第85話 屋敷へ続く道

文字数 3,391文字

 メルリア達三人は今日も街道を歩いていた。
 代わり映えのないなだらかな道だったが、三時間ほど歩いたところで、街道の様相ががらりと変わった。
 生い茂る木々はいずれも空を覆うほど高く立派なものへ、道幅が次第に狭く細く。太陽の光は森に遮られ、馬車や荷台は間を詰めてなんとか三台が通れるかどうかといった幅に。前を行く馬車が突然速度を落としたかと思うと、その右隣から生えるように別の馬車がすれ違う。このあたりは御者も特別神経を使う場所だ。
 自分の体格よりも大きなリュックを背負う男が、道の狭さにぶつくさと文句を垂れながら、三人の横を足早に通り過ぎていく。
 国の主要な街道を歩いてきたメルリアは思う。グローカス付近は他と比べて整備が行き届いていないようだ、と。人が通る道はきちんとならされているが、森はずっと近いし、傍らに生える雑草も余所に比べて多い。
 森が近い分、魔獣も近い。魔術士による魔獣避けの対策が施されているとは分かっていても、それは目に見えない。何かあったらと不穏な空想が脳裏をよぎり、メルリアは頭を振った。
 それに加えて、間もなく日が落ちる頃合いだ。太陽を覆い隠す雲は燃えるように赤い。木々の合間に、その光がはっきりと伸びてくる。対して東の空はすっかり晴れ、夜を思わせる藍色が広がっていた。今晩は月が見られそうだ。そんな藍色に星がひとつ輝く。その煌めきに気づき、メルリアは笑みを浮かべた。魔女の村を出てから今日まで、ずっと曇り空だった。久しぶりに見る青空は、夜空だとしてもどこか気持ちがいい。少し湿っぽい空気を吸い込み、体の淀んだ空気と溜まった疲れを呼吸に乗せて吐き出した。その時、背後を歩いていたシャムロックが距離を詰めてくる。
「ここから先は俺が先導しよう」
 二人に声をかけると、一番後ろを歩いていたシャムロックが前へ出た。
 夕方という時間も手伝って、フードを被るシャムロックの表情はよく見えなかった。それに、掠れた声が気にかかる。やはり疲れているのだろうか……と、メルリアは不安げに視線を落とした。
「屋敷はもうすぐだ」
 しかし、次耳に飛び込んできた声はどこか優しい。
 メルリアはひとまず静かに息を吐いた。

 三人が街道を進むと、道の奥に宿酒場らしい建物の明かりが見えた。その手前には、煤けた看板がひとつ。記された文字は解らないが、奥には石造りの道が広がっていた。小ぶりな馬車が一台通れるほどの狭い道だ。あまり人通りがないようで、街道とそこを隔てる部分には、踵ほどの高さの雑草が生えている。
「こちらだ」
 シャムロックは石造りの道へ歩を進める。メルリアとクライヴもその後を追った。
 道の外れには、深緑色の針葉樹林が蔓延っていた。街道の木々よりもさらに背が高く、深緑の葉は藍色の空を覆い尽くす。天を仰いでも空はほとんど見えず、代わりに映るのは針葉樹のシルエットだけ。ミスルトーの広場から見た景色によく似ていた。
 道に明かりはなく、行く先には暗闇が広がっている。シャムロックの羽織る外套の装飾が、魔力の流れに合わせて時々曖昧に光った。今現在、この道を照らす唯一の光源だ。しかし、それは弱々しく頼りない。枯れ葉を踏む乾いた音にメルリアは肩をふるわせた。何気ない音に過剰に反応してしまうほど、ここは闇に包まれている。やがて月が昇れば、石造りの道が明るく照らされるだろうが――それはいつになることか、見当もつかない。
 先頭を歩くシャムロックが、フードの端に手をかけた。首の後ろへ下ろすと、視界を確保するようにと首を左右に振る。黄昏を思わせる赤みがかった金髪がわずかに揺れた。何度か瞬きを繰り返し、息をつく。
「フード……してなくていいのか?」
 不安げに尋ねるクライヴに、シャムロックはふっと微笑した。
「ああ、もう大丈夫だ」
 二人の会話の最中、メルリアの背筋に鳥肌が立った。突然、遠くから鳥らしき羽音が聞こえてきたせいだ。荒い呼吸を整えようと深呼吸を繰り返し、それを目視しようと周囲を見回す。どうやら羽音は前方から聞こえてくるようだ。そちら側を注視すると、何やらぼんやりと光るものが目に入った。同時に、黒い鳥の姿も一緒に浮かび上がる。乙夜鴉だった。
 乙夜鴉はこちらから二メートル先の地面に止まると、くちばしをくあっと大きく開いた。持っていた光源を地面へ置くなり、シャムロックの視線の高さで羽ばたく。渋く重みのある声で一鳴きすると、静かに飛び立っていった。
 その姿を目で見送りながら、シャムロックはそれを手に取った。
「メルリア、これを」
 シャムロックはそれをメルリアに差し出す。携帯用のランタンだった。光源には魔力石が使用されており、橙色の光がぼんやりと周囲を照らしている。あまり強い明かりではないものの、本物の火を利用しない分、火傷の心配がなく、普通のランタンよりも軽い。おまけに光の揺らぎが少ない高級品だった。
「あ、ありがとうございます……!」
 メルリアはランタンを受け取ると、持ち手をしっかり握りしめた。魔術の炎だと分かっていても、真っ暗闇は心細い。それに、道の先も見通せるかどうか不安な状況だった。地面を踏みしめる乾いた音が落ち葉だと分かれば、木霊のような音が木々のざわめきであると分かれば……見えていれば、恐れることはないのだ。自身の周りを照らすあたたかな光を見つめ、胸を撫で下ろした。
「クライヴさんは、これくらいの暗さは平気?」
「ああ。まだ遠くまで見えるし」
「夜目がきくんだね。すごいなあ」
 メルリアは感心しながら周囲を見回す。森の黒、夜の闇。光に照らされた足下は灰色。ランタンがなければ、森と空の境目しか判別することはできない。
 シャムロックも夜目がきくのだろう、彼の足取りには迷いがない。隣を歩くクライヴと、先導するシャムロックに改めて感心した。
 野生動物の足音が草を揺らし、藍色の空には鳥の影が舞う。そんな中、道の奥からこちらめがけて飛んでくる何かがあった。乙夜鴉よりずいぶん小さい影の正体はコウモリだ。それはシャムロックの顔の周りをぐるりと二周すると、右肩の上に腰を下ろす。シャムロックが人差し指で羽に触れると、キィキィと声を漏らした。
 やがて奥から飛んできたもう一匹のコウモリが、躊躇せず左肩にとまる。シャムロックは足を止めず、振り払うこともせず、コウモリの好きにさせてやった。
「コウモリって、肩に留まるんだ……」
 好奇心で浮かれるメルリアがぽつりとつぶやく。すると、シャムロックの右肩に留まっていたコウモリが飛び立った。ランタンの持ち手を握る右手へ降り立つと、そのまま口を大きく開いてみせる。真っ黒な体に白い牙が光った。
「コウモリって、血を吸うんだったか?」
 その様子を隣で眺めていたクライヴが、ぽつりと疑問を口にする。
 メルリアの手に留まっていたコウモリは、それを聞くや否や瞬時に口を閉じた。瞬く間に羽を広げ、クライヴの体の周りをパタパタ飛び回る。歩を止めないにも拘わらず器用に旋回する彼は、何かを探っているようだ。
「いるにはいるが、この種は吸わないな。というより、血を吸う方が珍しいのだが――」
 やがてコウモリはクライヴの左手に目をつけると、親指の付け根付近に牙を立てた。
「いッ……!?」
 ジクリと小指に走る痛みに顔をしかめる。思わず左手を押さえると、ほんの少し湿った感触があった。
「だ、大丈夫?!」
 明らかに不快感から出た声だ。メルリアは慌てて手を伸ばしたが、どうしていいか分からない。ランタンの明かりが、行き場を失うように左右に揺れた。
 当事者であるコウモリは何食わぬ顔で、再びシャムロックの右肩に留まった。体をこちらへ向けると、二人に口を開いてみせる。つんと鋭利な牙が、赤い血でわずかに濡れていた。
「あ、あの、吸わないんじゃ……?」
 患部を押さえるクライヴを気にかけながら、メルリアは恐る恐る真っ黒な背中に問いかけた。右肩のコウモリは相変わらず口をパクパクさせている。
「抗議や威嚇で刺す事も希にある。……だが、少々悪戯が過ぎるな」
 シャムロックはやれやれとため息をつくと、右肩に乗る小さな背を突いた。
「……後でウェンディに叱られるぞ」
 コウモリだけに聞こえるよう囁くと、それは慌てて肩から飛び立つ。キィキィと悲鳴に似た声を漏らしながら、彼は森の奥へ消えていった。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・シーウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

ウェンディ・アスター


不明(20代後半くらいに見える)

街道の外れの屋敷で働くメイド。

屋敷の中で一番力が強い。

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