第2章 第2話
文字数 2,265文字
「うそ…でしょ… マジで… あの、深川のクイーンが… きゃあーーーーーーー」
三度目の練習日の夜。『スナック あゆみ』が亜弓の絶叫で震えた。
こうして改めて眺めてみると、クイーンと亜弓はやはり似ている。体型はモデル体型の亜弓と小柄でほっそりとしたクイーンは全く違うが、学歴を超越した知性、この平成末期に奇跡的に存在する人情味、そして男を寄せ付けない女王然としたオーラ。
まあ、クイーンにしろ亜弓にしろ、俺には高嶺の花子さんだ。好きなアイスの味もわからないし。健太は諦めに似た苦笑いを冷たいビールで流し込む。
「で、いついついつ? いつ門仲連れてってくれるの?」
デートの誘いとは程遠い言葉尻に軽く溜息をつきながら、
「トラのサッカーが落ち着いたらな。俺もサッカー部のコーチなんて初めての経験だし。暫くはそっちに集中したいし」
隣の席に置いたリュックに入っているサッカーシューズ。不思議な程に健太の足にフィットしていた。今日の練習でも幾つか子供らに手本を見せてやれる程に。
特にシュートに関しては、
「コーチ。手の骨折れちゃうだろ! もっと手加減してくれよ!」
と小谷が泣きべそをかく程の威力を見せつけてやったものだった。
「でもトラちゃん、顔付き変わったよねママ」
とホステスのミキが呟いた。
「小学生のサッカーに燃えてた頃のトラちゃんみたいだよ、最近さあ」
「そうなのか?」
ミキはタバコに火をつけながら、
「そう。あの頃はさ、俺はプロになって母さんに楽させてやるー、なんて殊勝なこと言っちゃっててさ。ホント良い子だったんだよ。あ、今も良い子だけどね」
「でも、ケンカだの少年院はマズいだろう」
「それも、ねえ… 別にトラちゃんが仕掛けた訳じゃなかったし…」
そう言えば健太は、トラのケンカ沙汰について詳しく知らなかった。
「いつの頃からかなあ、あの子身体大きいじゃん、それに目付き悪いじゃん、街歩いてるとさ、よく絡まれちゃうんだよ。そんで両親譲りの戦闘力じゃん、相手が何人でもケンカで負けたこと無いんじゃない?」
健太はゴクリと唾を飲み込んだ。
「あれって小四の時だっけママ? 試合の後にさ、相手チームのワルに絡まれて、逆にボコボコにしちゃったのさ。それが問題になってチーム辞めさせられて。その辺りからかなあ、どのチームからも入団を断られてさ。仕方なく小学校のチームでずっとやってたんだけど、すっごく弱くって。その内トラちゃんイライラしてすぐケンカするよーになっちゃって。」
街クラブやJクラブどころの話ではなかったんだ。トラは理不尽にも大人達からサッカーを取り上げられてしまったのだ。
「中学入る頃には蒲田辺りでは一端のワルで有名になっちゃって。それでも中学のサッカー部では真面目に楽しくやってたのよ、ずっと。でもね、……」
ママが冷蔵庫から新しいビールを出し、健太のグラスに注ぎながら、
「あれは川崎の中学と試合した時。試合中から揉めに揉めて、試合後の帰り道に岡谷クンが相手の子達に捕まっちゃったのよ。そして、」
多摩川の河川敷で袋叩きにされ、着ている物を剥がされ川に投げ捨てられたという。それはあまりにも…
「素っ裸で泣きながらこの店入ってきた時は蒼ざめたわー。今時ここまでヤるバカがいるとはってね。そしたらトラが何も言わず店を飛び出していってー」
川を渡り、相手の子達の溜まり場に乱入し、全員を半殺しにしたらしい。
「お店のマスターが通報して、マッポが来てトラを止めようとしたんだけどさ。そこは父親譲りと言うか…」
警官と刑事を蹴り倒してしまったのだった。
その刑事は安曇と言って、亜弓の頃から少年課の有名な刑事だったという。
「アタシが謝りに行ったらさ、スッゲー懐かしい顔があって。そう、アタシがあん頃に散々メーワクかけたデカだったんだわ。そしたら向こうもさ、オマエひょっとして「テポドンあゆみ」かって。え? それアタシのあだ名だよ、若けー頃の」
「有名だったのよお、蒲田のレディース「デビルキャッツ」の「テポドンあゆみ」って。この長い脚が相手の後頭部をガツーンてヒットすると、みんな物も言わず倒れちゃうって」
「でもよ、何だよその「テポドン」って。ダサ。今改めて言われると、マジダサ…」
あのトラにしてこの母有り。成る程、と健太は深く頷いた。「テポドン あゆみ」。確かにダサ過ぎる。そこも深く頷く。
「でさ、そん時にその安曇ってデカに言われたんだよね。お前の息子はホントのワルじゃない。根は真っ直ぐで良いヤツだ。でもな、ちゃんと周りの大人が支えてやらねえとこんな事になっちまうんだぞって。あれは効いたわー。その通りだもんなあ…」
「いやいや。ママは良くやってると思うよ。ちゃんとご飯作ってるし、学校行事もよく見に行ってるし。でも、確かにこの年の男の子ってさ。父親、大事だよね…」
何故かミキがチラッと健太を見る。
健太はちょっと言いずらそうに、
「ママは、付き合ってる彼氏とか、いないの? 父親になってくれそうな人とかいないの?」
ミキがぶっと吹き出す。
「あのさあ永野さん。このママに釣り合う男、その辺に転がってると思う? 身長170センチ。スタイル抜群のモデル並みの容姿。ウソとしみったれが大嫌い。少なくともさ、この店に来るような男なんて箸にも棒にもかからないわよ」
その通りだと思う。この人に釣り合う男… 想像もつかない。
「ま、今は仕事忙しいし、トラの面倒も忙しいし。当分オトコは…いいわ…」
ちょっと寂しそうに呟くママに健太の胸の鼓動が早くなった。
三度目の練習日の夜。『スナック あゆみ』が亜弓の絶叫で震えた。
こうして改めて眺めてみると、クイーンと亜弓はやはり似ている。体型はモデル体型の亜弓と小柄でほっそりとしたクイーンは全く違うが、学歴を超越した知性、この平成末期に奇跡的に存在する人情味、そして男を寄せ付けない女王然としたオーラ。
まあ、クイーンにしろ亜弓にしろ、俺には高嶺の花子さんだ。好きなアイスの味もわからないし。健太は諦めに似た苦笑いを冷たいビールで流し込む。
「で、いついついつ? いつ門仲連れてってくれるの?」
デートの誘いとは程遠い言葉尻に軽く溜息をつきながら、
「トラのサッカーが落ち着いたらな。俺もサッカー部のコーチなんて初めての経験だし。暫くはそっちに集中したいし」
隣の席に置いたリュックに入っているサッカーシューズ。不思議な程に健太の足にフィットしていた。今日の練習でも幾つか子供らに手本を見せてやれる程に。
特にシュートに関しては、
「コーチ。手の骨折れちゃうだろ! もっと手加減してくれよ!」
と小谷が泣きべそをかく程の威力を見せつけてやったものだった。
「でもトラちゃん、顔付き変わったよねママ」
とホステスのミキが呟いた。
「小学生のサッカーに燃えてた頃のトラちゃんみたいだよ、最近さあ」
「そうなのか?」
ミキはタバコに火をつけながら、
「そう。あの頃はさ、俺はプロになって母さんに楽させてやるー、なんて殊勝なこと言っちゃっててさ。ホント良い子だったんだよ。あ、今も良い子だけどね」
「でも、ケンカだの少年院はマズいだろう」
「それも、ねえ… 別にトラちゃんが仕掛けた訳じゃなかったし…」
そう言えば健太は、トラのケンカ沙汰について詳しく知らなかった。
「いつの頃からかなあ、あの子身体大きいじゃん、それに目付き悪いじゃん、街歩いてるとさ、よく絡まれちゃうんだよ。そんで両親譲りの戦闘力じゃん、相手が何人でもケンカで負けたこと無いんじゃない?」
健太はゴクリと唾を飲み込んだ。
「あれって小四の時だっけママ? 試合の後にさ、相手チームのワルに絡まれて、逆にボコボコにしちゃったのさ。それが問題になってチーム辞めさせられて。その辺りからかなあ、どのチームからも入団を断られてさ。仕方なく小学校のチームでずっとやってたんだけど、すっごく弱くって。その内トラちゃんイライラしてすぐケンカするよーになっちゃって。」
街クラブやJクラブどころの話ではなかったんだ。トラは理不尽にも大人達からサッカーを取り上げられてしまったのだ。
「中学入る頃には蒲田辺りでは一端のワルで有名になっちゃって。それでも中学のサッカー部では真面目に楽しくやってたのよ、ずっと。でもね、……」
ママが冷蔵庫から新しいビールを出し、健太のグラスに注ぎながら、
「あれは川崎の中学と試合した時。試合中から揉めに揉めて、試合後の帰り道に岡谷クンが相手の子達に捕まっちゃったのよ。そして、」
多摩川の河川敷で袋叩きにされ、着ている物を剥がされ川に投げ捨てられたという。それはあまりにも…
「素っ裸で泣きながらこの店入ってきた時は蒼ざめたわー。今時ここまでヤるバカがいるとはってね。そしたらトラが何も言わず店を飛び出していってー」
川を渡り、相手の子達の溜まり場に乱入し、全員を半殺しにしたらしい。
「お店のマスターが通報して、マッポが来てトラを止めようとしたんだけどさ。そこは父親譲りと言うか…」
警官と刑事を蹴り倒してしまったのだった。
その刑事は安曇と言って、亜弓の頃から少年課の有名な刑事だったという。
「アタシが謝りに行ったらさ、スッゲー懐かしい顔があって。そう、アタシがあん頃に散々メーワクかけたデカだったんだわ。そしたら向こうもさ、オマエひょっとして「テポドンあゆみ」かって。え? それアタシのあだ名だよ、若けー頃の」
「有名だったのよお、蒲田のレディース「デビルキャッツ」の「テポドンあゆみ」って。この長い脚が相手の後頭部をガツーンてヒットすると、みんな物も言わず倒れちゃうって」
「でもよ、何だよその「テポドン」って。ダサ。今改めて言われると、マジダサ…」
あのトラにしてこの母有り。成る程、と健太は深く頷いた。「テポドン あゆみ」。確かにダサ過ぎる。そこも深く頷く。
「でさ、そん時にその安曇ってデカに言われたんだよね。お前の息子はホントのワルじゃない。根は真っ直ぐで良いヤツだ。でもな、ちゃんと周りの大人が支えてやらねえとこんな事になっちまうんだぞって。あれは効いたわー。その通りだもんなあ…」
「いやいや。ママは良くやってると思うよ。ちゃんとご飯作ってるし、学校行事もよく見に行ってるし。でも、確かにこの年の男の子ってさ。父親、大事だよね…」
何故かミキがチラッと健太を見る。
健太はちょっと言いずらそうに、
「ママは、付き合ってる彼氏とか、いないの? 父親になってくれそうな人とかいないの?」
ミキがぶっと吹き出す。
「あのさあ永野さん。このママに釣り合う男、その辺に転がってると思う? 身長170センチ。スタイル抜群のモデル並みの容姿。ウソとしみったれが大嫌い。少なくともさ、この店に来るような男なんて箸にも棒にもかからないわよ」
その通りだと思う。この人に釣り合う男… 想像もつかない。
「ま、今は仕事忙しいし、トラの面倒も忙しいし。当分オトコは…いいわ…」
ちょっと寂しそうに呟くママに健太の胸の鼓動が早くなった。