第1章 第4話

文字数 1,642文字

「立てるか、オッさん」

 健太はゆっくりと立つも、左脚太腿を手酷くやられており、よろめいてしまう。

「きったねーな、ゲロまみれじゃねーか」

 と健太の顔を覗き込むその男は、真っ赤なロン毛、ダブダブのパーカーにカーゴパンツ、足首までのスニーカーという、如何にもチンピラ、という格好だ。健太よりも背が高く、ガッチリした体格の、それでも顔付きはまだあどけなさが残る、十六、七の高校生?

 男は袋に入っていた未開封の酎ハイを開け、徐に健太の頭からかけ始める。健太は腰を屈めその酎ハイで顔を洗い流し、

「悪いな、助かった。」
「別に。それより、その写真。大事なんじゃねーのか?」

 砂利道に落ちている写真を拾い上げ、健太にそっと差し出す。

「コレ、去年別れた女房と子供。」

 聞かれてもいないのだが、健太は言い訳の様にそっと呟く。

 男は写真を一瞥し、対岸の街明かりが水面に揺れる多摩川を眺めながら、
「あそ」
 と呟く。

 健太は写真を財布にしまい、
「あの、なんかお礼がしたいんだけど…お腹空いてないか? ファミレスかどっかでご馳走するよ」

 河口の方から羽田空港を離陸するジェット機の轟音が響いてくる。男は健太をしばらく見つめた後、顔をクイっと振り、ゆっくりと歩き始める。ついて来い、と言うことか。健太は痛む足を引きずりながら男の後を追った。

 二人は無言のまま第一京浜、即ち国道十五号を蒲田方面に向かう。こんな時間でも多くのトラックでかなりの混雑だ。この先の和風ファミレスに行くのだろうか。だが京急電鉄の雑色駅前を左折し、男は最初の角にある「あゆみ」という看板がかかったスナックに入った。

 どう見ても未成年の少年がスナック? 健太は怪しさを感じつつも、店のドアに貼ってあるカード使用O Kのシールを見てホッとする。何しろ現金を持ち合わせていない、この数週間。
 店内は昭和感溢れる懐かしい雰囲気だ。壁にはサイン入り演歌歌手のポスター、カウンター席の他にソファー席が三卓程。どれも使い込まれてボロボロだ。カウンターの奥にはキープボトルのウイスキーやら焼酎が所狭しと並んでいる。

 誰も客はおらず、カウンターに気怠そうな太り気味の中年の女が座っており、その奥には細くて背の高い若い女がグラスを磨いている。
「あらー、トラちゃん。お店に連れで来るなんて珍しいー」

 トラ、と言うのか、この男は。トラは中年女を一瞥し軽く頷く。
「おー、どーしたトラ、そんなシケたオッさん連れで。もっと羽振り良さそーなの連れて来いや!」

 カウンターの中から、口調は最悪だが、透き通る様な綺麗な声が聴こえてくる。

 もうすっかり酔いの覚めた目をその声に向けると、

 こんな場末のスナックに…

 ロングの茶髪は安っぽくも瑞々しく、顔はビックリする程小さい。切れ長の目と鼻筋の通った鼻梁が絶妙の位置関係にあり、意思の強そうな唇に真っ赤なルージュが良く似合っている。
 背は170センチ近くはあるだろう、細身の身体に白のワンピースがピッタリと張り付いており、知らず健太はゴクリと唾を呑み込んでいる。

 モデル? 芸能人? 健太の頭にはてなマークが点滅していると、
「で? お客様、でいーのかな?」

 トラはカウンターにドサリと座り込み、
「んな感じ。俺、チャーハンとラーメン。」
「あっそ。じゃあ、いらっしゃーい、どうぞそちら、座って座ってー」
 と健太にニッコリと笑いかける。

 気怠そうだった中年の女性も営業モードとなり、お絞りを持ってきて、
「今晩はー、ここ初めてですよねえ?」
 健太はトラをチラリと見ながら軽く頷く。
「でもホント珍しい、と言うか、初めてじゃない? トラちゃんがお客さんを連れてくるなんて、ねえママ」

 何と… 若い方の女がママなのか。健太は唖然とする。
「そーだねえ。一体どんな風の吹き回しなんだい、トラ?」

 そう言いながらママがカウンター越しに身を乗り出して健太の顔に近づく。健太は顔が一瞬にして赤らむのを感じる。

「てか。アンタ、臭い。洗面所で、顔洗ってきたら?」
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