第6章 第3話

文字数 1,509文字

「で。医者は何て言ってんの? ふん。ふん。なに? だいたいシトーキン損傷? なんじゃそれ?」

 健太は持っていた烏龍茶のグラスを落としそうになる。

「ふん。ふん。そっか、全治一ヶ月ね。そんで、あかねちゃんはマジで大丈夫なんだな? ふん。ふん。そっかそっか。あー。ギョーザのオッさん、ちゃんとやってくれたんだな、良かった良かった。ま、オマエにしては上出来だな。はよ帰っておいで。ホッペにチューしてやっから。きゃは」

 亜弓が電話を切ると、健太は安堵の溜息をつく。
「すまん、ちょっと電話してくる。」

 外に出て、リダイヤルをプッシュする。呼び出し音一回ですぐに繋がる。
「で?」
「大丈夫。無事だ。怪我一つない。勿論、性的暴行も受けていないそうだ」
「そうか。良かった。またトラ君に助けられたか。それで、その、マスコミ対応は…」
「ああ。マスコミ発表はしないらしい。トラの母親が裏の方にも手を回して、変な噂も立たない様にしてくれた様だ」

「…永野。ありがとう」
「オレは何もしていない。何もできなかった。こうしてお前に報告する事くらいしか…」
「いや、それでいい。本当に、ありがとう」
「…お前らしくないな。随分と弱気じゃねえか?」
「あかねやトラ君から、本当に何も聞いていないのか?」
「は? だから、何をだよ?」
「そうか… 実は俺、膵臓癌のステージⅣと診断されたんだ」

 健太の心臓が一瞬、止まりかけた。

「は… 何冗談言ってんだよ。ふざけんじゃねえ」
「余命、半年あるかないか、らしい」
「…ウソ、だろ…」
「本当だ。彼らには既に告げてある。」
「そんな… セカンドオピニョンは受けたのか?」
「ああ。どこに行っても、結果は同じだった」

 どれ位、互いの無言が続いただろうか。

「会社、は?」
「上には報告済みだ。今は引き継ぎのために午後から顔出しに行っている」
「奥さん、は?」
「全然受け入れられないみたいだ。今度変な神社に連れて行かれそうだよ」
「…あかねちゃん、は?」
「大丈夫。トラ君がいるから」
「…… 俺に、出来ることは?」
「は? お前を左遷させた俺のために、何かしてくれるのか? どこまでお人好しなんだお前って奴は」

 須坂が電話口でクスクス笑う。

「何でもいい。俺に、何が出来る? 言え」

「永野… 今だから言うが。お前の左遷に対して、何人かの若手社員から嘆願メールが来ていたんだ。ま、体育会系の奴らばっかりだったがな。永野さんは当社になくてはならない方です。何卒処分の撤回を、ってな。あ、中には契約社員の女子からのものもあったんだ。それでな、ちょっと処分はきつ過ぎなかったか、上の方で検討会が開かれたんだよ」

「……」
「そこで。二年を目処に、左遷先の勤務評定を鑑みて本社に戻そう、となったんだ。それをお前に告げようとした時。お前は警察沙汰の事件を巻き起こした」

 その処分撤回に走り回ったのが須坂だった事は、聞くまでもなかった。健太はスマホのマイクにかからない様に、大きく溜息をつく。

「だから俺は怒り狂ったんだ。周りがこれ程お前を心配し、何とかしようと動いてきたのに、それを全て水の泡にしてしまう行動をした。自分を省みるどころか、自分を落としめした… お前は周囲の善意を裏切ったんだ。己の弱さに甘えて。それが、どうしても許せなかった」

「須坂、俺は…」
「だが。先月会った時に見たお前の目。トラ君があの時言った通りだった。会社のサッカー部を盛り立てていた頃の、あの頃のお前の目だった。周りを尊敬し、信頼し、目標に向かって敢然と突き進んでいた頃の、あの時の永野健太だった」

「須坂…」

「そんなお前に頼むのはたった一つ。あかねを、トラ君とあかねを見守って欲しい。それだけだ」
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