第21話 馬車に揺られるふたり2

文字数 4,494文字

 馬車移動の一日はあっという間に過ぎていった。
 馬車は、日が沈む寸前に新たな宿酒場へ到着する。
 御者の男はメルリアとクライヴから本日分の料金を受け取った。請求が日割り制なのは、男が無一文だからだ。男はまるで子供が小遣いを貯金するようないい笑顔で、硬貨を大きめの皮袋にしまうと、意気揚々と馬車のメンテナンスに取りかかった。二人を乗せて長い距離を走った二匹の馬をうりうりと撫で繰り回し、偉い偉い頑張った頑張ったと褒めちぎる。馬は二頭ともブルブルと鳴き、男にすり寄った。
 あの女の人の言うとおり、仕事はちゃんとしていたし……個性的だけれど、悪い人ではなさそうだ、とメルリアは思った。

 その晩、メルリアとクライヴは同じテーブルで夕食を共にしていた。
「馬車って本当に早いんですね。びっくりしちゃいました」
「そうだな。この様子なら、明後日にはヴェルディグリに到着しているんじゃないか?」
「明後日……」
 メルリアはその言葉に胸が高鳴った。メルリアにとって、ヴェルディグリへ着くことは、スタートラインに立てることを意味する。ヴェルディグリには何十万冊の本を貯蔵する図書館がある。そこには、小説や絵本、実用書や経済学など様々な本を網羅しているが、一番量が多い書籍は図鑑だ。あの花がどれだけ珍しい花だったとしても、全ての本を読めば正解にたどり着けるだろうし、そうでなくても、必ずヒントは見つかるであろうと信じていた。
 対するクライヴは、浮かない表情をしていた。またあの言葉を聞くであろうという事実に、気が重くなる。何気なくメルリアを伺うと、彼女の期待に満ちた表情に気づいた。クライヴにとって、その表情は眩しいほどに明るく感じた。ふと、馬車に揺られていた時、メルリアにかけられた言葉を思い出す。弱音を吐いてる場合じゃないな――クライヴは苦笑を浮かべ、ぬるいコーヒーを一気に飲み干した。舌にざらつくような独特の苦みが残った。
「そういえば、メルリアは『不思議な花』を探してるって言ってたよな。どんな花なんだ?」
 シーバでメルリアが旅をしている事情は聞いていたが、彼は話の詳細を知らない。メルリアも細かいことは喋らなかったからだ。
 彼にとっては趣味を聞くように何気なく尋ねたが、メルリアにとっては違った。思わず手が止まり、肩が縮こまる。背筋に何かが這うようにぞくりとして、いたたまれない気持ちになった。
「え、っと……」
 メルリアの視線が泳ぎ、何もない右方の床に行き着く。そちらに視線を落としながら、きゅっと唇を閉ざした。メルリアには分かっている。その質問に他意はないと言うこと。恐らく、ありのままを答えたとしても、あんな反応は返ってこないだろうと言うことも。……けれど、確実だとは言い切れない。だからこそ、どう言っていいか判断に困った。大丈夫だと言い聞かせ、何度か口を開こうとするがその口から声は出ない。
 ……今から二年前のことだった。
 エプリ食堂で旅の資金を貯めていたメルリアは、店に来る客に、探している花の事を尋ねていた。メルリア自身、そう簡単に答えが見つかるとは思っていなかった。けれど万が一、似たような花を知っている人がいたら、祖母に早く花を届けられるかもしれない。全く手がかりがつかめなかったとしても、祖母のために頑張っている話をしている間は、まだ前に進める。そう思っていたから、メルリアは聞き込みを続けた。
 しかし、結果は芳しくない。何人もの人間に聞いたが、皆、口をそろえて知らないと答えた。そんな人が二、三十を超えた頃だ。あれは五十代半ばの男だった。いつもと同じように花について尋ねると、男はメルリアの言葉を鼻で笑って言った。
 ――光る花? そんなものがあるわけない。いい年して、そんな事を本気で信じているのか。
 その言葉に、メルリアは何も言い返せなかった。相手の男を恐ろしく感じたというのもある。だが、その言葉は自分の中の記憶を――かつて生きていた祖母の存在すら、否定されたように感じたからだ。
 その日以降、メルリアは他人にこの話を一切しなくなった。概要は言えても、詳細を話すことには、ずっと抵抗があった。あの過去の記憶が、今のメルリアをそうさせてしまった。
 クライヴは病気のことを教えてくれたんだから、自分だって話さなくてはいけない。でも、あんな風に反応されたら怖い。メルリアの頭の中で、その二つの思考がぐるぐると回っていく。どちらかに舵を切ることができず、口が曖昧に動いた。切迫感と困惑の中、過去にできた心の傷がちくりと痛む。
「メルリア?」
 クライヴに名前を呼ばれても、メルリアは返事ができなかった。俯いているせいで、クライヴからメルリアの表情は分からない。が、おそらく容易に聞いてはいけないことを聞いたらしいと言うことは理解できた。この状況はあまりよくないだろうと考えたクライヴは、あえて明るく振る舞う。
「無理に聞き出したいってわけじゃないからさ……あ、そうだ、メルリアは外国に行ったことあるのか? ベラミントからじゃ、ルーフス……いや、ユカリノの方が近いかな」
 喉の奥にツンとした痛みを感じながらも、メルリアは唾液を飲み込んでそれを誤魔化した。気遣わせてしまっているのは分かっていたからだ。かろうじてクライヴと視線を合わせ、ゆっくりと首を横に振る。
「外国には……まだ」
 涙声のまま言うと、クライヴは僅かにほっとした表情を見せた。
「ユカリノは面白い国だよ。船の移動があるけれどシーバから近いし、異国の雰囲気が強い場所で――」
 なんとか会話を続けようとクライヴが言葉を絞り出していると、コツコツと軽やかな足取りが近づいてきた。
「おっ、……ってなんだ、二人とも食べ終わってるのか! 若者は早いなぁ」
 テーブルの脇には、御者の男が立っていた。手を上げて会釈すると、断りを一切入れずにクライヴの隣の席に腰掛ける。手早く注文と支払いを済ませた。
 メルリアの背筋がピンと伸び、手足に力が入る。緊張から来る無意識がそうさせた。
「あ、あの、今日はありがとうございました」
 先ほどよりマシになったものの、うるんだ声が出てしまった。泣きそうになっていた事をはっきりと相手に伝えるような、分かりやすい涙声である。
 男はあっけらかんとした表情で、まじまじとメルリアを見つめる。困ったとメルリアは思った。しかしどうすることもできない。
「何? 君、辛いものでも食ったの?」
 その言葉に、メルリアは困惑した。男の言葉を理解するのに、ほんの少し時間がかかったほど。
 お互いの前には、食事の終わった空の皿。テーブルの脇には、注文したピザと共に用意されたペッパーソースソースがある。
 クライヴはそれを見てはっとした。
「あれだろ、さっきのペッパーソースソースだろ? うっかり手を滑らせちゃったーって言ったやつ……や、やっぱり、辛かったんだなあー……」
 視線が曖昧に泳ぎながら、クライヴはチラチラとペッパーソースソースを見ながら言う。声に抑揚はあまりなく、感情もこもっているかどうかは怪しい。メルリアの様子を窺いながら喋ったおかげで、完全な棒読みにはならなかったが――素人でももっとうまい演技をする。まるで本を音読しているかのように、当事者でありながらも他人事のようにクライヴは言った。
 お互いの皿は空であり、ピザを頼んだのはメルリアではなくクライヴだったのだが、空になってしまえば元の料理がなんだったのかは誰にも分からない。おまけにここの宿酒場も金は前払いであるから、料理からは嘘がバレる心配もない。
 クライヴとメルリアの視線が合う。クライヴの言葉の真意を理解したメルリアは、クライヴの嘘に同意するように苦笑してみせた。
「へー。あー、でもなんか分かる気がするわ。なんだか抜けてそうだよね、君」
 メルリアはその言葉になお苦笑を浮かべる。そこそこの頻度で言われるが、メルリアは一切自覚がなかった。
「そうだ、君、ヴェルディグリに用事があるって言ってたよね。何しに行くの?」
 メルリアはその言葉に眉をひそめる。無意識だった。心臓の鼓動が嫌に耳につくような不快感。しかしここで場の空気を悪くするわけにはいかない。それは理解していた。わざわざクライヴが話題を逸らしてくれたし、今もこうしてかばってくれたのだ。三度も迷惑をかけるわけにはいかない。
 メルリアはいくらか引きつった笑いを浮かべて、男に行った。
「えっ……と、調べ物があるので、図書館に――」
「図書館!」
 その言葉に、男はぐっと身を乗り出した。メルリアと男の距離が縮まる。驚きと若干の不快感で、メルリアは萎縮した。テーブルを挟んでいる事が幸いし、悲鳴のような声を上げるには至らなかったが。
 見かけ通り、この男はパーソナルスペースが極端に狭かった。
「君、小説は読む方? 読んでも読まなくても、ヒガンザカ先生の本は読んだ方がいいよ! 面白いから!」
 男は早口でまくし立てる。
「『浄霊師ナツメ』が人気あるみたいだけど、オレは短編集が好きだな。聖夜前に恋人が別れる話は、『もうあの頃の二人には戻れないのね』って台詞がジーンと来るし、職人同士がお互いの作品で対決するヤツは、片方が相手の作品を転売したのがくだらなくって――」
「ちょ……! 少し落ち着いてください!」
 身を乗り出して話し続ける男を、クライヴがたしなめた。その瞬間、男の目の前に料理が運ばれる。男は背筋をただすと、待ってましたとばかりにニカッと笑みを浮かべ、食事に手をつけた。
 やれやれとクライヴはため息をつくと、向かいに座るメルリアの方を伺う。メルリアは完全に固まっていた。よくできた置物のように、一ミリも動かない。
「うっまー! 労働の後のメシ、うまー!」
 食事が始まれば静かになるだろうと高をくくっていたが、どうやらそうじゃないらしい――クライヴは頭を抱えた。
 ただでさえ常時酔っ払っているようなノリの人だから、この後がどうなるか分からない。この様子だと、酒の注文を入れて、本当に手がつけられなくなる危険性がある。クライヴは置物になったメルリアに声をかけた。
「メルリア? 疲れてるみたいだし、今日は早めに休んだらどうだ?」
 置物だったメルリアが、その言葉にはっと顔を上げる。すっかり思考が止まっていた。
「え、あ……、はい……」
 メルリアに迷いはなかった。そう言ってくれたなら、早めに休ませてもらおう――。メルリアは手早く荷物をまとめると、席を立った。
「それじゃ、失礼します」
「ああ、また明日」
 メルリアが軽く会釈すると、クライヴは手を上げた。その様子に、メルリアは小さく「あ」と声を漏らす。
 メルリアがシーバを後にしてから、一週間が経過した。思うようにヴェルディグリまでたどり着けず、もどかしい気持ちを抱えながら街道を歩く日々。傍には誰もおらず、またずっと一人だった。疲れた心に、気遣いの言葉が染み込んでいた。先ほどとは違った意味で、目頭がじんと熱くなった。
 メルリアはクライヴにもう一度頭を下げてから、二階に借りた部屋へ向かった。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・ローウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

ウェンディ・アスター


不明(20代後半くらいに見える)

街道の外れの屋敷で働くメイド。

屋敷の中で一番力が強い。

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