第1章 第5話
文字数 1,625文字
石鹸で皮膚がすり減るほど顔を洗い、カウンターに戻ると二人の女が大笑いしている。
「アンタ、大変だったねえ」
「トラちゃんがたまたま通りかかって、ホント良かったねえ」
健太は曖昧に顔を歪ませ、
「ビール、頂戴」
と絞り出す様に呟く。
出された瓶ビールをコップに注ぎ、ママのコップにも注ぎながら、
「ママって、トラ君のお姉さんかな?」
二人の女は顔を見合わせ、プッと吹き出す。
「そんなこと言ったって安くならないからねー」
「そーそー。トラちゃんは、ママの大事な大事な、息子。ですから!」
思わず健太はコップを落としそうになる。
「そう、なのか?」
と隣のトラにふると、
「まーな」
小さくない衝撃を健太は受ける。いや、どう見ても母親って、あり得ない…
厨房からチャーハンが出てきてトラの前に置かれると、トラは物も言わずに掻き込み始める。そんなトラとママを交互に見比べながら、
「結構若い頃の子なんだ?」
「そうね。アタシが二十歳の時かな。この子が生まれたの」
「で、このトラ君は今…?」
「来月から中三。そこの中学の。よかったねえ、進級できて」
トラが食べながら無言で頷く。
「この子って、ついこないだまでネンショー入ってたからさ。もう一回、中二やるかと思ってたわー」
「ネンショーって… 少年院? え、何で?」
「ケンカ」
口にチャーハンをいっぱいに入れたまま、ボソッと答える。
「そ、そっか。ま、でも、進級できて良かったな」
なんて月並みな言葉をかけながら、健太は誤魔化すようにグラスを口にする。
成る程、どうりで喧嘩慣れしているものだ。四人相手にも全く怯まずに、相手のリーダー格を最初に倒し残りのヤツの動揺を誘い…
そう言えば、彼らが立ち去り際に言っていた言葉が、健太の脳裏に蘇ってくる。
『蒲田のトラ』
地元で有名な不良なのだろう、コイツは。一人納得し、健太はグラスを一気に呷る。
「でー? オジさんは何してる人なのー?」
中年のホステスがタバコをふかしながら聞いてくる。
「そこの、川向こうの会社。」
「あー、玉エレねー。名刺くれるー?」
健太は財布から名刺を抜き出す。
「へー、永野健太、さん。……え…? 第三、営業、部長!」
ママがカウンターから身を乗り出して素っ頓狂な声で、
「マジマジ? 部長さん、なの?」
隣でチャーハンを食べ終わったトラが、全く興味なさそうな目で健太を見下す。
「去年、まで。今は、休職中。」
健太は小学生の頃からずっとサッカーに夢中だった。まだJリーグがない頃、いつか日本代表のユニフォームを着ることを夢見て、朝から晩までサッカーに明け暮れていた。
高校は都内の強豪校に進学し、三年生の夏にインターハイの全国大会に出場し、大学はサッカー推薦で御茶ノ水の東京六大学に進んだ。
大学日本選抜にも選ばれ、卒業後は玉川エレクトロニクスの前身である玉川電機に入社し、営業部での仕事の傍らサッカー部で活躍した。
Jリーグが発足してから数年後、玉川電機サッカー部が母体となった川崎フロンティアがJ昇格を果たすまでその主力メンバーとして活躍してきたが、古傷や年齢の事を考えて、昇格を機にサッカーから離れた。
その頃上司の紹介で横浜の資産家の娘と結婚し、すぐに子宝に恵まれた。
サッカーを辞め家庭を築き、健太は営業の仕事に邁進してきた。
昔ながらの体育会気質で営業成績をグングン伸ばし、順調に昇進を重ね、三年前に本社第三営業部の部長に昇格した。
一人息子の克哉は、小学校から私立の一貫校に入学しずっとサッカーを続け、この春から大学二年生である。
「へー。サッカーやってたんだ」
ラーメンを啜っているトラが呟く。
「まあな。ひょっとして、君も?」
トラはビクッと体を震わせ健太を睨みつける。そして否定も肯定もせずに、ラーメンを啜り続ける。
「でもー、あんまブチョーっぽくないじゃん。髪ボサボサだし、オッサン服だし、臭いし」
ママが小悪魔の様な笑顔で話しかける。
「そう。実は去年…」
「アンタ、大変だったねえ」
「トラちゃんがたまたま通りかかって、ホント良かったねえ」
健太は曖昧に顔を歪ませ、
「ビール、頂戴」
と絞り出す様に呟く。
出された瓶ビールをコップに注ぎ、ママのコップにも注ぎながら、
「ママって、トラ君のお姉さんかな?」
二人の女は顔を見合わせ、プッと吹き出す。
「そんなこと言ったって安くならないからねー」
「そーそー。トラちゃんは、ママの大事な大事な、息子。ですから!」
思わず健太はコップを落としそうになる。
「そう、なのか?」
と隣のトラにふると、
「まーな」
小さくない衝撃を健太は受ける。いや、どう見ても母親って、あり得ない…
厨房からチャーハンが出てきてトラの前に置かれると、トラは物も言わずに掻き込み始める。そんなトラとママを交互に見比べながら、
「結構若い頃の子なんだ?」
「そうね。アタシが二十歳の時かな。この子が生まれたの」
「で、このトラ君は今…?」
「来月から中三。そこの中学の。よかったねえ、進級できて」
トラが食べながら無言で頷く。
「この子って、ついこないだまでネンショー入ってたからさ。もう一回、中二やるかと思ってたわー」
「ネンショーって… 少年院? え、何で?」
「ケンカ」
口にチャーハンをいっぱいに入れたまま、ボソッと答える。
「そ、そっか。ま、でも、進級できて良かったな」
なんて月並みな言葉をかけながら、健太は誤魔化すようにグラスを口にする。
成る程、どうりで喧嘩慣れしているものだ。四人相手にも全く怯まずに、相手のリーダー格を最初に倒し残りのヤツの動揺を誘い…
そう言えば、彼らが立ち去り際に言っていた言葉が、健太の脳裏に蘇ってくる。
『蒲田のトラ』
地元で有名な不良なのだろう、コイツは。一人納得し、健太はグラスを一気に呷る。
「でー? オジさんは何してる人なのー?」
中年のホステスがタバコをふかしながら聞いてくる。
「そこの、川向こうの会社。」
「あー、玉エレねー。名刺くれるー?」
健太は財布から名刺を抜き出す。
「へー、永野健太、さん。……え…? 第三、営業、部長!」
ママがカウンターから身を乗り出して素っ頓狂な声で、
「マジマジ? 部長さん、なの?」
隣でチャーハンを食べ終わったトラが、全く興味なさそうな目で健太を見下す。
「去年、まで。今は、休職中。」
健太は小学生の頃からずっとサッカーに夢中だった。まだJリーグがない頃、いつか日本代表のユニフォームを着ることを夢見て、朝から晩までサッカーに明け暮れていた。
高校は都内の強豪校に進学し、三年生の夏にインターハイの全国大会に出場し、大学はサッカー推薦で御茶ノ水の東京六大学に進んだ。
大学日本選抜にも選ばれ、卒業後は玉川エレクトロニクスの前身である玉川電機に入社し、営業部での仕事の傍らサッカー部で活躍した。
Jリーグが発足してから数年後、玉川電機サッカー部が母体となった川崎フロンティアがJ昇格を果たすまでその主力メンバーとして活躍してきたが、古傷や年齢の事を考えて、昇格を機にサッカーから離れた。
その頃上司の紹介で横浜の資産家の娘と結婚し、すぐに子宝に恵まれた。
サッカーを辞め家庭を築き、健太は営業の仕事に邁進してきた。
昔ながらの体育会気質で営業成績をグングン伸ばし、順調に昇進を重ね、三年前に本社第三営業部の部長に昇格した。
一人息子の克哉は、小学校から私立の一貫校に入学しずっとサッカーを続け、この春から大学二年生である。
「へー。サッカーやってたんだ」
ラーメンを啜っているトラが呟く。
「まあな。ひょっとして、君も?」
トラはビクッと体を震わせ健太を睨みつける。そして否定も肯定もせずに、ラーメンを啜り続ける。
「でもー、あんまブチョーっぽくないじゃん。髪ボサボサだし、オッサン服だし、臭いし」
ママが小悪魔の様な笑顔で話しかける。
「そう。実は去年…」