第6章 第4話

文字数 867文字

 どれ程二人の間に静寂があっただろう。話したいことは山ほどあるのだが、胸に詰まって口から出てこない。健太は大きく息を吸い込んで、ようやく

「お前、まだ酒は飲めるのか?」
「ふっ もう飲まないし、お前とは絶対に飲まない。」
「何で、だよ?」
「お前を見ると、娘を取られた気分になって、ぶっ飛ばしてしまいそうだからな」

 吹き出しながら須坂が楽しそうに呟く。

「は? 意味がわからん…」
「どうせ、トラ君の父親に、なるんだろ?」
「…ハア? な、何言ってんだオマエ… 誰がそんな…」
「二人はよく言ってるぞ。お互い好きあってんのに、お互いそれに真剣に気づいてない、恋愛未熟者同志だって。アッハッハ」

 須坂が本当に楽しそうに、嬉しそうに笑う。

「お前がトラ君の父親になれば、将来お前があかねの父親になる。違うか?」

 健太は夜の雑色で一人真っ赤になりながら、

「そんな将来の事、何言ってんだ、お前…」
「余命、半年だからな」
「……」
「それなりに、娘の将来を考えてしまうのさ。こないだまでの永野健太ならば死んでもお断りだ。だがーあの頃の永野健太だったならー」

 健太はゴクリと唾を飲み込む。

「永野。これからのあかねの事、俺の代わりに、よろしく頼む」

 走馬灯の様に、須坂との過去が健太の脳裏に映し出される。
 同期入社でサッカー部とラグビー部。それほど親しくはなかったが、お互いに会社を代表するスポーツマンとして尊敬しあっていたあの頃。部を引退し、共に管理職となった頃。管理職研修で激しく議論し、議長をしていた常務が止めに入ると、二人して「うるさい、邪魔すんな」と怒鳴り散らした事。

 互いに順調に出世を重ね、同じ日にそれぞれ部長を拝命した事。新橋の飲み屋で朝まで社の前途を熱く語り合った日の事。

 そして… 去年。左遷を言い渡された事。

 そして…

「おい。返事しろよ。いやとは言わせないぞ… ん? 永野、お前、泣いているのか?」

 鼻を啜りながら、健太は一言だけ、

「わかった」

 そう言って、電話を切る。

 既に顔中涙だらけの健太は、細い路地に蹲み込んで、顔を覆い号泣するのであった。
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