第5章 第9話

文字数 1,599文字

 一体、何年ぶりにここに来たのだろう。川崎フロンティア栗平グランド。玉川電機時代からこの練習場でどれ程の汗をかいただろう。

 感慨に耽っている健太の後ろでは、蒲田南中の生徒達が呆然としている。

「芝… 天然芝…」
「お、俺、こんなグランドでサッカーすんの、初めてかも…」
「そ、それな… マジかよ…」

 嘗ては土のグランドだったのだが、健太が引退しJリーグに昇格した頃に、総天然芝に張り替えたのだ。

 まるで母校を訪れた気分となる健太の元に、コーチらしき青年が近寄って来る。
「永野、さんですか。遠い所までようこそいらっしゃいました。U15コーチの下田と申します。どうぞこちらへ」

 思わず深々とお礼のお辞儀をし、後ろで恐れ慄いている生徒達に声をかける。
 グランドでは既にU12と思しき選手達がチョコマカ動き回っている。

「うっま… あれ、小学生、だろ?」
「スッゲー… あの子達にオレら勝てるかー?」
「それなー」

 最早、完全に名前負け状態である。

 そんな生徒達を試合前に集めて、
「今日は20分を三本。一本目は慶王戦のメンバーで。二本目から新入りのメンバー加えていくぞ。それとー」

 試合前から顔面蒼白な多くの生徒に向かい、
「今日、お前ら何しに来たの?」
 と問いかける。

「小谷。お前今日何しに来たの?」
「それは… 強豪と試合しておくことで…」
「強豪? そんなもんじゃないよ、彼らは。木崎、お前は? 何しに来た?」
「えっと… それは…」
「サワ。お前は?」
「やっぱ、打たれ慣れておくというか…」
「ハーー。ダメだ、そんなんじゃ。ここに来た意味ねえ。トラ。教えてやれ。お前、今日何しに来た?」

 トラは既に虎の目を光り輝かせながら、
「勝ちに来たに、決まってんだろーが!」

 平谷を除く全員が目を見開き、
「それは… 流石にトラ…」
「いやいやいや。いくらトラくんがいてもさ、それは…」
 と首を振りながら弱気を口にする。

「20分が三本だろ? チャンスは三回あんじゃねーか。どれか一本でも勝ちゃいいじゃんよ。何お前ら、同じ中坊相手に、一本も勝てねえ気でいんのか、最初から? ああ?」
 トラの顔が怒りで赤くなる。
「言ったろ、こないだ。やる前から諦めんなって。相手がJユースだろうと、やる前から逃げてたら、ぜってー勝てっこねーだろーが」

「まあ、そうだけど…」
「でも、あのフロンティア、じゃん…」
 トラは突如、ニヤリと笑う。
「あのさ。サッカーって遊びだろ? 違うか?」
 全員がキョトンとする。

「試合で負けたら殺されるとか、金取られるとかじゃねーじゃん。単なる、ゲームじゃん。お前らゲームするときもそんな弱気なのか、ええ?」

 うーーん。ゲーム。サッカー。何か違う気がするが。でも、トラの言わんとすることは皆何と無く分かり始める。

「相手は最初からオレらなんて眼中ねーんだよ。なんでもチームのレジェンドの我儘に仕方なく付き合ってやるかって感じだろ? そんなオレらがよ、もし一点でも取ってみろよ。死ぬほどビビんぞ、アイツら」

 まあ、そーだろうな。徐々に下を向く選手が減り始める。
「相手の監督コーチ、激怒すんだろ。どーよオメーら。アイツら凹ませてやろーぜ。だってゲームなんだからよ。楽しまなきゃつまんねーだろ?」

 全員が顔をあげた時。
「トラの言う通り。点差なんて気にするな。今お前らが出来ることを全部出してこい。そしてちょっと余裕がある奴は、今までやったことない事してこい。失敗、大歓迎だ!」

 皆の表情が緩む。
「Jユース相手に。なあ茅野、マルセイユ決めたら一生自慢できるぞ。違うか?」
「おおおおおお! やる! で、どーやるんすか? マルセイユルーレットって?」
 皆が声を立てて笑う。

「スポーツなんて、元々全部遊びなんだよ、トラの言う通り。勝ち負けを気にするのは大会だけでいいだろ? 今日は思いっきり遊んでこい。わかったか?」

 皆が笑顔でハイッと返事をする。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み