第49話 夏空の街道2
文字数 1,760文字
「……前々から思ってたんだけどさ」
先に進もうとしたメルリアの足を、クライヴの躊躇いがちな声が引き留める。
「メルリアが嫌じゃなかったら、もう少し楽に接してくれないか?」
前へ出した右足を引っ込めると、メルリアは振り返った。彼は少し困ったような表情を浮かべていたが、それ以外は普段と変わらない。言葉の意味が今一つ理解できず、首をかしげる。
「もう他人ってわけじゃないと思うし……、敬語じゃなくていいっていうか、同年代くらいの友人くらい気軽に接してもらえたら嬉しいんだけど」
メルリアはクライヴの提案に口をつぐんだ。決して嫌というわけではない。
彼女には同年代の友人はいなかった。ベラミントは田舎の村である。あそこには子供がいることが珍しく、いたとしても観光客か旅行客で、住む人間は年寄りが多い。生まれてから十八年、年の近い人と長くかかわったのはつい先日、シーバでのフィリスとフィオンくらいのものだ。あれくらいの距離感で接していいものだろうか? けれど、年下に見るような言動は失礼じゃないだろうか……?
メルリアがうんうんと頭を捻らせていると、クライヴはばつが悪そうに頬をかく。
「嫌だったらいいんだけど」
その言葉に、メルリアは首を横に振った。
どう言うべきかと困っていると、脳裏に祖母の笑顔が浮かぶ。フィリスやフィオンといった年下に接するように、というのは少し抵抗があるが、祖母にするように喋るのは、自然にできる気がした。
「う、ううん、嫌なんかじゃないで……、ない!」
メルリアはでかかった丁寧語を喉の奥に無理矢理押し込んだ。
大きく息を吐くと、左胸に手を当てる。ほんの少しだけ早い胸の鼓動が右手に伝わった。大丈夫と呟いて、顔を上げる。
「嫌なんかじゃないよ……って、失礼じゃないかな?」
メルリアは慎重に一つずつ言葉を口にする。
「そんなことない」
苦笑するメルリアを見て、クライヴは間を入れず否定した。
その様子に、メルリアは安心したように微笑む。
「なんだか仲良くなれたみたいで、嬉しい」
メルリアは声を弾ませ、軽い足取りで街道を駆けていった。
無邪気に見せる笑顔にクライヴの視線が奪われること、一刻。その間に、二人には馬車一台分ほどの距離が広がっていた。クライヴもその後を続こうと、一歩足を踏み出すと、何か柔らかい物を踏んだような感触があった。左足の靴が引っ張られ、転びそうになったが持ちこたえる。視線を落とすと、左の靴紐がだらんと前方へ伸びていた。片方の紐は土色に変色しており、靴の裏に似た模様がついている。どうやらこれを踏んだらしい。
「メルリア、悪い。靴紐が解けたみたいだ。すぐに行くから、先に行っててくれ」
「うん、分かった」
メルリアは少しペースを落として、街道を歩いて行った。
クライヴは手早く左側の靴紐を固く結ぶと、念のため右側も確認する。こちらの結び目も緩んでいるようだ。念のため直しておかないと――クライヴは一度顔を上げ、メルリアの姿を確認する。この道は一直線で、高低差もないため見失いにくいのだが。
確かに距離はあるが、走ればすぐに追いつく距離だ。風に揺れ、二つに結んだメルリアの髪がさらさらと風になびく。古ぼけたリュックには、昔、彼女の祖母からもらった白い石のお守りが揺れていた。
そんなメルリアの後ろ姿に、クライヴは目を奪われていた。
――それに私……、クライヴさんがとっても優しい人だって、知ってます。
頭の中では、先ほど聞いたばかりのメルリアの声を思い出す。
彼女の姿が徐々に遠ざかっていく。ピタリと足を止め、メルリアが振り返った。その様子にはっとしたクライヴは、手を上げて応える。
「悪い、すぐ行く!」
遠くにいるメルリアに叫ぶと、彼女は頷いてまたゆっくりと歩き始める。クライヴは手早く右側の靴紐を縛り終わり、立ち上がった。
慌てて追いかけようと、右足を前に出す。が、一歩踏み出したところで足を止めた。
左方の森から、ヒュウヒュウと音を立て冷たい風が吹いた。まるで木枯らしを思わせるそれは、その森の木々から五枚ほど葉をもぎ取り、街道を吹き過ぐ。通り雨のような鋭い風が止むと、舞っていた青葉が地面に落ちた。枯れ葉のような乾いた音はない。
……嫌な予感がする。
クライヴは急いでメルリアの元に向かった。
先に進もうとしたメルリアの足を、クライヴの躊躇いがちな声が引き留める。
「メルリアが嫌じゃなかったら、もう少し楽に接してくれないか?」
前へ出した右足を引っ込めると、メルリアは振り返った。彼は少し困ったような表情を浮かべていたが、それ以外は普段と変わらない。言葉の意味が今一つ理解できず、首をかしげる。
「もう他人ってわけじゃないと思うし……、敬語じゃなくていいっていうか、同年代くらいの友人くらい気軽に接してもらえたら嬉しいんだけど」
メルリアはクライヴの提案に口をつぐんだ。決して嫌というわけではない。
彼女には同年代の友人はいなかった。ベラミントは田舎の村である。あそこには子供がいることが珍しく、いたとしても観光客か旅行客で、住む人間は年寄りが多い。生まれてから十八年、年の近い人と長くかかわったのはつい先日、シーバでのフィリスとフィオンくらいのものだ。あれくらいの距離感で接していいものだろうか? けれど、年下に見るような言動は失礼じゃないだろうか……?
メルリアがうんうんと頭を捻らせていると、クライヴはばつが悪そうに頬をかく。
「嫌だったらいいんだけど」
その言葉に、メルリアは首を横に振った。
どう言うべきかと困っていると、脳裏に祖母の笑顔が浮かぶ。フィリスやフィオンといった年下に接するように、というのは少し抵抗があるが、祖母にするように喋るのは、自然にできる気がした。
「う、ううん、嫌なんかじゃないで……、ない!」
メルリアはでかかった丁寧語を喉の奥に無理矢理押し込んだ。
大きく息を吐くと、左胸に手を当てる。ほんの少しだけ早い胸の鼓動が右手に伝わった。大丈夫と呟いて、顔を上げる。
「嫌なんかじゃないよ……って、失礼じゃないかな?」
メルリアは慎重に一つずつ言葉を口にする。
「そんなことない」
苦笑するメルリアを見て、クライヴは間を入れず否定した。
その様子に、メルリアは安心したように微笑む。
「なんだか仲良くなれたみたいで、嬉しい」
メルリアは声を弾ませ、軽い足取りで街道を駆けていった。
無邪気に見せる笑顔にクライヴの視線が奪われること、一刻。その間に、二人には馬車一台分ほどの距離が広がっていた。クライヴもその後を続こうと、一歩足を踏み出すと、何か柔らかい物を踏んだような感触があった。左足の靴が引っ張られ、転びそうになったが持ちこたえる。視線を落とすと、左の靴紐がだらんと前方へ伸びていた。片方の紐は土色に変色しており、靴の裏に似た模様がついている。どうやらこれを踏んだらしい。
「メルリア、悪い。靴紐が解けたみたいだ。すぐに行くから、先に行っててくれ」
「うん、分かった」
メルリアは少しペースを落として、街道を歩いて行った。
クライヴは手早く左側の靴紐を固く結ぶと、念のため右側も確認する。こちらの結び目も緩んでいるようだ。念のため直しておかないと――クライヴは一度顔を上げ、メルリアの姿を確認する。この道は一直線で、高低差もないため見失いにくいのだが。
確かに距離はあるが、走ればすぐに追いつく距離だ。風に揺れ、二つに結んだメルリアの髪がさらさらと風になびく。古ぼけたリュックには、昔、彼女の祖母からもらった白い石のお守りが揺れていた。
そんなメルリアの後ろ姿に、クライヴは目を奪われていた。
――それに私……、クライヴさんがとっても優しい人だって、知ってます。
頭の中では、先ほど聞いたばかりのメルリアの声を思い出す。
彼女の姿が徐々に遠ざかっていく。ピタリと足を止め、メルリアが振り返った。その様子にはっとしたクライヴは、手を上げて応える。
「悪い、すぐ行く!」
遠くにいるメルリアに叫ぶと、彼女は頷いてまたゆっくりと歩き始める。クライヴは手早く右側の靴紐を縛り終わり、立ち上がった。
慌てて追いかけようと、右足を前に出す。が、一歩踏み出したところで足を止めた。
左方の森から、ヒュウヒュウと音を立て冷たい風が吹いた。まるで木枯らしを思わせるそれは、その森の木々から五枚ほど葉をもぎ取り、街道を吹き過ぐ。通り雨のような鋭い風が止むと、舞っていた青葉が地面に落ちた。枯れ葉のような乾いた音はない。
……嫌な予感がする。
クライヴは急いでメルリアの元に向かった。