第6章 第6話

文字数 2,603文字

「上田先生。また、松本、ですか。一体、どう言う事なんですか! ええ?」

 副校長の中野に会議室に呼び出された一美は、深く頭を下げる。

「中野先生、松本君は被害者なんですっ 友人を拉致されて、それを救いに行っただけなんです。相手には一切暴力は奮っていません。誓って本当です」
 
 中野は不機嫌そうな顔で、
「警察沙汰、ですよ。また。例え被害者側であっても。それに他校の生徒も巻き込んだそうじゃないですか。さっきその学校から問い合わせの連絡がありましてね」
 中野はテーブルをドンと叩きながら、
「二度と、ウチの生徒に近づかないで貰いたい。朱に交われば赤くなりますから、なんて言われましたよ。こんな屈辱、教師生活三十年で初めてのことです」

「申し訳ありませんでした。二度とこんなことがない様に、しっかり指導して…」
「サッカー部。活動、禁止」
 中野が冷たく言い放つ。

「当然、来月の? 大会も棄権してください。いいですね?」
 一美は目を皿の様に大きく開けて、
「ハア? どうしてそうなるんですか? 納得いきません。撤回してくださいっ」

 中野は蔑んだ表情で、
「それが私に対する態度ですか。他校から恥をかかされた私に対する態度なんですか?」
 今、私に出来ること。あの子達のために私が出来ること。あの人の為に、私が出来ること…

 一美は拳を握り締め、
「失礼しました… 申し訳ありませんでした。でも、先生。どうか、活動停止は勘弁してください。お願いします」
 一美は90度以上の角度で頭を下げる。
 それをいやらしい目で眺めながら、

「そうでしょ? その態度が大事なんじゃありませんか、顧問として。ね?」
 中野がゆっくりと一美に近づいてくる。
「僕だってね、人間ですよ。心からお願いされたら、ちゃんと考えますよ」
 一美の肩に生暖かい手が添えられる。
「今夜、その件をじっくりと議論しましょう。個室の居酒屋を取っておきますね。時間と場所、後で連絡しますから。では…」

 二回ほど一美の肩を揉んだ後、中野は会議室を出て行った。

 夕方七時。一美は指定された店に向かっていた。J R川崎駅の南側、仲見世通りの砂子二丁目交差点近くの個室居酒屋の暖簾を潜り、待ち合わせの中野と言うと、こじんまりとした部屋に通される。

 席につき、溜息をつきながらスマホを弄っていると、程なく中野が入ってくる。
「お待たせしましたね、上田先生。いや、校外だから、一美ちゃん、でいいよね?」
 と言いながらおしぼりで顔を拭い、生ビールを二つ注文する。
「いいでしょ、このお店。僕が一生懸命探したんですよ。さ、乾杯、乾杯!」
 中野は一気にビールを飲み干す。
「一美ちゃんも、ささ、グイッといってグイッと。そうそう。最後の一滴まで、ね」
 言われた通りにビールを飲み干し、
「中野先生。サッカー部の件ですけど」
「まあまあ。もう一杯飲んでから、ね。おーい、生二つおかわりー」
 見えない様に、深く溜息をつく。

「そもそもねえ、少年院にいくような生徒をねえ、どうして僕らが指導しなきゃいけないのよ。犯罪者ですよ、奴は。警察官に暴力を振るう様な、人間のクズですよ。ねえ一美ちゅあん」

 テーブルには空のジョッキが六個。中野はすっかり酔っ払った様だ。一美はそっとスマホの録音アプリを立ち上げ、録音を開始する。
「人間のクズ。もー、生まれも育ちも、犯罪者。更生なんて不可能っ そーでしょ、一美ちわーん」
「あの、先生。そろそろお開きにしませんか。それと、サッカー部の件。どうにか活動継続でお願いできないでしょうか?」

「ぬふふふふ。いーよー、別に。その代わりにー わかってるよね、一美ちわわーん」
「何がですか?」
「わかってる、くせに」

 中野はジメッと湿った手を一美の手に乗せる。
「わかるでしょお? 大人なんだから」
 一美はニッコリと笑いながら、
「わかりかねます。何でしょうか?」
「朝まで。僕と、付き合って。ね。それで、部活もOK。来月の大会もOK。ね?」
「中野先生。それが聖職者の言動ですか。信じられません!」

 一美は声を張り上げる。
「ハア? そんなこと言っていいのお? じゃあ、サッカー部、活動停止。そうなるよお」
「致し方ありせんね。今の発言は録音させてもらいました。明日、教育委員会に提出しますので。それでは失礼します」

 と言って席を立とうとすると、
「ふざけんじゃねーよ、この行き遅れのババアがっ 調子にのんじゃねーや!」
 と大声を上げ、テーブルをバンと叩く。
「そんなことしてみろ。お前なんか島嶼部に送り込んでやるからな。おい。そのスマホこっちに寄越せ。寄越せって言ってんだろ!」

 そう言って徐に一美にのしかかってくる。
「ちょ、やめてください! 何するんですか!」
「うるさいっ 俺の言うこと聞くんだよ」

 そう言うとガシッと一美の両胸を握り締めた。一美は頭が真っ白になり、言葉を失った。中野はそこにつけ込み、更に一美にのしかかってくる。一美を羽交い締めにし、あろうことか耳を舐め始める。

「いい加減に、しなさいっ」
 一美が叫ぶも、恐怖で中野を押し除ける力が湧いてこない。
 一美の瞳に涙が浮かぶ。
 助けて 助けて 永野さん 助けて…

 中野の激しい息遣いを聞きながら、きつく目を瞑る。

「ちょっと、何してんですか! 嫌がってるじゃないですか!」

 上の方から力強い男性の叱咤の声がする。中野の息遣いが止まる。

「アンタ、関係ないだろ。出て行けよ」

 中野が吐き捨てる様に言うと、

「でもその女性、泣いているじゃないですか。警察、呼びましょうか?」
 チッと言いながら、中野は立ち上がり、
「退いてくれ。僕は帰る。言っとくけど、この女が誘ってきたんだからな。誘ってきたんだからな」
 そう言い捨てて、中野は部屋から出て行った。

「あの、大丈夫ですか。ホント警察呼びましょうか?」
 一美はゆっくり目を開ける。すると!

「あれー、ひょっとして、ケンタさんの学校の顧問の先生?」
 暗がりでハッキリ見えなかったのだが。一美は起き上がり、その声の主を見上げると、

「あなたは… フロンティアのG Mさん!」
「あー、ハイ。川崎フロンティアの飯田です、ご無沙汰でーって、こんな形でアレですが、先生、ホント大丈夫ですか?」

 飯田が蹲み込んで一美を気遣う。

「こわ、怖かったー えええーーーーん」

 一美は飯田にしがみ付く。そしてその厚い胸板に縋り、思う存分泣くのであった。
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