第2章 第7話

文字数 1,848文字

「あかね。どういうことなんだい。どうしてこの男と一緒なんだい。説明してくれ」

 家庭では決して見せた事のない、冷たい立ち振る舞いにあかねは動顛する。

「え、えっと、永野さんはトラくんの中学のサッカー部のコーチをしていて… それで」
「コーチ? 確かこの男は自宅謹慎処分中の筈なのだが。そうだよな、永野?」

 健太は項垂れて動けなくなっている。

「蒲田駅の繁華街で大乱闘して留置所に入った男が、中学サッカー部のコーチ? 自宅謹慎はどうしたんだ。説明してくれ永野。」
「そ、それは… たまたま…」
「あかね。この男はトラくんとは違うんだよ。酒に溺れ仕事や家庭の不満を暴力で解決しようとした、人間のクズなんだよ、クズ。」

 亜弓がキッとなり、
「ちょっと。クズってなんだよ。それはいいすー」
 須坂はムッとして、

「クズなんだよ! 時世を理解せずにパワハラを止めない。家事の一つもしないくせに家長として妻や子供に偉そうに振る舞う。挙げ句の果てに、酒に溺れ暴力に呑まれ警察の世話になる。一切自分を見つめ返そうとしない。何でも他人や会社や社会のせいにする。世間ではこのような人間をクズと呼ぶのではありませんか?」

 亜弓は言葉が詰まり、何も言えなくなる。

「トラくんは暴力沙汰を起こしたものの、それは社会や自己に対する不満によるものなのではなく、それしか解決法のない他人を救う手段として行使した。もし彼が暴力を行使しなければ今頃娘は体と心に大変な痛手を負っていただろう。違うか、あかね?」

 あかねは首を垂れる。

「それに対し。お前はどうなのだ永野。自分を省みたのかこの謹慎期間中。その結果がこれか。昔の栄光を振り翳してサッカーで中学生の指導だと? 全然反省してないじゃないか、ただサッカーに逃げているだけじゃないのか! 」

 須坂の言葉が健太の胸に突き刺さる。

「どうして自分を省みないんだ! どうしてもっと周りを見ようとしないんだ、永野!」
 須坂は吠えるように健太を責め立てる。
「そんなお前がこの子達にサッカーを指導? 笑わせるな! この子達に失礼だろう。お前みたいな自分を見つめ返そうとしないクズに指導されるなんて!」

 残っていた生徒達は口をポカンと開けて、この上品な紳士の逆鱗を傍観している。この人が何を言っているのか、半分も理解できなかったが、どうやら永野コーチを悪く言っているのに間違いはない、そう感じた彼らは

「そーゆーの、イイっすから。俺ら、別に」
「実際、コーチ教えるの上手いし。サッカーもメチャ上手いし」
「てか、アンタ誰? 何勝手に語ってんだよ。アンタカンケーねーだろ」
 健太はちょっとビックリした。こいつら、こんな事を言うなんて…

「いーんじゃねーか。サッカーに逃げたって。」

 トラが立ち上がって須坂に向かい直る。

「何もしねえで酒に逃げ込むよか、よっぽどいーんじゃねーか。それに」
 トラが健太に向き直る。
「昔のこの人のこと知らねえけど。昔はそんな人間じゃなかったんじゃねえの? サッカーに打ち込んでいた頃のこの人。」

 須坂はトラの目をじっと見つめる。
「多分だけど。よく知んねーけど。その頃の顔になってんじゃねーの、今は?」

 須坂は振り返って健太を見つめる。健太は須坂の目をしっかりと見据える。
 そして、軽く顔を降り、
「そんな急に… 変わる訳が無い。」
 と言って、あかねを促し

「さあ帰ろう。それと… 君がトラくんかな?」
「そーだけど」
「その節は娘を救って頂き、本当に感謝しています。ありがとう」
 と言って深々と頭を下げた。

「そんなのどーでもいーけど。一つ訂正してくんねーかな」
「何を?」

「人間のクズ。俺のこと言われてるみたいで、気にくわねーんだよ」

「別に君のことを言った訳で…」
「人にクズなんて言っていい人間、いねーんだよ! たとえ神様でも」

 嘗てラグビーで鍛えた立派な体躯の須坂を見下ろしながら、トラは睨みつける。
 暫く須坂とトラは睨み合い、やがて
「社会人はな、結果が全てなんだよ」
 ポツリと須坂が溢す。

「この男が、コーチとしてしっかりと結果を出したのなら、先ほどの訂正に応じよう。それでいいかな」

 トラはニヤリと笑いながら、
「土下座、な。」
 須坂は一瞬驚愕の顔を浮かべた後、ニヤリとして

「トラくん、言っただろ。結果が全てだ。結果が出たならそれに従おう。だが出なかった時はー」
「おう。コイツと一緒に、アンタに土下座してやる」
「そうか。しっかりと練習しておけよ。」
「サッカーのか?」
「土下座に決まっているだろう」

「よく言うよ」
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