第2章 第3話

文字数 2,605文字

 なんて退屈な春休みなのだろう。早く新学期が始まって欲しい。そう思いながら須坂あかねは塾からの帰り道をブラブラと歩いていた。

 あかねは地元の中学校に進まず、受験して超有名大学の一貫校に通っている。合格した時の父の笑顔は今でもよく覚えている。父は有名メーカーの人事部長で次期役員候補の一人らしい。父の出身校でもあるこの学校は高校までは女子校なので、そこは男子が苦手、というよりは毛嫌いしているあかねには大いに救いなのである。

 別にL G B Tな訳ではなく。男子が近寄るとゾゾ毛が立ってしまう。そのきっかけとなった出来事は去年の夏休み。

 代々木にある塾の夏季講習を終え、J R蒲田駅を出て帰宅途中。コンビニの前に屯していた地元の不良達に絡まれたのだった。
 ラグビーで鍛え抜かれた父と違い、あかねは母親似の小柄で華奢である。しかも元女子大のミスコン優勝の容姿の母親に似、今の学校でもクール美人キャラで通っている。

 そんなあかねは、不良達にとってミシュラン五つ星ほどのご馳走に見えても仕方がなかった。そんな道を帰路に選んだあかねの間違えなのだ。
 俺らが悪いんじゃねーぞ、お前が可愛すぎんからだぞ、と口々に言いながらあかねは不良達に拉致られようとしていた。両手を掴まれ、後ろから羽交い締めにされ。両胸を揉まれた時には気を失いそうになった。

 通りすがりの誰も助けてくれないのがショックだった。一人の学生風が「やめろよ」と呟くも、不良達のひと睨みで慌てて走り去っていく後ろ姿に、人生の無常を感じた。

「オメーら。ダセーことやってんじゃねーよ」

 黒色のワゴン車に押し込まれようとされていたその刹那。背後から野太い低い声が聞こえた。

「ああ? トラかテメエ。先輩が何しようとテメエに関係ねーだろ」
「何ならオマエも一緒に来るか? これは上玉だぞ。」
「オメー、ドーテーだろ? 捨てさせてやるから、一緒来いや」

 トラ、と呼ばれた男がゆっくりと近寄ってきた。その場の誰よりも背が高くガッチリしている。建設作業員か何かだろう、どちらにしても不良感ハンパない…
 絶望感にあかねが打ちのめされようとした、その時。

 一閃の風が吹いた。

 リーダー格の男が吹っ飛んだ。
 そのトラと呼ばれる男が獣となった。
 残りの二人の不良は声を上げる暇もなく、道路に崩れ去った。
 呆然としているあかねの手を取り、トラは走り出した。あかねはされるがままに引き摺られて行った。

 駅前の賑やかな通りに入り、トラは小走りをやめ手を振り解きながら、
「あれはオマエが半分以上悪い。こんな時間にあんな道通ったら、あーなるに決まってんだろが。バカかオマエ。ジョーシキがねーんだよ、ジョーシキが。」

 他人に、ましてや大好きな父親からにさえ、これ程キツく窘められたのは幼い子供の頃以来だろうか。あかねは素直に、
「ありがとう、ゴメンなさい。」
 と頭を下げ、改めてそのトラと呼ばれる男を見上げた。

 ややロン毛で真っ赤な髪。ブカブカのTシャツ。ダブダブのカーゴパンツ。ごっついスニーカー。この蒸し暑い時期に蒸し暑い格好。誰がどう見ても立派な不良だ。
 だが不思議とあかねに恐怖心は湧いてこなかった、そりゃそうだ、たった今女子として最悪の境地から救ってもらったのだから。
 女子校に入り男子と喋る機会が塾しかないあかねは、普通ならこれ以上会話が続かなかっただろう。だが今はこんな状況のせいか、口が止まらなくなっていた。

「そうなの、いつもはあんなところ通らないのだけど。今日はこれから家で父の誕生パーティーがあるので、つい近道をと思って通ってしまったの。」
 公立中学で共学のトラはフツーに女子と喋り慣れている。
「ったく。あそこは俺でも一人じゃあんま通らねえぞ。これからはよーく注意しろよっ」
「わかっている。二度と通らないよ。それにしても、えっと、トラくん?」
「あ?」
「トラくんって、メッチャ喧嘩強いんだね。あの人達二十歳ぐらいでしょ? あなた高校生?」
「いや。今中二だけど」
「え…… 私と一緒… じゃん…」

 そこは普通にショックだった。どう見ても同じ中二には思えなかったから。
「それより… 大丈夫なの? 後で復讐されたりしない?」
「あー、あいつらは平気。チームにも入ってねーし、チャラ男だし。今度見かけたら更にブチのめすもある。」
「やめなって。喧嘩はダメだよ」
「でもオマエは喧嘩で助かった」

「それよ。人生って矛盾と無常だらけだと思わない? こんなに真面目にちゃんと生きている私があんな非道を働かれて。そしてそれを私が最もこの世で軽蔑する暴力で救われるなんて。一体この世の中はどうなっているのよ!」
「バーカ。結局、力があるヤツが権力を握るんだよ。サッカーも力があるヤツがプロになって札束貯められんだよ。力だよ、力。」
「でもそれは別に暴力とは限らないじゃない。あなたの言うサッカーの力って暴力? 違うでしょ。私が言っているのは、暴力が何故私を救ったのかってことなの。毛嫌いしているものに身を助けられた今の私の気持ち、あなたに想像できる? 冷たい烏龍茶かと思って一気飲みしたら実は蕎麦つゆだった位の衝撃なのよ、私には。」

 トラという少年は何だか済まなそうな顔をしながら、
「オマエ、友達に「赤毛のアン」みたいって言われねえか?」

 心外だ。あまりに心外である。あんな野蛮な男の子に、よりによって脳内お花畑少女呼ばわりされるとは。

 怒りのあまり、あかねはお礼も言わず、さっさとタクシー乗り場に歩き出し、自宅までタクシーで帰宅した。
 父親にこの顛末を三十分かけて話すと、
「あかね。いつかその少年に会ったら、ちゃんとお礼を言わなきゃダメだよ。そうでないと、その少年は救われないよ」
「? どういうこと?」
「その少年は危険を顧みず、あかねを助けてくれたんだよね。三人もの相手達に向かって行ってさ。だから、もしあかねがその行為に感謝しなければ、彼は自分の行為を正当化できなくなるんじゃないかな。もう二度と、他人の危機を救うことはなくなるんじゃないかな」

 ハッとした。

 父親の言う通りである。
 あかねはトラの暴力行為にばかりに目が行ってしまい、人を助ける、というその素晴らしい行為自体に感謝と尊敬の念が至らなかったのだ。

 アイスコーヒーを美味しそうに飲んでいる父親を見ながら、いつかトラにお礼をちゃんと言わねば。そう決心しー
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