それは、日向が確保出来る場所である、ということだ。魔物は太陽光や月光を浴びて、魔力を回復する。鬱蒼と木々の茂り、重なり合う葉が天井のようになって地表に届く光を遮ってしまうエメラードにあって、わずかながら存在する木々の切れ目。ツリーハウス前の広場もそうだが、ぽっかりと開けた広場にまあるい光の円が描かれる。
その小屋は、人間の島でも避暑地などでよく見かける、ログハウスだった。俺達の暮らすツリーハウスやトール達の住む石平原の小屋と比べると、これでも随分と手軽に見えてしまうのがおかしな話だ。腕力だけを頼りにひとりで建ててしまうのなら、どれにしたって人間業では不可能だということに変わりないのに。
ここは、そしてこの小屋の主は、他の魔物から襲撃されるおそれのない立場にあるのだろう。ツリーハウスのように戦闘時を想定した広い空間を確保されているわけでなく、光の広場は数人が横たわれば定員を超えてしまう程度の範囲でしかない。木の身長も低く、ログハウスの三角屋根が木々の葉に埋まっている。
出発地点からここまで大した距離ではなかったが、とりあえず何事もなく目的地にたどり着いて、俺はほっとひと息、胸をなで下ろした。高床式になっているログハウスの、これまた丸太で作った階段を上がる。俺の履いているのも木靴だから、こつこつと軽い音を立てる。上りきって扉に手をかけようとしたところで、扉の方が勝手に押し開き、ぶつかりそうになった体を半歩下げて避ける。
中に入らずとも、開ききった扉から中がうかがえた。彼はこちらに背を向けて座り、木製のイスとテーブルで何やら書き物をしているようだった。その小さな背中から突き出した、不釣り合いなまでに太い二本の骨が、扉を押し開けたのだ。骨格からして人間のそれとはおそらく違う生き物の、腕の部分と思われる骨が、わきわきと意思を感じさせる動きを見せる。
ぱたん、したためていた分厚いノートを閉じる音。左の骨の指先がちょいとノートをつまみ上げ、左側の壁にいくつか並んだ本棚の一角に納める。自身から生えた骨の大きさに対して小屋が小さすぎるのを自覚しているのだろう。用が片づくと、彼は二本の骨をコンパクトに畳んでから、地面に足を着き、こちらを振り返った。きょとんとした、どこか要領を得ないような黒い瞳と目が合い、ちょっと拍子抜けしてしまう。
生き生きと動く背中の骨に対し随分と力なく垂れ下がった細い腕がよくみえる、肩を出す形の黒いローブを身にまとっている。
「封滅の式」を使った以上、
その程度で済んだのが幸運だったと思うしかない。
あれは本来、自らの肉体を代償に相手を封じるのだから。
そもそも、そのように大それた力を、
タイタンひとり牽制するためだけに使うなど……
人間のごろつきのような真似をするからこうなるのだ
元より、あれの内に宿る式竜ユイノを限定解除し、
封滅の式を用いる術を教えたのはこの私だ。
ユイノが、レムレスを救う手段がどうしても必要だ、
などと頭を下げるのでね。
この手段が成功する可能性は、幾ばくもなかった。
結果的に、長矢豊は気力だけで式竜ユイノを押さえつけた
俺達の通った学校に巣くっていた、レムレスのキネ先輩。豊は彼女を助けたくて、しかし今はその手段がなかったから、彼女を封じて自らの手元に置くことにした。
君に伝えたかったのは、
あまりユイノに無茶をさせないで欲しいということだ。
今回が指先ならば、今後同じようなやり方を続ければどうなるか、
想像がつくだろう。
あれは、私が説いても話半分でしか聞こうとしない。
君から言って貰えれば、きっと肝に銘じるだろう
結論だけ知っても何のことだかわからない。こういう時は、その理由が長く長く語られる前振りであることが多い。
それしきのこと、私にとって大した関わりではない。
私の中にいる、結野を慕う幼い
一葉は、結野の生まれた同年、隣家に生まれた少年だ。
自然な成り行きで、彼らは幼なじみとして親しくしていたようだ。
一葉にとって、結野が、村中の人間から死ぬことを切望されているのが何よりの気がかりだった。
そこへ、まだ肉体を持たず黒い骨竜を追ってきた私と出会う。
一葉は、黒い骨竜と戦うために、その身に自ら私を招き入れた。
目の前の脅威を打ち倒せば、わずかばかりといえ、
結野の余生を伸ばすことが出来ると考えたのだろう
結果的に、私達は結野を救うことは出来なかった。
それとて、私にとってはどうでもいい。
人間の娘がひとり死んだ、それだけのこと。
ところが、今も彼女の無惨な最期と、
彼女を救えなかった自身の無力を嘆く一葉の意思が、
この身に宿っている。
この肉体の主導権を持ち、動かしているのは私だ。
にも関わらず、こんなにもちっぽけな幼い人間の心が、
今も私の行動を左右しているのだ……
人間とは、不可思議な生き物だな
二体のフェニックスが融合し、
疑似太陽に進化する時のことを言っているのだろう。
あの太陽に代わろうというのだ、
その熱量は彼らの意思で制御出来るものではないはずだ。
下手を打てば、少なくともこの海域一帯は吹き飛ぶだろうと言われている