第3章 第4話

文字数 1,393文字

 健太がトイレに行っている時。あかねが亜弓に、
「お母さま。いいのですか?」
「へ? 何が?」
「上田先生ですよ。ここにいらして。」
「いーじゃん。別に。」
「でも… 永野さん、いますよ…」
「べ、別にいー、カンケーねーし…」
「「「いやいやいや」」」
 トラ、ミキ、あかねが首を振る。

「な、何よ、べ、別にアタシ…」
「「「いやいやいや」」」
「はー? チゲーって。何言ってんだよ、永野サン、アタシとは釣り合わねーって。ほれ、上田先生ならお似合いじゃね、ははは…は…」

 下を向く亜弓を悲しげな表情で見守る三人。でも確かに彼女の言っていることは強ち間違ってはいないのだ、そこが悲しい。実に悲しい。

 無精髭を剃り髪を整えスーツ姿の健太はどう見ても一流企業の人間だ。それに比べ、茶髪で安っぽい服におざなりの化粧のあゆみ。生きてきた世界が、そして生きている世界が違う。

 トラは下唇をギュッと噛む。オレと須坂も同じだ。住む世界が違いすぎるんだ。
 チラッと隣のあかねを見る。彼女はどう考えているのだろう。日本有数の名門校に通う自分と社会の下層にしがみついているオレ。

 あかねがトラと視線を合わせる。そしてキッパリと頷く。
 彼女の目が言っているー
 関係ないから。そんなことは。
 トラは自然に顔が綻ぶのを感じる。
 ああ、出逢えて良かった。コイツと巡り合えてホントに良かった。
 失いたくない。離したくない。
 それにはどうすればいいのか。
 いつか、ケンタに聞こう。そうトラが思った時。

「お邪魔しまーす、松本さん」
 一美が店に入るとカウンターにトラと健太が、さながら親子のように座っているのが目に入った。そして厨房には亜弓とあかねが母娘のように調理しているのも目に入る。
「せんせ、いらっしゃい。ビールでいいかしら」

 ここが松本寅が育った所。ゆっくりと店内を見廻し、一美はトラの横に腰掛ける。
 トラは嫌そうな顔で少しスペースを空ける。一美は
「それで。小谷くんは何て?」
「あー、ユージはメチャ喜んでるって、入学早々大会に出れるからな。そんで何人かサッカー部に誘うって。街クラブでやってたヤツ周辺に声かけるってさ。」
「そう。なるべく早く、その子達の名前、住所、電話番号を調べて。できればメールアドレスも。」
「お、おお。承知…」

 トラが意外そうな顔を一美に向ける。あれー、このババア、こんなにやる気あったっけ?
「だから言ったろトラ。このせんせは本物だって。アタシらみたいなのにも、ちゃんと人間扱いしてくれる人だって。」
「松本さん、何を言って…」
「まーまーまー。ハイ、よーく冷えてるよお」

 ビールジョッキを受け取りながら一美は思いがけずの居心地の良さを感じてしまう。
 トラの隣で微笑みを浮かべている健太と目が合い、頬が赤くなるのを感じる。

 やっぱり今日の永野さんは素敵だ… どう見ても大企業の役員クラスにしか見えない。日焼けした精悍な顔がダークスーツによく似合っている。無精髭がないと若々しく見える。

 うっとりと健太に見惚れる一美を、亜弓は寂しそうな笑顔で見つめている。
 そんな亜弓に背を向けてミキは開店の準備に本腰を入れ始める。あかねは見て観ぬふりをしながら調理に没頭する。

 トラは母親の恋敵の出現に苦笑いしながら、スマホに没頭する事にする。

 そして。そんな周囲の状況に戸惑いつつ、健太は一人ビールのジョッキを傾けることしかできなかった
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