第4章 第10話

文字数 2,064文字

「それで、あの子達五時までずっと作戦会議してたんですよっ 凄い進歩じゃないですか?」

 一美は興奮する様に健太に捲し立てる。健太は目に見えない唾飛沫を顔一杯に浴びながら、一美の話を聞いている。

「それにしても伊那さんはサッカーに詳しいですよね、私彼女が何言っているのか殆ど分かりませんでした。元々成績はトップクラスなんですよね。中学受験を親の経済的な都合で諦めて… あの子は本当に偉いです。」
「へえ、キョンはそんなに成績良いんだ。見た目はアレなんだけどね」
「これも全て、『環境』ですよね… でもあの子は周りに流されずにしっかりと自分を持っていて。子供ってわかりませんね」
「先生… 先生でもそんな風に思うんだ?」
「まだまだ未熟です。まだまだ精進しなければ。はい」

 健太は一美を眩しそうに眺める。そして心から尊敬してしまう。

 夕食を食べようとスーパーに買い出しに出ると一美から連絡があり、今日のミーティングのことを報告したいから蒲田でお茶をしないかと誘われた。
 先週待ち合わせたカフェで一美は興奮した様子でミーティングの様子を語り、それを黙って健太は聞いていた。

 どうやらキョンは昨日のアドバイス通りに、いやそれ以上に上手くやった様だ。即ちー二年生のやる気を引き出す事に成功した様だ。

 一年生が二人加わり、十一人で慶王と闘う上で、健太が最も懸念していたのが、この『モチベーション』であった。トラを中心とした四人の三年生は元々図太い奴らなので、慶王相手でもいつも通りにプレーするであろう。また新一年生の二人は良い意味で周りが見えてないので、純粋に久しぶりのサッカーの試合を楽しむことであろう。

 問題は、二年生。ある程度現実が見える奴等だけに、格上の相手、それも経済的に裕福な私立校相手というだけで戦う前から半分諦めムードだったのだ。

 ここまでの二試合は実力が伯仲していたので、彼等もワンチャンスを求め必死に戦っていたが、慶王相手だと試合の前から相手に飲まれてしまっていたのだった。
 それをキョンは悟り、このままではマズいのでは、と先日健太に訴えたのだった。まさかキョン個人にそんな事情があるとは知らなかったのだが。

 今思うと確かにキョンの須坂あかねに対する態度はやや不自然というか無理していた感は否めない。家の事さえなければ、先輩後輩になっていたであろう、自分とあかね…

 だが、これで勝利への準備は半分整った。後は週末の試合に向けて実戦的な練習をするのみである。
 どうやら慶王は蒲田南中なぞ眼中に無いようで、初戦も二回戦も偵察らしい部隊はいなかった様だ。
 試合前の準備。どうやらウチに分がありそうだ。
 健太は明日からの練習をイメージしようとー

「永野さん、この後お食事一緒に如何ですか?」
 断り難い魅力的な笑みで笑いかける一美に、
「そうだね。何食べようか?」
「羽付き餃子セットは如何ですか?」

 この体育会系らしい申し出を断る術を健太は持ち合わせていない…

 それにしても、このB級グルメ店に先生は似合わない。健太は苦笑いしながらビールジョッキを傾ける。
 周りのテーブルのおっさん、学生達がチラチラこちらをチェックしているのを感じる。見た感じはとてもアラフォーには見えない、知的クール眼鏡美女。髪の毛は少し染めているようだけれど、それがまた良い。

 こんな美人は会社には殆どいなかった気がする。亜弓とは全く真逆のタイプの美人だ。
 本当に、このひと月オレはどうなっちゃたんだろう。先生や亜弓のような美女がすぐそばにいるなんて…

 サッカー一筋、営業一筋で生きてきた健太にとって、人生で初めて舞い上がっている。
 サッカーのピッチ上以外では全く周囲が見えなかった健太が、実は学生時代からモテていたことを本人は知らない。会社に健太のファンクラブがあった事も認知していなかった。マジ、クソ野郎であった!

 亜弓といる時には家庭感溢れる幸せを、一美といる時は俗世から離れた癒しを感じる。正直どちらかと言えば、亜弓と一緒にいる方が健太は幸せなのである。だが、女子慣れしていない健太には、知的クールメガネ美女は眺めているだけで男としての幸せを感じてしまうのだ。

 本物のクソ野郎である。
 そしてもっとクソなのが… 健太は一美の気持ちに全く気付いていない! こんな女性が自分のような落ちこぼれを相手する筈がない、と信じ込んでいる点である。よーく考えれば、相手は教師。落ちこぼれ慣れしている上に、熱いハートを持っている。何とかトラ達を勝たせたいと熱く指導する健太は、一美のストライクゾーンど真ん中である事に、一ミリも気付いていないのだ。
 
 体育会系一筋の遊び慣れしていない健太。体育会一筋の生真面目なアラフォー独女の一美。餃子定食を食べ終えビールジョッキ二杯飲み終えると、互いにどうしていいかわからない。

 健太はもう少しだけ、一美はずっと朝まで一緒に過ごしたいのだが、互いにどうしていいかわからない。

 別々の帰路につきながら、健太は軽く、一美は深―く落ち込んだものだった。
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