第19話 助け船?

文字数 4,587文字

 メルリアは翌日、酒場のテーブル席で遅めの昼食を取っていた。
 支度を調え、部屋の鍵もきちんと返した。その気になればいつでも出かけられるのだが、中々出発できずにいた。
 先日の雨を引きずるように、今日は朝からどんよりと曇り空が広がっている。いつ雨が降ってもおかしくないような鈍色の空だ。それに湿気も多い。久しく太陽の光が差しておらず、土の道にも所々水たまりができていた。歩きやすいとはとても言えないだろう。
 メルリアは宿泊室へ続く奥の階段を見つめた。行き交う人物はどれも知らない顔ばかり。若い男が一人、メルリアと同じくらいの女が二人、階段を行き来する。奥から階段を下る音が聞こえたが、メルリアは今度こそ顔を上げなかった。その足音が軽く賑やかで、子供のものだとすぐに分かったからだ。
 人々の行き来がやみ、足音もすっかり消えた後、メルリアは再びその空間に目をやった。
 昨晩のクライヴのことが、どうしても気になってしまう。心配だという気持ちももちろんあった。しかし、今はそれだけではない。脳裏に浮かぶのは、昨晩最後に見たクライヴの表情だ。まるで人が変わったかのように、どこか乱暴な印象があった。灯台祭の時にも同じような表情を見た。自分の知るクライヴとは想像もつかないような攻撃的な表情。とっさに怖いと感じたが、メルリアは、あれがクライヴの本当の顔だとは思えなかった。悪いと謝ってきた表情も気になるし、病気のことも気がかりだった。
 カチン、と陶器の皿が高い音を上げる。スプーンが空の皿を冷たく突き刺した音だ。メルリアは自分の立てた音にはっとした。かつてハヤシライスの入っていたその皿は、すっかり空っぽになっていた。端から見たら物足りないように首をかしげ、メルリアはゆっくりとスプーンを置く。今度は音を立てないよう静かに、慎重に。

 昼食代を支払い終えたメルリアは、再度あの階段を見つめた。音も聞こえないし、人が出入りする気配はない。玄関の扉に目をやった後、名残惜しそうに階段の向こうへ視線を向けた。後ろ髪を引かれながらも、メルリアはリュックを背負い直す。
 その時、宿酒場の扉が勢いよく開いた。木製の扉が今にも吹っ飛びそうな怪しい音を立てる。
「大変だぁ! オカミさん、助けてくれぇ!!」
 そこには三十代半ばの男が立っていた。情けなく涙を浮かべ、鼻をズズズッとすすった後、受付のカウンター奥にいる中年の女めがけて問答無用で飛び込んだ。
 その音に驚いたメルリアは、とっさにリュックのひもをきつく握りしめた。次第に氷が溶けていくように、徐々に手の力を抜いていく。身の危険がないことを知ると、大きく深いため息をついた。メルリアはこわごわとカウンターの方を窺う。そこには、子供のようにぐずる男と、まるで本当の母親のように男をあしらう女がいた。年代も女の方が男より二十ほど年上で、顔さえ似ていれば本物の親子に見える光景だった。メルリアは彼らを本物の親子かと錯覚したが、すぐに違うと気づく。
 ……大変そうだな。
 メルリアは男のことが気になった。だが、相談できる相手が傍にいるのだから大丈夫だろう。
 メルリアはそのまま扉の方へ目を向ける。扉が開けっぱなしだというのに、不自然に暗いような気がしたが、大して警戒しなかった。
「っ!?」
 視界に入った物に、メルリアの体がびくりと震えた。曇天の下、ぬぼっと細長い顔の馬が、酒場の中をのぞき込んでいたのだ。
 突然のことに思わずメルリアが一歩後ろに下がる。何かにぶつかって、メルリアはそのままよろけてしまった。いけない、メルリアがそう思った瞬間、背後にあった何かに肩を支えられる。
「っと……大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます……」
 メルリアは体勢を立て直すと、ほっと安堵する。昨日の今日だ、メルリアはそれが誰なのか声だけで分かった。
 振り返って顔を確認する。メルリアが知っているクライヴの顔がそこにあった。まだ数えるほどしか会話していないが、元気で明朗な人――そのイメージとぴったり合致していた。昨晩のような厳しい印象はない。その姿と声に安心して、メルリアの体が再びよろけた。すぐ傍にあるテーブルに手を突き、メルリアは力なく笑う。身なりをただすと、きちんと地に足をつけて立ち上がった。それを見て、クライヴも同じように安堵する。そして、ばつが悪そうに頬をかいた。
「昨日も……いや、この間の灯台祭の事もそうだけどさ。本当に、突然ごめん」
「い、いえ、そんな。私は大丈夫です」
 メルリアはゆっくりと首を横に振った。すまなそうに頭を垂れるクライヴに、どう声をかけようか迷う。ああなってしまった理由を聞いてもいいものだろうか――メルリアが悩んでいると、周囲の音をかき消すほどの涙声が響いた。
「酷いじゃないですかぁっ!! そんなの無理ですよぉっ!」
 先ほど宿に突進してきた男の声だった。
 メルリアとクライヴは、思わずその声がしたカウンター奥へ視線を向ける。男は情けなく泣きじゃくり、嗚咽を漏らしている。目が赤く充血していた。男が顔を上げと、不運にもクライヴと目が合ってしまった。これはまずい、と彼が行動を起こす前に、男は地を這ったまま、四つん這いで二人の方へ近づいてくる。隣で怯えるメルリアには目もくれず、男はクライヴの手をがっしりと掴んだ。
「お願いです、助げでぐだざい……!」
 うええ、とまるで子供のような泣き声を漏らす。咄嗟に男の手を振り払おうとしたクライヴだったが、手がほどけない。態度や声、雰囲気とは正反対に、男の握力は中々のものであった。
 メルリアは硬直したまま、その場から動けずにいた。背後には馬、目の前には妙な動きをする変な人。身動きを取ろうにも取れない状況だ。
 そんな中、カウンターの奥の女が大きく手を叩いた。パンパンと乾いた音が響く。やれやれという表情を浮かべて、女は慣れた手つきで男を引き剥がす。
「アンタねぇ、もうちょっと理性的に行動しなさい! 何言ってるか分かりゃしねぇ」
 女はベシッと男の頭をはたくと、ため息をついた。男はしなしなと机に突っ伏す。そんな男の肩をもう一度強く叩いてから、女は大きく腕を組んだ。
「……コイツの代わりに、アタシが説明するよ」
 ぐったりと嗚咽を漏らす男に向けて、「感謝しな」と女は吐き捨てた。

「――財布が魔獣に食われただって!?」
「ぁい……」
 机に頭をつけたまま、男は肯定のような声を漏らす。
「あの……大丈夫なんですか?」
 後ろでおずおずと話を聞いているだけだったメルリアは、ゆっくりと手を上げた。乾物のようになった男にちらりと視線を向けた後、それとは対照的に堂々と構える女に尋ねる。男本人に尋ねるのが一番だと理解はしていたが、直接声をかけるのは気後れした。
「さてねぇ……」
「財布に入れてた金運上昇の石、宝物だったのになぁ……」
 ヴィリディアンの街道には、魔獣が飛び出さないよう魔術士が結界を張っている。が、それも完璧ではない。魔力が尽きれば結界は薄れ、次第に消えていく。おまけに、魔獣は魔術の流れや結晶を狙う傾向がある。エルフの魔法には見向きもしないことから、魔獣は人間の魔力を餌にしているのではないか――という説が現在の一般常識だ。男は運悪く結界が途切れたタイミングで街道を進み、さらに運悪くそこにいた魔獣に襲われ財布を盗られてしまったのだ。もっとも、魔獣の真の目的は金運上昇をうたう石だけだったのだが。
「無事でよかったじゃないですか」
「あぁ、オレの今月の生活費ぃ……唐草模様のがま口ぃ……明日のオレのメシ代~……」
 クライヴの言葉など上の空と言った風に、まるで宝石を落としたかのように男は財布を惜しむ。机の上に伸ばした手が、食われた財布を掴むように閉じたり開いたりを繰り返していた。
「まあ、アタシは助けないけどね。コイツに何度も付き合っていたら、この店が潰れちまうし」
「いわゆる『常習犯』、ってことですか」
「そうだねぇ、大体一月に一回は面倒ごとを持ち込むんだ。付き合いきれないさ」
 クライヴと女の会話に、男はちろっと舌を出す。その動きを見ていた女は男の右足を思いっきり踏みつけた。声にならないうめき声を上げ、男は気絶したようにぐったりと頭を机に預けた。
「でもまあ、この男、私生活はだらしないが、勤務態度はそこまでじゃあない。だからアタシは、稼ぎは自分で作れっていっつも教えてるんだ」
「この人、何のお仕事をされているんですか?」
 メルリアの問いに、女は入り口の扉を指さした。そこには馬が二頭、のんきに店の中を覗いている。いつの間にか宿を覗く馬が一頭増えていた。
「あれだよ、あれ。運送業、馬車の。こいつは御者だ」
「へ」
 入り口からこちらを伺う馬は、ずっと主人である男を待ち続けているのである。
「だからさぁ」
 呆気にとられるメルリア、そして馬を見て驚くクライヴに、女は投げかける。
「アンタ達、もしヴェルディグリ方面に行く用があるなら、コイツの馬車を使ってってくれないかい? 迷惑料って事で、一人なら三割、二人来てくれるなら半額に値引かせる」
 その言葉に、誰よりも先にメルリアは女の目を見た。その瞳は期待に満ちている。今のまま街道を進めば、いつヴェルディグリにたどり着けるか分からない。馬車であれば、速度がある上に安定しているから、普通に歩くよりもずっと早くヴェルディグリに到着できる。それも、普通に利用するよりも値引いてくれるというのだ。エプリ食堂で稼いだ資金に加え、灯台祭での給料もある。ほんの少しだけ、メルリアには資金面に余裕があった。まさに渡りに船である。
 しかし……。すっかり魂の抜けた様子で机に突っ伏している男の様子を見つめる。じっくり考えてから、ようやく口を開いた。
「分かりました、お願いします」
 メルリアはお人好しだ。困っている人間は放っておけない性格をしている。今回はこちらに益があったが、たとえ値引きの話がなかったとしても、メルリアは喜んで引き受けたことだろう。しかしすぐ決断できなかったのは、この男が信用に足る人物かどうか判断に悩んだからだった。不安よりも、お人好しの性格の方が勝ってしまった。
 メルリアが返事をすると、枯れ木のようにぐったりとしていた男がガバッと起き上がる。男は大げさに咳払いを一つすると、メルリアの手を取った。いかにもといった風に作り笑顔を浮かべ、わざとらしく低い声で言う。
「ありがとうお嬢さん。誠心誠意、エスコートさせてもらうよ」
 状況を理解できないメルリアは僅かに首をかしげる。
「えっと……よろしくお願いします」
 メルリアは頭を下げると、男はなお芝居がかった様子で続けた。
「ははは、任せてくれたまえ」
 そんな二人の様子に――男の方に気味の悪さを感じたクライヴは、俺も、と手を上げる。すると男はメルリアの手を取ったまま、顔だけをクライヴに向けた。
「君も、どうもありがとう。感謝するよ」
 男はクライヴにもわざとらしい対応をした。
「はは……、よろしく頼むよ」
 クライヴは引きつった笑みを浮かべた。口には出せないが正直気味が悪いなと思った。
 クライヴの自身も、メルリアほどではないが困っている人間は放っておけない質だった。この場合、困っているように見えるのは男ではなくメルリアの方であるのだが。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・ローウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

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