第4章 第3話

文字数 2,855文字

 数時間後。栂は初めて入るオンボロのスナックみたいな店に入るや否や、
「しかし… なんともレトロな店っすね…」

 カウンターを拭いていた長身の女性が
「ハア? 馬鹿にしてんのか、このチビがコラ!」

 亜弓に凄まれた栂は怯えた表情となり、
「いえいえいえそんな馬鹿になんてしてませんよそれにしても綺麗なママさんですよねタクさんケンタさん!」
 亜弓は目を細め、
「オメー、若いくせに口ばっか達者だなあオイ。永野サン、コイツ本当に大丈夫なの? これでチームの監督なんて…」

 飯田は大笑いし、健太は苦笑いする。

 三人はカウンターに座り、亜弓がドンと置いた瓶ビールに栂が手を伸ばす。
「いやー、それにしても。さすがタクさん。参りました」
 と言って栂は飯田のグラスにビールを注ぐ。健太はニヤリと笑いながら、
「おいタク、お前またコイツと賭けてたんじゃねーだろうな?」
 飯田もニヤリと笑いながら、
「いいじゃないっすか。正樹にもいい勉強になったでしょうし。でもよくあの人数で『圧勝』しましたよね、さすがケンタさん。」

 三人の後ろで、試合を終えたばかりの生徒とマネージャー達が大はしゃぎで騒いでいる。そんな中、マネージャーの一人、キョンが健太の席にやってきて、
「永野サン、ハイこれ。今日のスタッツ」
 と言ってノートを健太に差し出す。
 そのノートを覗き見した栂が、
「ヘーーーー、キミ、凄いね。これ凄く正確。どお、将来ウチに来ない?」
「い、いやあ、まだまだっす…」
 キョンは照れ臭そうに俯く。

 健太が一通りチェックし、飯田に手渡す。飯田もそれをサッと眺め、栂に渡す。健太はトラを呼び、栂の横に立たせる。
「栂正樹。フロンティアのU18の監督さんだ。今日の試合を見学していたんだ。」

 トラは特段興味なさそうにチーっすっと挨拶をする。栂はトラを一瞥し話し始める。
「今日の試合。このデータ通り、パス成功率、半端ないねキミ。ただ後半、動きがガクッと落ちてパスミスが増えてるんだよな。当分の課題はスタミナだな」
 トラはめんどくさそうに、
「わかってるって。うっセーな」
 栂は唖然と、飯田は苦笑いする。健太は大きく息を吐き出す。

「ケンタさん、コイツ、コレがノーマルなの?」
 健太はグラスを一気に呷りながら、
「まあ、そう。」
 トラを上から下まで眺め、鼻で笑いながら栂は
「そっか。こりゃ日本じゃ厳しいな、オマエ」
「は? 意味不」

「技術はある。ウチの奴らにも全く引けをとってない。ガタイもいい。特に体幹がしっかりしてる。だけど、お前のその態度。年長者にそんな態度とる奴、この国では誰も相手しないよ」

 トラはハーと息を吐き捨て、
「ウザ…」
「仕方ねーけど、それが日本って国なんだよ。礼儀、礼節。監督、コーチ、仲間に敬意を払えない奴はこの国ではスポーツやる資格がない」
「ハイハイ、そーですね。ウザ」
「ま、全てオマエ次第。割り切ってテキトーに敬語使って頭下げて、やり過ごすって手もあるぞ、俺みたいに」

 栂がニヤリと笑いながら言うと、トラは首を傾げる。
「俺もな、先輩とか目上とか、大っ嫌いなの。敬語とか消えてなくなりゃいいと思ってんの。試合中に『パスをください』なんて言ってる暇ねーだろが。だろトラ?」
「…まあ、そーかな。」

「ピッチの中はいいの。先輩だろうがレジェンドだろうが、怒鳴りつけてもいいの。だけどな。ピッチから出たら、そこは日本国なの。日本の伝統に従わないと、生きていけないの。誰にも相手されなくなるの。相手をリスペクトして生きてく国なの。リスペクトってわかるよな、敬意を払うってこと。それってズバリ、相手に敬語を使って相手をリスペクトするってことなの。」

 トラはカウンターに肘をついて顎を乗せ、大きな溜息を吐く。
「だから、それが嫌なら海外出るしかないの。あっち行ったら、敬語なんてないし。二〜三こ上でもタメ扱いだし。」
「ふーん。」
「ただ。生活は過酷よ。日本みたいに平和な国なんて無いからな。スリ、ひったくり、置き引きは当然。物を盗まれる方が悪い。もっと言えば、殺される方が悪い、までもある」

「はは、ははは… あのさ、アンタ海外で?」
「ああ。高校の時、エラソーな先輩ぶっ飛ばして、全く反省しなかったらチームクビになって。そんでスペイン行ったんだ。このケンタさんのアドバイスに従ってさ。ね、ケンタさん」
 健太は懐かしそうな顔でゆっくりと頷く。

「まあ、コイツは今のお前より酷かったかもな。試合中に味方にキレる。審判にキレる。コーチ、監督にキレる。手のつけようの無い、『天才』だったよな、マサは。」
 トラはゴクリと唾を飲み込み、栂の横顔をジッと見つめる。

「そ。あの頃、周りが下手過ぎてやってられなかったの。そんでスペイン行って、すぐに気づいたの。『井の中の蛙』って言葉に。日本ではボール取られたことなんて中学以来一度もなかったのに、あっちでは簡単に取られちゃうの。ペナ内のシュートも外したことなかったのに、あっちではあり得ない角度から足がブロックしてきて、シュート打てないの。ドリブルしてもすぐに掻っ攫われる。トラップした瞬間に体ぶつけられてボール取られるの。二年で心バキバキに折れて帰ってきたの」

 トラがこんなに真剣に人の話を聞いているのを初めてみた。コイツ息をするのを忘れているのでは、と思わせるほどだ。

「でね。帰国して考えたの。この先オレ、どうしたいかって。サッカーはやめられない。それは絶対無理。だからこの国でサッカーを続けるしかない。ではその為にはどうしたらいいか。ね、ケンタさんに聞きに行ったんだよね」

「あはは、懐かしいー。スペイン行く前は王様気取りだった奴が落武者みたいになってな」
「…落武者って… で。そん時に言われたのがー オマエ、この国でサッカーしたいなら、とにかく他人を敬え。嘘でもなんでもいいから、見かけ上相手を敬え。そうすればその内慣れるってね。今思うと、とんでもないアドバイスだなこりゃ」

 健太と飯田は声を立てて笑う。トラはかつてない程真剣な顔で話の先を促す。

「でもね。ケンタさんの言う通りだったの。何とかチームに戻ってとにかく慣れない敬語使って、先輩やコーチを敬ったの。そしたらさ、相手の態度がガラッと変わったの」
「どんな風に?」
「先輩やコーチがさ、オレを敬ってくれたの。オレをチームの絶対的な中心選手として、敬ってくれるようになったの。」
「そうなん、ですか…」

「そう。スペイン行く前は小言ばっか言ってた奴らが、怪我の心配とか体調の心配してくれたり。あと筋トレのアドバイスしてくれたり。飯奢ってくれたり。もう全然扱い変わって。でさ、ある日聞いたの。なんで態度変わったんすかって。そしたら、「オマエが変わったから。俺たちも変わった」って。ああ、コレかーケンタさんの言ってた事って。オレが周囲に敬意を持てば必ずみんなはオレを敬ってくれるー」

「「「「「「「なーるーほーどー」」」」」」」

 気がつくと、全生徒とマネージャーが栂の話に聞き入っていたものだ。
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