第67話 ミスルトーの朝3

文字数 3,563文字

 メルリアの目眩が落ち着いた頃、三人は広場で一つのテーブルを囲んでいた。
 病人であるメルリアには背もたれと肘掛けつきの一番新しい椅子を、少女は普段使っている年季が入りかけた椅子を、男には少女が罰として丸太を切り崩しただけの台に腰掛ける。
 メルリアは少女がどこからともなく用意したすり潰した豆のスープを片手に、ミスルトーのことを教わっていた。ヴェルディグリとグローカスの間にある集落ということ。この村には基本的にエルフしか住んでいないということ。代表を務める村長はアラキナ・ダンズというエルフの老婆だということ。そして、先ほど自分をかばってくれた少女の名前はリタだということと、粗暴な印象の男はザックという名前だということを知る。メルリアも自身の名を伝え、お互いに自己紹介を済ませた頃には、手元のスープはすっかり空になっていた。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「はーい」
 リタは手早くテーブルの端に食器を寄せると、メルリアの前に小花柄のティーカップを置いた。ティーポットから静かに紅茶を注ぐと、お化けリンゴの風味が香った。焦げ茶色のフレーバーティーだ。しっかり目をこらすとお化けリンゴ特有の青みが見えなくもないのだが、未だ熱のあるメルリアはそれに気づかない。メルリアはリタに頭を下げると、ティーカップを手に取った。ふわりと漂うリンゴの香りがどこか懐かしい。紅茶の表面をぼうっと見つめていると、ザックはテーブルに肘をついた。
「にしても、まだ熱あんのかお前、気合いが足りねーんじゃねーの?」
「いやいや、あの薬は皜潔薬(こうけつやく)だって」
皜潔薬(こうけつやく)……?」
 聞き慣れない単語にメルリアが首をかしげると、リタは人差し指で空中を指さす。その指がふらふらと揺れた。
「エルフに昔から伝わる医術の一つだよ。薬は主に、草の根っことか、葉っぱとか、樹皮とか果物を使うの。体に負担が少ない分、普通のよりも効果はゆっくりだね」
 無理矢理魔法で治すこともできなくはないんだけど、とリタは苦笑する。
 無理矢理魔法を使った場合、症状は治まっても体力も免疫も落ちたまま熱だけ下がることになり、それ故違う病気を拾うリスクが高くなる。当人の体力が落ちている場合はかえって逆効果だ。魔法も万能ではない――リタはふっとティーポットに視線を向けると、自分のティーカップに紅茶を注いだ。そこから再び湯気が立ち、その白が広場の空へ曖昧に伸びていく。
「あの……リタさんに、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「うん、いーよ。ついでに敬語もいらないよー」
 へにゃへにゃと笑いながら、リタは左手を前後に振る。それを見てメルリアはほっと表情を和らげるが、それもほんの一瞬。居心地が悪そうに視線を背け、しかし恐る恐る少女を見つめる。
「私はどうしてこの村にお世話になってるのかなって……」
「ん? クライヴから聞いてないの?」
 メルリアは黙ってうなずく。
 魔獣に襲われたこと、クライヴがその一撃から身を挺して守ってくれたこと、肝心の魔獣はルーフスの魔術士が倒してくれたこと――そこまでは知っている。けれど、どうしてここに世話になっているかは全く知らないのだ。
 つまらなそうに欠伸をするザックを横目に、リタは話し始める。
「私も又聞きだけど……。結論から言うと、魔獣はルーフスの魔術士が倒してくれたんだ。で、その魔術士が気絶したメルリアをこの村まで運んでくれたの。あ、魔術士っていうのは、イリスとクロードって人なんだけど」
「え……!」
 その言葉に、メルリアは息をのんだ。驚きで心臓が早鐘を打つ。膝に置いた右手にまでその鼓動が伝わってくるほどに。
 メルリアはイリスに会った次の日にヴェルディグリを出た。それに……。メルリアは一つ息をのむと、あの昼食時のことを思い出す。皿いっぱいの骨付き肉を平らげ、肉の骨を山のように積み上げたイリスは、後は軽く魔獣退治をして帰るつもり、と言って笑っていた。討伐対象があの魔獣ならばいささか話が出来すぎているが、あり得ないことではない。
「あの、お二人はもう……?」
「さっさと帰った。クソ」
 呆れ顔でザックは零すと、椅子らしい切り株の上で足を組み直した。ビールジョッキのような大きな器になみなみと入った水を一気に呷る。濡れた口を腕で拭うと、ジョッキを乱暴に置いた。テーブルに載っていた陶器が耳障りな音を立てる。
 それにしても……。メルリアは波紋が広がるティーカップの縁を見つめた。イリスが楽しそうに話すクロードという人物には一度会っておきたかった。彼女の仕事ぶりにも興味があったし、二人には直接礼が言いたかった。しかしそれは叶いそうにないなと、紅茶に再び口をつける。
「そうだ、イリスが言ってたよ。『危ない目に遭わせてごめん』って」
「そんな、私の方が助けてもらったのに……」
「そうだそうだ」
 隣から飛んできたやる気のない野次に、リタはにこやかに笑う。その笑顔を貼り付けたまま、口の中で何事かをつぶやいた。すると、ザックが腰掛けていたはずの丸太が姿を消す。
「あ? ――ッ!?」
 太ももと臀部の感覚が消えたと疑念が浮かぶのもつかの間。ザックはそれに対応できず、思い切り臀部を地面に強打した。声にならない、うめき声のような音を漏らしながら体を横たえると、ザックは腰を丸める。しばし、生まれたての子鹿のように体を震わせたまま動かない。慌てて席を立とうとしたメルリアを、リタが手で制した。
「リタテメェ……、いつから、こんな乱暴に……」
「アラキナさんに教えてもらったんだー。『番犬の躾け方』ってやつ?」
「あんのクソババァ……!」
 普段通りのマイペースで笑うリタの声を聞き、ザックはわなわなと拳を振るわせる。しかし、その怒りの矛先をぶつける人物がいない。持て余した感情を拳に預け、思い切り土の地面を殴ると、土煙を起こしながら周囲が揺れた。数秒遅れてメルリアがびくりと反応する。
 この二人相性悪いなあ、と苦笑しながら、リタは咳払いを一つした。
「話を戻すけど、あの魔獣はイリス達と戦ってて手負いだった。だから、普段だったら襲わないはずのメルリアを襲ったんだろうって――ほら、魔獣って人間の魔力がお食事でしょ? けど、判断力が鈍ってたみたいだねえ」
 メルリア自体には魔力が一切ないから、魔獣にとっても、こちらを襲ったところで得るものは全くない。しかし手負いとなると話が変わってくる。今回の場合は消滅寸前まで追い詰められていたため、魔獣の知能の部分がほとんど破壊されていた。こういった場合、人型であれば見境なく襲うことも珍しくはないのだ。
「イリスって……、まあクロードもだけど。あの二人って、正義感強いんだよねえ」
 メルリアはその言葉にうなずいた。
 こちらも思うところがあった。今回の件もそうだが、ヴェルディグリで助けられた一件もそうだ。普通、あの年の女性が、あの状況で他人を助けられる勇気は持ち合わせていない。
「イリスは、間違ってることは間違ってるって言う。その魔力量にしてはテメェの実力を正しく評価できてるし、決して傲慢な態度はとらねぇ。あいつは自分の弱さを解っている」
 いつの間にか地面であぐらをかいているザックは淡々と呟いた。しかし、やがてうっとうしそうに頭をかいて唸る。どうにも落ち着きがない様子だ。
「あの、お加減よろしくないんですか……?」
「病人に言われたかねぇ!」
 キッとにらみつけられたメルリアは、萎縮して肩を丸くする。
「俺の分は喋った、だから今度はテメェがイリスの話を聞かせろ」
「話したの私なんだけどー?」
「うるせえ!」
 リタは控えめに抗議してみせるが、ザックは知らんと言わんばかりにこちらから視線をそらした。仕方ないかあ、とため息をつき、メルリアの腕をそっと引き、耳打ちした。
「ザックねぇ、こないだイリスにフられたから機嫌悪いみたい。ごめんねー」
「そうなんですか……」
 リタは彼を伺う。その視線は普段と変わらずマイペースで、どこかぼんやりとしていた。
 対して、メルリアの表情はあまり明るいものではない。落ち込んだ様子で頭を垂れ、申し訳なさそうにザックの顔色をうかがっている。
 その二つの視線を意図通りに受け取ると、ザックは乱暴に頭をかいて怒鳴った。
「哀れみの目で俺を見るんじゃねぇ! リタァ! テメー余計なこと言ったな!」
「フられた八つ当たりをするザックが悪いよー」
 ザックの怒鳴り声に、メルリアは頭の中がぐるぐるとかき回されるような気分の悪さを覚える。ふう、と頬に冷や汗を一つ。とりあえず落ち着こうと、懐かしさの香るフレーバーティーを味わった。
 皜潔薬の説明通り、すぐに効き目が出るわけではなさそうだ。荒い息を吐いた後、体温が再び上がってきているなとぼんやり自覚していた。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・ローウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

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