第63話 老婆空を行く
文字数 2,658文字
ミスルトーの広場では、レニーとリタによって夕食の準備が進められていた。
クライヴが先ほど運んできたゴーストパンプキンのポタージュと、お化けリンゴのコンポートがテーブルに並ぶ。それぞれ強い色の青や紫が目を引く、エルフの原色料理である。バスケットに用意された雑穀パンの鮮やかな小麦色だけが、人間からしたらもっともらしい色だった。
調理場から少し離れた場所で、ザックは散らばった材料を使い、椅子を修理していた。彼は料理ができないため、リタ達の手伝いはしない。エルフでありながらも、細かい作業や頭を使う難しい作業は苦手なのだ。科学であるとか、料理だとか。そのわりに魔力はエルフでも中の上といったところであり、魔法もそこそこ扱えるものだから、この種族はそう単純ではない。
置物になったハルはというと、地面に倒れて気絶したままだ。広場の隅に移動され、左側を下にして横たわっている。広場からは背を向ける体制だ。あれからハルは目を覚ましていない。自主的に動いたように見えるのは、ザックが邪魔だと雑に蹴っ飛ばしたせいである。
エルフ達が各仕事をこなす中、広場中央のツリーハウスが音を立てて勢いよく開いた。この村の責任者であるアラキナが、ふんふんと上機嫌に鼻歌を歌いながら階段を下りてくる。しわだらけの手には小瓶を手にしていた。香水を入れるようなガラス瓶の中に、薄桃色の液体が揺れる。
「ほれ、薬」
現場をレニーに任せると、リタはアラキナに駆け寄った。にまにまと奇妙な笑みを浮かべながら、老婆は瓶を揺らす。薄桃色だった液体が、徐々に紫色へと変色していった。
リタはその瓶に視線を向けると、表情をスッと無表情に変えた。
「何これ。頼んだ気付け薬じゃないよね」
まず用意した器が異なる。リタが用意した瓶は底が深く楕円形の形だ。それに、あの材料から気付け薬を作れば、濃い黄色になるはずである。だというのに、アラキナが手にした薬は薄桃色――それどころか、揺らして色が変わるという仕掛け付きである。
リタが不満げに腰に手を当てたが、アラキナはあっけらかんとした様子だ。
「目を覚ましたのならば、気付け薬など必要ないじゃろ」
その言葉にリタは黙り込む。
アラキナの言うとおりだ。メルリアが目を覚ましてしまった以上、もう気付け薬は必要ない。そうだけど、話が違う。揺らすだけで色の変わるこの薬は一体どんな効果があるのか――リタは口を固く閉ざした。どの可能性も考えられるからだ。
「あ? バーさん、またなんかやらかしたのか」
かなづちを片手に、のっそのっそとザックが二人の方へ近づく。
椅子の修理は終わっていない。彼の背後には、右後方の足がまだついていない状態で横たわっていた。
「うら若き乙女に向かって不敬じゃのう。レデェと呼びな」
瓶を持った方の手でアラキナはザックを指さす。瓶の中の薬が揺れ、液体がより深い紫色に――夜明け前の空の色へと変わっていった。
「オメーは十分ババァだろ」
「エルフのくせに知性を微塵も感じられない物言い……嘆かわしいのぅ」
アラキナは懐から白いハンカチを取り出すと、およおよと嘘泣きの演技をする。しわの寄った目元にレースのそれをを押し当てて、ひどく傷ついたというポーズを作ってみせた。
「で? どうしたんだ、リタ」
ザックはふんと鼻を鳴らすと、リタの方へ向き直る。
「頼んだのと違う薬を作ってきた。まあ、調合最中から妙に横やり入れてくるとは思ったんだけどさあ、まさか物が変わるなんて……」
リタは苦い表情を浮かべ、低い位置で腕を組んだ。
エルフに伝わる気付け薬のレシピの一つは、キギャイモ、ゴーストパンプキンの種、初夏キュウリ、森林アユの骨、墨樹シロップ、フィグフィルの種の七種類。それを加熱し、アルコール分を飛ばしたリキュールと混ぜ合わせる。時折適切な魔法をかけつつ煮詰めることで、エルフ秘伝の気付け薬が完成するのだ。
全ての材料をテーブルに並べ、いざ調合しようと思ったリタだったが、用意したはずの森林アユの骨がなくなっている事に気づく。どこにいったと探しているうちに、初夏キュウリ、キギャイモもテーブルから姿を消していた。おまけに、引っ張ってきたはずのアラキナもいない。つまり、犯人はアラキナただ一人。リタは村中を探して食品庫に隠れていたアラキナを引っ張り出し、説教しつつ、改めて言いつけ通りに作業するよう指示した。
それからしばらくはおとなしく、気付け薬の調合も進捗七割といったところまで進んだ。仕上げのために魔法を詠唱しようとするなり、アラキナが余分な事を言い出し詠唱が中断される。それを三度繰り返したリタは、自力で作るのを諦めた。後は頼んだよと残りの仕事を老婆に押しつけ、メルリアの様子を見に行き、そして今に至る。
「もう滅茶苦茶……」
リタが頭を抱える様子を横目に、ふーんとザックは空返事をしつつアラキナの手にする瓶に視線を向けた。空気が入っているのか、なにやらボコボコと気泡が立っている。ただの薬ではないことは明らかだ。
それを見たザックは、あ、と声を漏らす。
「学園のヤツが来るのって来月か?」
「そうじゃ。その前に村の整備と試験の用意をせねばならんのー。屋敷の客人を迎える準備もせねば。あー忙しい忙しい」
アラキナは汗もかいていない額を腕で拭う動作をすると、二人に背を向けた。その肩を慌ててリタが掴む。
「ちょーっと待ったぁ! アラキナさん、頼んでた薬は?」
「ほれ」
アラキナは左手の人差し指でくるりと円を描く。空中にリタの用意した瓶が浮かぶ。丸みを帯びた瓶の底には、水色に近い色の液体が沈んでいる。アラキナは宙に浮かんだそれを手に取り、リタに差し出した。
「これ?」
リタは差し出された瓶の中身を凝視し、訝しんだ。やはりどう考えても色が違う。しかし、アラキナはこれを受け取れとぐいぐいと押しつけてくる。リタはひとつため息をつくと、渋々瓶を受け取った。その瞬間、湿地ミントの爽やかな香りがふわりと漂う。改めて瓶の中をのぞき込むと、そこに入っている液体にわずかに粘り気がある。苔アロエの性質に近い。試しに揺すってみたが、色が変わる様子はなかった。
「なに、これ?」
「ダンズ印の風邪薬じゃ」
「……なんで?」
「じきに分かるわい」
妙に達者な口笛を吹きながら、アラキナは中央のツリーハウスへ姿を消していく。リタは瓶を受け取ったまま、丸い背中を漠然と見つめていた。
メルリアを背負ったクライヴが広場に到着したのは、それから十分後のことである。
クライヴが先ほど運んできたゴーストパンプキンのポタージュと、お化けリンゴのコンポートがテーブルに並ぶ。それぞれ強い色の青や紫が目を引く、エルフの原色料理である。バスケットに用意された雑穀パンの鮮やかな小麦色だけが、人間からしたらもっともらしい色だった。
調理場から少し離れた場所で、ザックは散らばった材料を使い、椅子を修理していた。彼は料理ができないため、リタ達の手伝いはしない。エルフでありながらも、細かい作業や頭を使う難しい作業は苦手なのだ。科学であるとか、料理だとか。そのわりに魔力はエルフでも中の上といったところであり、魔法もそこそこ扱えるものだから、この種族はそう単純ではない。
置物になったハルはというと、地面に倒れて気絶したままだ。広場の隅に移動され、左側を下にして横たわっている。広場からは背を向ける体制だ。あれからハルは目を覚ましていない。自主的に動いたように見えるのは、ザックが邪魔だと雑に蹴っ飛ばしたせいである。
エルフ達が各仕事をこなす中、広場中央のツリーハウスが音を立てて勢いよく開いた。この村の責任者であるアラキナが、ふんふんと上機嫌に鼻歌を歌いながら階段を下りてくる。しわだらけの手には小瓶を手にしていた。香水を入れるようなガラス瓶の中に、薄桃色の液体が揺れる。
「ほれ、薬」
現場をレニーに任せると、リタはアラキナに駆け寄った。にまにまと奇妙な笑みを浮かべながら、老婆は瓶を揺らす。薄桃色だった液体が、徐々に紫色へと変色していった。
リタはその瓶に視線を向けると、表情をスッと無表情に変えた。
「何これ。頼んだ気付け薬じゃないよね」
まず用意した器が異なる。リタが用意した瓶は底が深く楕円形の形だ。それに、あの材料から気付け薬を作れば、濃い黄色になるはずである。だというのに、アラキナが手にした薬は薄桃色――それどころか、揺らして色が変わるという仕掛け付きである。
リタが不満げに腰に手を当てたが、アラキナはあっけらかんとした様子だ。
「目を覚ましたのならば、気付け薬など必要ないじゃろ」
その言葉にリタは黙り込む。
アラキナの言うとおりだ。メルリアが目を覚ましてしまった以上、もう気付け薬は必要ない。そうだけど、話が違う。揺らすだけで色の変わるこの薬は一体どんな効果があるのか――リタは口を固く閉ざした。どの可能性も考えられるからだ。
「あ? バーさん、またなんかやらかしたのか」
かなづちを片手に、のっそのっそとザックが二人の方へ近づく。
椅子の修理は終わっていない。彼の背後には、右後方の足がまだついていない状態で横たわっていた。
「うら若き乙女に向かって不敬じゃのう。レデェと呼びな」
瓶を持った方の手でアラキナはザックを指さす。瓶の中の薬が揺れ、液体がより深い紫色に――夜明け前の空の色へと変わっていった。
「オメーは十分ババァだろ」
「エルフのくせに知性を微塵も感じられない物言い……嘆かわしいのぅ」
アラキナは懐から白いハンカチを取り出すと、およおよと嘘泣きの演技をする。しわの寄った目元にレースのそれをを押し当てて、ひどく傷ついたというポーズを作ってみせた。
「で? どうしたんだ、リタ」
ザックはふんと鼻を鳴らすと、リタの方へ向き直る。
「頼んだのと違う薬を作ってきた。まあ、調合最中から妙に横やり入れてくるとは思ったんだけどさあ、まさか物が変わるなんて……」
リタは苦い表情を浮かべ、低い位置で腕を組んだ。
エルフに伝わる気付け薬のレシピの一つは、キギャイモ、ゴーストパンプキンの種、初夏キュウリ、森林アユの骨、墨樹シロップ、フィグフィルの種の七種類。それを加熱し、アルコール分を飛ばしたリキュールと混ぜ合わせる。時折適切な魔法をかけつつ煮詰めることで、エルフ秘伝の気付け薬が完成するのだ。
全ての材料をテーブルに並べ、いざ調合しようと思ったリタだったが、用意したはずの森林アユの骨がなくなっている事に気づく。どこにいったと探しているうちに、初夏キュウリ、キギャイモもテーブルから姿を消していた。おまけに、引っ張ってきたはずのアラキナもいない。つまり、犯人はアラキナただ一人。リタは村中を探して食品庫に隠れていたアラキナを引っ張り出し、説教しつつ、改めて言いつけ通りに作業するよう指示した。
それからしばらくはおとなしく、気付け薬の調合も進捗七割といったところまで進んだ。仕上げのために魔法を詠唱しようとするなり、アラキナが余分な事を言い出し詠唱が中断される。それを三度繰り返したリタは、自力で作るのを諦めた。後は頼んだよと残りの仕事を老婆に押しつけ、メルリアの様子を見に行き、そして今に至る。
「もう滅茶苦茶……」
リタが頭を抱える様子を横目に、ふーんとザックは空返事をしつつアラキナの手にする瓶に視線を向けた。空気が入っているのか、なにやらボコボコと気泡が立っている。ただの薬ではないことは明らかだ。
それを見たザックは、あ、と声を漏らす。
「学園のヤツが来るのって来月か?」
「そうじゃ。その前に村の整備と試験の用意をせねばならんのー。屋敷の客人を迎える準備もせねば。あー忙しい忙しい」
アラキナは汗もかいていない額を腕で拭う動作をすると、二人に背を向けた。その肩を慌ててリタが掴む。
「ちょーっと待ったぁ! アラキナさん、頼んでた薬は?」
「ほれ」
アラキナは左手の人差し指でくるりと円を描く。空中にリタの用意した瓶が浮かぶ。丸みを帯びた瓶の底には、水色に近い色の液体が沈んでいる。アラキナは宙に浮かんだそれを手に取り、リタに差し出した。
「これ?」
リタは差し出された瓶の中身を凝視し、訝しんだ。やはりどう考えても色が違う。しかし、アラキナはこれを受け取れとぐいぐいと押しつけてくる。リタはひとつため息をつくと、渋々瓶を受け取った。その瞬間、湿地ミントの爽やかな香りがふわりと漂う。改めて瓶の中をのぞき込むと、そこに入っている液体にわずかに粘り気がある。苔アロエの性質に近い。試しに揺すってみたが、色が変わる様子はなかった。
「なに、これ?」
「ダンズ印の風邪薬じゃ」
「……なんで?」
「じきに分かるわい」
妙に達者な口笛を吹きながら、アラキナは中央のツリーハウスへ姿を消していく。リタは瓶を受け取ったまま、丸い背中を漠然と見つめていた。
メルリアを背負ったクライヴが広場に到着したのは、それから十分後のことである。