第4章 第6話

文字数 1,664文字

 だがベンチ脇にヒッソリと立っている永野さんは、その対極だ。顔色ひとつ変えず、冷静にD Fの沢渡に指示を出している。

 どうしてそんなに冷静でいられるの?

 一美には信じられなかった。一美は常に全力で指導し全力で応援してきた。試合中も声を絶やさず、全身から声を出し選手を鼓舞してきた。それが指導者としての当然の姿と思ってきた。
 だが、彼は全く違う。

 常に冷静にピッチを見回し、ボールを目で追わずにピッチ全体を見ている。時折マネージャーの伊那さんが付けているノートを眺め、何事か指示を出す。

 ハーフタイムにも大声で選手を盛り上げたりせず、むしろ冷静な指示を細かく出している。

 これがプロフェッショナルなのか!
 これがプロの指導者による指導なのか?

 一美は頭を大木槌で殴られたようなショックを受ける。今までの自分の指導は間違っていたのか? 例え都大会に出場できたとしても、その後高校バレーで活躍した生徒は皆無だった。健太を見て一美は思い知る。熱いハートや折れない気持ちを教えるよりも、確かな技術と戦術を教えるのが本物の指導者なのであると。

 そう考えた瞬間、観客席とベンチが一瞬の沈黙の後、

「ああああああーー」

 と言う失意に覆われた。グランドを見ると、どうやら相手のゴールが決まったらしい。咄嗟に、
「あと、何分?」
「三分、とアディショナルタイム」

 りんりんが震える声で呟く。
 あと三分も? それにアディショナルタイム?
 永野さん! 一美は思わず叫ぶ。

 健太はゆっくりと一美を振り返り。不思議なことに笑顔を、本当に笑顔を一美に送ったのだ。
 健太は一美のところに歩いて行き、
「大丈夫。観ていなさい。必ずこのまま勝つから。」

 この人が言うのなら、間違いない。マネージャー達もその一言を聞いて顔色が変わり、
「大丈夫! あと少し!」
「守って、守り抜いて!」

 健太は、イヤイヤと言って、
「違うんだ。ここからあと一点、ウチが取る。」

 もえとりんりんはハア? 何で? 守り切れば勝ちじゃん、と捲し立てる。
「そう。普通はこのまま守り切りたい。人数も少ないし、守り切ろうと誰もが思う。敵ならならおさ、ね。だから、そこに隙が生まれるーほらみてごらん。相手は全員こっちの陣地に入ってるよね、ゴールキーパーさえ…」
「「「あ…」」」
「そ。ここでまずボールをこっちが確保する、そう、いいぞユーキ。そしてすぐに!」

 G Kの小谷は健太の意思通りに、相手のシュートをキャッチするや否やパントキックで前線に一人残っていた茅野に低弾道でパスを送る。茅野はそのパスを難なくコントロールし、完全に独走体勢に入る!

「相手には守る気持ちが無くなっていたね。そこを冷静に見極めれば… うん。これで3―1。残りはアディショナル二分だっけ?」

 もえとりんりんの二人は大絶叫中だ。バレーボールのアタッカーより高く飛んでいるのでは無いか。キョンは一人、

「なる… 程… これは…」
 と唸っている。

 一美は観客席を振り返る。親達はもはや一塊になり、抱き合い飛び跳ねている。いいな。ほんと、いいなこの光景。
 私がこの学校で求めていたもの、望んでいたもの。
 どんなに所得に格差があろうと、どんなに生まれ育った環境が違くても、子供の活躍を喜ぶ親の姿に違いは無い。

 確か、リストラにあって今無職のM F大町の父親はそんな親達の中でも一番高く飛び跳ねている。病み上がりだと言う沢渡の母親はいつ寝込んでいたの、と言うほどピョンピョン跳ねている。

 やがて試合終了のホイッスルが後ろから聞こえてくる。

 ああ、今日も試合をしっかりと見ることが出来なかった。これじゃ顧問失格だな。そう思いながら相手のチームの顧問の先生に挨拶をしベンチに帰ってくる。三人のマネージャーが一美に飛びついてくる。それに倣い二年生の岡谷、茅野、木崎らが一美に抱きついてくる。

 オメーら、セクハラだろそれ!
 キョンがキレる。

 いいの、伊那さん。この瞬間だけは、これはそうではないの。

 そう心で語りかけながら、一美は彼らの抱擁に応えるのであった。
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