第2章 第4話
文字数 2,206文字
時は流れー
春休みである。大好きな学友との新学期まで一週間もある。
新学期生活に夢を膨らませながら帰宅の途を辿っていると、地元の中学校の校庭の騒々しさにふとに目が吸い寄せられる。
見つけた!
間違いない。トラだ。赤いロン毛にガッチリした体格。今も野太い声を出してチームメートに指示を出している。
あかねはサッカーのことは良く知らない。父親が昔ラグビーをしていて、たまに一緒に国立競技場に大学ラグビーを観に行っていたが、かと言ってラグビーにも興味は無かった。それよりもプレー中に頭を強打し失神した選手に、父曰く
「魔法の水」
をかけると摩訶不思議なことに、皆スクッと起き上がるのが印象的だった。
「お父さん、あのお水はどんな成分なの? お寺か神社で清められているとか?」
「はは、フツーの水だよ」
優しく頭を撫でながら可笑しそうに父は呟く。でもそれは絶対ウソだ! だってあんなにすぐに立ち上がれる筈ないもん。
あかねはいつかあの「魔法の水」の正体を突き止めてやろう、そんな事を考えながら観戦していたのだった。
そんな出来事をつい思い出し、一人含み笑いをしていると、
「テメー、どこのガッコだよ?」
と言って、見るからに頭の悪そうな女子が三名近づいてくる。
「慶王女子だけど。それが何か?」
二人はポカンと口を開けて何それ、と呟くのだが、一人は目を怒らせあかねに食ってかかる。
「て、てめえ… で、何スパイしてんだコラ!」
彼女の言葉が全く理解できなかった。あれ、頭悪いのはひょっとして私?
「あなたが何を言っているのかさっぱり分からないわ。まるで中華料理店でフォアグラのテリーヌをオーダーされた店主の気持ちがするのだけれども。」
茶髪の女子が呆然としてしまう。
「それとも羽田空港で新幹線のグリーン車の予約をされるカウンターの人の気持ちと言えば分かりやすいかしら。それよりもあなた達、あの赤毛の人はひょっとして「トラ」と呼ばれる人ではなくて?」
三人は唖然としながら首を縦に振る。
やはりそうだ。彼がトラなんだ。
父との約束を果たさなければならない。彼にあの時のお礼を言わなければならない。でないと彼は……
トラの行く末を案じているうちに気がつくと両手を掴まれ、あかねはその学校のグランドに連れ込まれていた。
丁度練習が終わり、背の高いがっしりした中年のコーチが生徒達にあれこれ話している。それが済むと茶髪の女子が、
「トラくーん。ちょっと来てーーー」
と叫ぶ。
トラのみならず、部員全員が何事かとこちらに歩いて来る。
地元の公立校らしく、皆不良っぽい。頭髪が黒い生徒は三人だけ。何人かは顔に傷があり、知らずあかねは足が震えている。
「コイツがさあ、トラくんのこと聞いてきたんだけどさあ。知ってんのコイツ?」
他の選手達が一斉にどよめく。口々に可愛いーだの可愛いだの超可愛いだの呟いている。それを無視して両手の縛を振り解き、あかねはトラの前にスタスタと歩いて行く。
「こんにちは。私の事覚えているわよね?」
トラは眼を細め、首を横に振る。
「は? 去年の夏に不覚ながらにも貴方に助けられた者ですが。まさかもう忘れたと言うのかしら? だとしたら貴方の記憶力は昆虫並みね。いえそれは昆虫に失礼だったかしら。」
何人かの生徒が吹き出す。こん虫ー、こんちゅう、何それウケるー
トラがああ思い出した、と言う顔になり、
「おおお、あん時の赤毛のアンか。元気だったか?」
全員の目が点になる。何事かと近寄ってきた中年コーチも目が点だ。
「須坂あかね。それが私の名前だけど。あかねとアンでは「あ」しか被ってないわよ。ああ、それと名前の最後にeが付くのは一緒ね。」
ジャージを素敵に着こなしている先生らしき綺麗なメガネをかけた女性が近づいてきて、皆と同じ様にポカンとしながらあかねの話を聞いている。
「申し訳ないけれど、今後赤毛のアン呼ばわりはやめて頂けないかしら。そもそも赤毛なのは私でなく貴方ですから」
全員が一歩引く。そして又一歩下がる。口々に片付けしなけりゃ、とか着替えようぜ、とか呟きながら気がつくと誰もいなくなっている。
二人きりになり、トラの挙動がおかしくなってくる。
「な、何だよ。何しに来たんだっつーの。練習で忙しーんだけど」
「は? 練習はもう終わったのではなくて? 貴方どんな状況認識力なの?」
「ハイハイハイ。そんで? 何の用?」
トラが面倒臭そうに吐き捨てる。
「お礼を言いに来たのだけれど。」
「はあ?」
「あの時のお礼。私あの時動転していて、貴方にちゃんとお礼を言っていなかったの。だからちゃんとお礼が言いたくて。」
「お、おお。あー、まあ、気にすんな。いーってことよ。」
気がつくと周りに人だかりが出来ている。
「何何何? トラにお礼ってなんだよ!」
「まさかのトラくん、人助けって奴ですかあ?」
「へー、今時ちゃんとお礼言いに来るなんて、出来た嫁だな。」
「よーしトラ、嫁ちゃんも「あゆみ」に拉致っちゃおうぜ!」
「いーねーいーねー。このお嬢っぷりがこのガッコには珍し過ぎてたまらない…」
「「「ハー? ケンカ売ってんのかコータ。殺す」」」
「まあまあ、姐さん方も落ち着いて。ささ、腹も減ったし、行きましょみんなで」
と二年生ながらに状況に応じた的確なコーチングを発揮する木崎がその場を纏め、何となくその場の全員で「あゆみ」で夕食会の流れとなるのだった。
春休みである。大好きな学友との新学期まで一週間もある。
新学期生活に夢を膨らませながら帰宅の途を辿っていると、地元の中学校の校庭の騒々しさにふとに目が吸い寄せられる。
見つけた!
間違いない。トラだ。赤いロン毛にガッチリした体格。今も野太い声を出してチームメートに指示を出している。
あかねはサッカーのことは良く知らない。父親が昔ラグビーをしていて、たまに一緒に国立競技場に大学ラグビーを観に行っていたが、かと言ってラグビーにも興味は無かった。それよりもプレー中に頭を強打し失神した選手に、父曰く
「魔法の水」
をかけると摩訶不思議なことに、皆スクッと起き上がるのが印象的だった。
「お父さん、あのお水はどんな成分なの? お寺か神社で清められているとか?」
「はは、フツーの水だよ」
優しく頭を撫でながら可笑しそうに父は呟く。でもそれは絶対ウソだ! だってあんなにすぐに立ち上がれる筈ないもん。
あかねはいつかあの「魔法の水」の正体を突き止めてやろう、そんな事を考えながら観戦していたのだった。
そんな出来事をつい思い出し、一人含み笑いをしていると、
「テメー、どこのガッコだよ?」
と言って、見るからに頭の悪そうな女子が三名近づいてくる。
「慶王女子だけど。それが何か?」
二人はポカンと口を開けて何それ、と呟くのだが、一人は目を怒らせあかねに食ってかかる。
「て、てめえ… で、何スパイしてんだコラ!」
彼女の言葉が全く理解できなかった。あれ、頭悪いのはひょっとして私?
「あなたが何を言っているのかさっぱり分からないわ。まるで中華料理店でフォアグラのテリーヌをオーダーされた店主の気持ちがするのだけれども。」
茶髪の女子が呆然としてしまう。
「それとも羽田空港で新幹線のグリーン車の予約をされるカウンターの人の気持ちと言えば分かりやすいかしら。それよりもあなた達、あの赤毛の人はひょっとして「トラ」と呼ばれる人ではなくて?」
三人は唖然としながら首を縦に振る。
やはりそうだ。彼がトラなんだ。
父との約束を果たさなければならない。彼にあの時のお礼を言わなければならない。でないと彼は……
トラの行く末を案じているうちに気がつくと両手を掴まれ、あかねはその学校のグランドに連れ込まれていた。
丁度練習が終わり、背の高いがっしりした中年のコーチが生徒達にあれこれ話している。それが済むと茶髪の女子が、
「トラくーん。ちょっと来てーーー」
と叫ぶ。
トラのみならず、部員全員が何事かとこちらに歩いて来る。
地元の公立校らしく、皆不良っぽい。頭髪が黒い生徒は三人だけ。何人かは顔に傷があり、知らずあかねは足が震えている。
「コイツがさあ、トラくんのこと聞いてきたんだけどさあ。知ってんのコイツ?」
他の選手達が一斉にどよめく。口々に可愛いーだの可愛いだの超可愛いだの呟いている。それを無視して両手の縛を振り解き、あかねはトラの前にスタスタと歩いて行く。
「こんにちは。私の事覚えているわよね?」
トラは眼を細め、首を横に振る。
「は? 去年の夏に不覚ながらにも貴方に助けられた者ですが。まさかもう忘れたと言うのかしら? だとしたら貴方の記憶力は昆虫並みね。いえそれは昆虫に失礼だったかしら。」
何人かの生徒が吹き出す。こん虫ー、こんちゅう、何それウケるー
トラがああ思い出した、と言う顔になり、
「おおお、あん時の赤毛のアンか。元気だったか?」
全員の目が点になる。何事かと近寄ってきた中年コーチも目が点だ。
「須坂あかね。それが私の名前だけど。あかねとアンでは「あ」しか被ってないわよ。ああ、それと名前の最後にeが付くのは一緒ね。」
ジャージを素敵に着こなしている先生らしき綺麗なメガネをかけた女性が近づいてきて、皆と同じ様にポカンとしながらあかねの話を聞いている。
「申し訳ないけれど、今後赤毛のアン呼ばわりはやめて頂けないかしら。そもそも赤毛なのは私でなく貴方ですから」
全員が一歩引く。そして又一歩下がる。口々に片付けしなけりゃ、とか着替えようぜ、とか呟きながら気がつくと誰もいなくなっている。
二人きりになり、トラの挙動がおかしくなってくる。
「な、何だよ。何しに来たんだっつーの。練習で忙しーんだけど」
「は? 練習はもう終わったのではなくて? 貴方どんな状況認識力なの?」
「ハイハイハイ。そんで? 何の用?」
トラが面倒臭そうに吐き捨てる。
「お礼を言いに来たのだけれど。」
「はあ?」
「あの時のお礼。私あの時動転していて、貴方にちゃんとお礼を言っていなかったの。だからちゃんとお礼が言いたくて。」
「お、おお。あー、まあ、気にすんな。いーってことよ。」
気がつくと周りに人だかりが出来ている。
「何何何? トラにお礼ってなんだよ!」
「まさかのトラくん、人助けって奴ですかあ?」
「へー、今時ちゃんとお礼言いに来るなんて、出来た嫁だな。」
「よーしトラ、嫁ちゃんも「あゆみ」に拉致っちゃおうぜ!」
「いーねーいーねー。このお嬢っぷりがこのガッコには珍し過ぎてたまらない…」
「「「ハー? ケンカ売ってんのかコータ。殺す」」」
「まあまあ、姐さん方も落ち着いて。ささ、腹も減ったし、行きましょみんなで」
と二年生ながらに状況に応じた的確なコーチングを発揮する木崎がその場を纏め、何となくその場の全員で「あゆみ」で夕食会の流れとなるのだった。