第6章 第7話

文字数 2,011文字

「な、永野サン… ホントに、アタシ、クイーンと話せるんだよね? これ、夢じゃないよね…」

 亜弓が半分嬉しそうに、半分怯えながら健太に伺う。どうしてこの子は島田の事をこんなに仰ぎ見るのだろう。サッパリわからない。

「生意気な女だって、追い出されないかなあ… 嫌われないかなあ… あー、マジキンチョー」

 そんな亜弓を愛おしそうに健太は見詰める。そんな母親をトラはウザそうに見下す。

 東西線の門前仲町駅を降り、エスカレーターで地上に出る。もうすっかり初夏の夕暮れの街並みに、懐かしさも込み上げてきて健太は目を細める。

 健太は思うところがあり、また前々からの亜弓との約束もあり、生まれ故郷である門前仲町の『居酒屋 しまだ』に亜弓を誘うと、まるで子供みたいに彼女は飛び跳ねて喜んだのだった。

 前もって島田光子に連絡を入れると、驚くことに彼女は未だにガラケーであり、電話しか受け付けないそうだ、

「おお、いつでもいいぞ。え? 女、子供連れ? やるじゃんかケンタ。見せろ会わせろ!」

 と言ってくれたので、金曜日の練習後、いやがるトラを引き摺りながら三人で電車に乗ったのだった。

「大分、普通に歩ける様になったな、トラ」
 若干、左足を引き摺りながら、
「まあな」

 最近のトラは、暗い。それもその筈だ。あれだけ出場を心待ちにしていた二次リーグを全て棒に振ってしまったからである。

 救急車で運ばれ、二日程入院して足を固定し、松葉杖で登校すると、学校中の生徒がトラをいじり倒したそうだ…
 但し。サッカー部員の落胆ぶりは半端なく、トラ抜きで私立の強豪校と戦える筈がない、と弱音を溢していると、

「オメーら、まだそんな事言ってんのかコラ。何度言えばわかんだよ、やる前からー」
「諦めんじゃねーよって… オメーのせいだろがトラっ!」
 と逆ギレされてちょっと大変だった様だ。

 それでも練習にはトラは毎回顔を出し、特に下級生、新入りの三年生に懇切丁寧に厳しく激しく熱く指導している。
「そう言えば、副校長の中野先生が更迭されたらしいな?」
「コーテツ? 何それ、硬いの?」
「…… 副校長が、クビになったんだろ? 理由知ってるか?」
「知らねーよ。てか、ザマーミロってーの。アイツ前からサッカー部を目の敵にしてやがったから。バチでも当たったんじゃね?」
「ふーん。前会った時は下手に出てペコペコしてたなあ。まいっか、どーでも」
「それよりー、何処だよその店。てか、何でオレまで行くんだっつーの。面倒くせー」

 亜弓がトラの頭を叩き、
「永野サン、まだ?」
「ああ、ほらそこ。古民家風のー」
「ヘーーー。さすがクイーン。素敵な店じゃんか、なあトラ!」
「知るかよ。それよか、腹減って死にそー」

 こんなにしおらしい亜弓を見るのは初めてである。健太とトラは目を真丸にして、亜弓の様子に唖然としている。

「おうケンタ! よく来たな。元気だったかあー」

 変わらないクイーンこと島田光子が威勢よく声を掛ける。

「島田、久しぶり。お邪魔するな、で、こちらが蒲田でスナックやってる、お前の大ファンの松本亜弓ちゃん。それとその息子のトラ」

 亜弓はヨロヨロと歩み出て、
「ずっと、ずっと憧れでしたっ 深川のクイーン…」

 クイーンはニッコリと笑い、
「おうっ よく来たな。まあ座れ。今夜はアタシの奢りだ! しこたま飲んでけ!」

 亜弓はきゃーーと絶叫し息絶える。享年三十五歳。

 クイーンは満足そうに亜弓を眺めた後、トラを一目見て、
「デカ… オメエ、二十歳か?」
「十四。中三」
「…嘘だろ …老けてんなー。だけどー」

 クイーンが見上げながら。
「いい目、してんじゃん、トラ。腹減ったか? 好きなもん食ってけ!」
 トラは何故かドキマキして、
「おいっす…」
 なんて裏声になっているし。

 トラは夢現の母親を無視し、健太に、
「…誰?」
「俺の中学の同級生。昔、ここいらでヤンチャしてた、深川のクイーン、こと島田光子」
「ケンタと、タメ? 嘘つけ。え? ってことは、今年、50? ウッソ、あり得ねえ…」

 クイーンは満面の笑顔で、
「おう、坊主。何食うんだい?」
「え、えっと。焼きそば」
「ハイよっ 忍、焼きそばメガ盛り一丁♩」
「ハイよっ 姐さん」

 厨房の奥で、明らかにクイーンより年配の中年太りした女性が声を上げる。
「信じらんない… 目の前にクイーンがいる…」
 すっかり目がハートになっている亜弓に、
「ケンタからちょっと聞いたんだけど。アンタも蒲田の方で、暴れてたんだって?」
 イヤイヤ… 手を顔の前で振りながら、
「そ、そんな。クイーンに比べたら、可愛いモンっす。蒲田のレディース、ちょっと仕切っただけっす…」
「へー。蒲田のどこよ?」
「デビルキャッツ、っす」
「ふーん。何人くらいいたん?」
「えーと、アタシんときで、五十位っすか… あの、二千人束ねてたって、マジっすか?」

 亜弓の幸せの時はゆっくりと過ぎて行き、トラの空腹は徐々に解消されていく。
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