第1章 第12話

文字数 2,213文字

「ゴメン、ママ。知らなかったわ」
「知ってたら逆にキモいし」

 健太は苦笑いしながら、
「いつ?」
「トラが産まれて半年後かな。バイクの事故でさ」

 カレーを散々食い散らかし、一人五百円置いて生徒たちはご機嫌で帰って行った。トラは久しぶりで疲れ過ぎたと、上に上がって早々に寝床に入ったらしい。今は店内は常連客の二人組と健太だけだった。

「この辺を仕切ってたゾクの頭だったの。ガタイデカくて、頭もキレて。そんで下のモンにはトコトン優しくて。あと弱いモンにも。そんなトコ、やっと似てきたよトラ。」
 憂げのある表情で亜弓が話し続ける。

「アタシらの出会い? 決まってんじゃん、ある集会でね、一眼見て。コイツと生きてくって決めて。向こうもそう思ってくれて。そんで一緒になるって決めて。二人してゾク引退して。アタシの妊娠がわかって。そんで真面目にバイト始めて。一緒に暮らし始めて。『ホットロード』そのもんでしょ? カッケーでしょ?」

 ホットロードは良くわからないが、健太は取り敢えず頷く。
「だけど、『ホットロード』と全然違うのが… 死んじゃうトコだよね。そこだけはマンガと映画通りであって欲しかったなあ」
 その原作は二人とも生きて終わるのだろう。ドラマや映画よりも現実はなんと残酷で厳しいモノなのか。
「O Bで集会参加して。途中でマッポに追われて。バイク滑らしてトラックと激突。映画では何とか生きてたんだけどねえ」

 遥か遠くを眺める様子の亜弓に健太は心から同情する。
「だからさ。トラって父親の味を知らねえんだよね。父親から叱られたことも、父親に何かを教わったことも…」
 亜弓の瞳に涙が溢れてくる。
「だからさ、さっきアンタとトラが紙と睨めっこしてんの見てさ。ああ、トラってこーゆーのに憧れてたんだなって。母親とじゃ出来ない、こーゆーことをって。」
 頬に涙が流れる。健太が見た女の涙の中でも、一番美しい涙だった。

「もし父親がいればさ。トラは年ショーなんて行かなかったかも。その前に父親に怒鳴られ殴られ、真っ当に中学生してたかも」
「いや、ちょっと待てよ」
 健太はカウンターに身を乗り出しながら、
「トラはいい奴だぞ、うちの会社にもあんな真っ直ぐで実直な男はそうはいないぞ」
「真っ直ぐで実直って、同じじゃん」
 健太は驚いてあゆみを直視する。
「な、何よ」
「い、いや別に、それより。少年院行ったからって、人生終わりじゃないだろう、コレから幾らでもやり直しはきくし。」
「そーかも知んないけど。でも世間ってさ、そんな甘くないっしょ? この日本じゃ。」

 健太は確信する。この母親は生まれ育ちが良ければ、普通に大学から大企業に入る程の知性の持ち主であると。生まれながらの環境が人生を左右する。そう痛感させられる。
「サッカーこれから頑張れば良いじゃん。生活態度をさ、少しずつ正していって。来年サッカーの強豪校かクラブに入って、サッカーでのし上がっていけば良いんだよ」
「それを本人が望むかどうか… それに、そんな才能あの子にあると思った? 今日見てて」
 背筋が凍りつく。何だ、この母親の冷徹な視点。

 確かに今のままではトラがプロになることは決してあり得ない。テクニックはあるが、体力、スピード、アジリティ、全てが足りない。
 それより何より、プロになるのに必要なのは、誰よりもサッカーを愛することなのだ。ゲームよりも、YouTubeよりもサッカーが好きで好きで堪らない。それぐらいでないと、現代の日本ではプロになることは叶うまい。
 トラは、そこそこサッカーは好きな様だ。だが、全てをサッカーに捧げる覚悟は全く感じられない。昨夜の様に赤の他人と乱闘を起こすなぞ、プロを目指す人間にはあり得ない行動なのだ。

 だが。

 だが、万が一、トラにその覚悟が芽生え、それを実践すれば…

 あの体格は非常に魅力的である。体軸もしっかりしているし、今ついている筋肉を更に効果的に鍛え上げれば、日本人規格外の素晴らしい武器となろう。
 それよりも。最も今日彼のサッカーを見て驚いたのが、サッカーI Qの高さであった。テクニックがあるから足元のボールよりも周囲を見渡すことが出来る。そこまではある程度の選手なら到達できようが…
 トラは刻々と変わる状況を全て認識している!

 それは、今コート上で誰が何処にいるかを全て把握している、という事なのだ。
 この能力はどんなに努力しても誰もが身に付く能力ではない。全く天性の才能なのだ。この能力を持つ人間は、サッカーのみならず、バスケットボールやラグビーなどでも稀有の存在となり得る、実に貴重な能力なのである。
 その能力をトラは持っている。今日の練習での、ミニゲームでの一番の驚きだった。こんな子が部活レベルのサッカーをしている…

 日本代表レベルを知る健太にとって、実に驚きの出来事だったのだ。
 スタミナとスピードを付ければ、数年後には間違いなく年代別代表に選ばれるであろう。そうでなくとも、今後数回の試合をスカウトが見に来ていたら、必ず目をつけるであろう。
 アンタの子供は、それぐらいのポテンシャルがあるんだ。

「ふーん。プロもどきの永野サンが言うなら、そーなのかもね」
「もどきって…」
「でも、どーかなー。アイツ、多分サッカー自体よりも、サッカーを一緒にやってる仲間が好きなんじゃないかな?」

 健太はゴクリと唾を飲み込む。どこまでも深い透察力を示す母親。一体キミは…?
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