第4章 第5話

文字数 1,658文字

 ハッキリ言って、昨日の試合は緊張し過ぎていて、何が何だかわからないまま、試合終了のホイッスルを聞いていた。試合結果ももえに聞いて初めて知った程だった。

 サッカーに関して全く素人の一美は、メンバーが二人も少ない蒲田南中が勝つなんて到底思えなかった。だが蓋を開けてみれば、あの川崎フロンティアのイケメンGM曰く、
「圧勝でしたね」
 だったそうなのだ。

 今日こそは、しっかりと試合を見届けよう。そう心に誓って一美は家を出る。今日のグランドは千代田区立番町中が用意した小石川運動場という所である。
 何でもJ R飯田橋駅からすぐで人工芝の敷かれた素晴らしいグランドらしい。永野さんも
「へえ懐かしい。高校生の頃よくあそこで試合したんだよ」
 と言っていた。

 そう言えば今日は生徒の親は誰か応援に来るのだろうか。昨日は残念ながら松本寅の母親と小谷祐輝の母親、それに二年生の岡谷の両親、茅野の両親しか来なかった。みな保護者会に来ていた親達だけなのだ。
 松本の母親の亜弓さんが、おにぎりを学校まで持ってきてくれた。実際に持ってきたのは寅だったのだが。

 明日も絶対応援に行く、と言っていたがどうであろうか。飯田橋は蒲田からは乗り換え一回で来られるのだが。

 それにしても昨日の試合で怪我人が出なくて本当に良かった。そして今日の試合でも怪我が出ないことを一美は祈っていた。
J  R飯田橋駅に集合時間の一時間前に着いてしまった一美は、チームの勝利、そして怪我人が出ないことを神仏に頼ろうと思い、駅からすぐの有名な神社に繰り出すことにする。
 後日分かったことなのだが。この神社は恋愛成就で都内屈指のご利益があり、それを一美は数ヶ月後に身をもって体験するのである。

 やけに人が、しかも女子が多いこの神社で一心に祈りを捧げ、一人小石川運動場へ向かう。大きな道路を跨ぐ歩道橋を登り下りし、グランドには集合時間の十五分前に到着する。
 するとー

「せんせ。お疲れ様― 今日もよろしくねー」

 と松本亜弓が風呂敷袋を抱えながら近寄ってくる。

「松本さん、今日もありがとうございます」
「いーって、いーって。それより、ほらあれ」

 このグランドにはちょっとした観客席があり、そこを見上げるとー
 昨日来た父母の倍の人数が!

「あれ… みなさん…」
「そーなの。今日はね、なんとみーんな観に来てんですよお!」

 一美は観客席を見上げて立ち尽くしている。これはまるで、あの頃のようだ… 前任の中学のバレー部を率いて都大会へ進んだ頃の、あの風景だ…
 この風景を、まさかこの中学で味わえるなんて…

「こんなん、初めてだってさ、みんなの親が子供の試合観にくるなんて。これもせんせが頑張ったからじゃね? あんがとね、せんせ」
 と言って亜弓はウインクし、モデルのような後ろ姿で観客席に戻って行く。

 それから一美は試合が始まり終了のホイッスルを聞くまで、殆ど親達の様子を眺めていた。皆初めは大人しく、借り物の猫のように試合を眺めていたのだがー

 前半、後で聞いたのだが、コーナーキックというのから頭を使って南中が得点すると、親達は一気にテンションが上がった。
 前半終了まで、相手に攻められっぱなしだったようで、親達は、特に父親達は叱咤激励の言葉を大声で発していた。

 後半に入っても相手の攻勢は続き、中には手を合わせている母親も散見された。後半の中頃だったろうか、親達が全員急に立ち上がったーそして、両手を上に上げ、叫ぶ

「「「「「「行けーーー」」」」」

 グランドを振り返ると、二年生の茅野が一人相手ゴールを目指してドリブルをしている。一美も一気にテンションが上がり、

「行っけーーー」

 そして、相手ゴールキーパーを難なくかわしてゴールを決めると、

「やったあーーーーー」

 と大声で咆哮した。
 保護者達は互いに抱き合い、踊り合っている。グランド上のベンチ付近でも、マネージャー三人が一美に飛びかかってきて、

「勝てる! 今日も、勝てる!」
「絶対、勝つよ! 絶対」
「行ける、行けるよね、かずみん」

 と大興奮だ。
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