第3章 第11話

文字数 1,573文字

「どう、中々美味しかったでしょ」
「うん、ちょっとビックリ。食べログとかに出てないのに、凄く美味かったよ」
「そ。大将そーゆーの大嫌いなんだって」
「はは、何となく分かる…」

 帰りの国道一号線をノンビリと戻りながら健太は膨れた腹を摩っている。後部座席ではトラが気持ちよさそうに寝息を立てている。

 亜弓がポツリと、
「コレが、したかったの」
 と呟く。

「旦那とトラと三人でさ、ドライブして。そんでこーやって昔の仲間んトコ行って、馬鹿話しながら美味いもんつついて。」
「そっか…」
「永野サントコは… 昔はこんな感じだったんじゃない?」
 健太は俯きながら、
「いや。家族で出かけた事は、殆どない。こんな風に墓参りしたり外食したりなんて、克哉がほんの小さな頃に数回しか…」
「そっか。ま、色々だね」
 亜弓の消え入りそうな呟きに溜息で返事をする。

「何なんだろうな、家族って。両親が健在でも旅行一つしない家族もあれば、君達みたいに親子二人でもこうして楽しくやっている家族もあるし。」
「でも… でもね、トラも… 私も…」
「……」
「やっぱ、寂しいんだよね… 父親が… 夫がいないってコト…」
「亜弓ちゃん…」
「だからね、今日はアタシら、メチャクチャ楽しかったんだ。初めてだから、三人で出掛けて、飯食って、昔の仲間とワイワイやって… そんで…」
「……」
「こーやって家に帰るってーのが…」

 語尾が鼻を啜る音で聞き取れなかった。健太も今日ほど家族というものが暖かく癒されるものだとは知らなかった。
 頬をピンク色に染めて嬉しそうにハンドルを握るあゆみを眺め、健太も最高に幸せな気持ちになると同時に、良子や克哉とこの思いを持てなかった自分の半生に激しく後悔と慚愧の念に駆られるのだった。

 良子、すまん。克哉、許してくれ。

 全てオレがいけなかった。仕事を理由にお前らを省みることが出来なかった。
 健太はそっと目を閉じる。瞼に浮かぶ良子と克哉。どれだけ反省してももう二度とやり直せない。本当にすまなかった。健太は生まれて初めて、心から自省した。 

 そして。ゆっくり目を開け、隣を見る。

 心がかつてない程に軽く、そして暖かくなっていく。後ろを振り返り、口を開けて寝息を立てているトラを見る。この暖かさを注ぎ込みたくなる。

 あの日、須坂が言った言葉、
『どうして自分を省みないんだ! 永野』
 と言う叫び声が蘇る。

 今やっと、須坂の思いが健太に届いた気がする。
 そうなのだ、どうして自分は己を省みなかったのだろう。自分の仕事ぶりを反省しなかったのだろう。自分の家族に対する考えを改めようとしなかったのだろう。

 須坂とは同期入社で同じ運動部。互いに引退するまで部の垣根を越え、認め合った仲であった。それぞれ出世を重ね、健太が営業部長、須坂が人事部長に収まった頃には新人部長同志、新橋あたりで良く杯を交わし会社の将来を語り合ったものだった。

 だがー 時世を省みず、ハラスメントの重要性を軽んじた健太はどん底に落ち、一方の須崎は次は執行役員の筆頭、と噂されている。
 須坂からは何度もそれとなく注意されてきたーパワハラには気を付けろよ、と。

 そしてー

 半生を省みた健太は、生まれ変わったように心が軽くなっているのを感じる。
 夕暮れが近づき、街の色が淡くなっていく。
 丁度多摩川を渡る時、川面に映る夕陽が健太の目に入る。
 やり直したい
 もう一度、やり直したい、家族というものを
 この隣の女性と
 後ろの少年と
 叶わぬ思いについ苦笑いをしてしまう。

「どーしたの永野サン。あ、夕ご飯食べてくよね?」
 でも、叶わぬ夢を見るのは自由だ。叶わぬ夢を追うのも自由だ。
「ありがと。是非」

 後ろを振り返るといつの間にか目覚めてスマホを弄っているトラと目が合う。戯けたように白目を向くトラに、優しく微笑みかけた時、車は家に到着した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み