第2章 第14話

文字数 909文字

「そう言えば。トラに助けられたのも、この辺だったよ」
「そうなん?」
「もしあの日。俺が夜桜を観ようとここに来なければ。今、俺たちこうしていないんだよなあ」
「あは、そりゃそーだ。それにさ。そのヤンチャ坊主たちが永野サンに絡まなきゃ、トラが助けることもなかったんだよね」

「そっか。そしたら、アイツらにも、感謝、だな」
 亜弓はドキッとしながら、
「え…?」
 健太は慌てて、
「あ、いや、アイツらに絡まれなきゃ、今こうして二人で桜観てない訳じゃない?」
 しばらく二人は黙り込む。

 川の向こうに日が沈んでいく。夕焼けに照らされたソメイヨシノのピンク色は、幻想的な色彩を帯びて二人の心を和ませる。

「もしさ、トラたちが予選勝ち抜いたらさ、」
 亜弓が意を決して呟く。健太は優しい瞳で亜弓を見つめる。

『私と付き合ってください!』

 その一言がどうしても口に出せない。何度も口にしようとするも、亡き夫以来、男とそんな雰囲気になったことの無かった亜弓には重たすぎる一言なのだ。

 健太はそんな亜弓の意中を察する筈もなく、
「勝ち抜いたら、何?」
 
 何コレ… 辛いんですけど…
 絶対、断られるに決まってるのがキツいんですけど…
 やだ。いやだ。も少しこのままでいたい。このままでいたいよ。
 毎晩この人に夕飯作って、一緒に少しのビールを飲んで
 世俗の愚痴を聞いて語って
 毎日を過ごしたいよ…
 だから神様、お願い
 も少しこのままで、いさせてよ…

「クイーンの店、連れてってよ!」

 あのお節介な高橋健太は何と言うだろう。こんな若くて綺麗な女を連れて行ったら。クイーンは何て言うだろう。テメエにはもったいねえ、と笑われるだろうな。

 でも。
 どんなに笑われてもいい。
 どんなに貶されてもいい。
 このソメイヨシノの花の色の様な
 この人を側で感じていたい。
 どん底だった俺の煤けた魂を
 優しく彩ってくれる
 この人の側に俺は居たい

「よし。行こう。リーグ戦勝ち上がったら、クイーンの店で祝杯あげよう!」

「約束、だよ。」

 亜弓は震える小指を健太に差し出す。

 健太も同じ様に震える小指をそっと差し出す。

 その指と指が絡まる頃、真っ赤な夕陽が静かに多摩川の向こう側に沈んでいった。
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