第40話 銀髪の魔術士

文字数 5,365文字

「んまーっ! やっぱり肉は骨付きに限るわね!」
 メルリアの目の前でみるみるうちにフライドチキンが骨に変わっていく。
 女はニコニコと笑顔で肉にかぶりついた。一本また一本と食べ終わり、取り皿に骨が溜まっていく。肉を全く残さず綺麗に平らげる女の食べっぷりは、もはや一種の才能かもしれないと思った。
「嬢ちゃんいい食いっぷりだねぇ!」
「おじさんこの肉最高だわ!」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ~!」
 カウンター越しの店主に、女は親指を突き立て、満面の笑みで返した。

 あれから、メルリア達は三人は衛兵の詰め所に連行されていた。
 それぞれの事情といきさつを洗いざらい話す事となった。好戦的に、そして時偶煽る女と、まんまと女の煽りに乗って逆上する男。衛兵はやれやれとため息をつき、メルリアはどうしたらいいものかと言い合う二人の顔を交互に見ながら慌てていた。終いには、メルリアが男を――つまり、被害者が加害者を庇う始末。めったにない展開に、事情聴取を担当した衛兵は肩をすくめた。顔には出さなかったが、眉間がじくじくと痛むような頭痛に悩まされていた。どうまとめたらいいか、誰にも分からなかったからだ。
 膠着状態どころか混沌とした空気が一変したのは、衛兵が女の名前を聞いた時だった。イリス・ゾラ――女がそう名乗った途端、衛兵の男は険しい顔を見せ、中年の男は青ざめた。事情を知らないのはメルリアだけだった。最近似たような響きの名前を知ったばかりだなと思っていたら、周囲の空気がおかしい事に気づく。
 男はまるで強い恨みを持つように女をきつく睨み付け、「お前なんかに話す事はない」とそっぽを向き口を固く閉ざす。衛兵は頭を掻いた後、手短に話をまとめた。
 それから書類を片付け解放された二人は、女の提案で昼食を取る事となった。女は手早く店を選ぶと、メルリアの腕を引いてずんずんと進んでいく。メルリア一人だったらまず選ばない路地裏の狭い居酒屋だった。狭い、薄暗い、テーブルが古い、椅子がガタガタしている、メニューも見慣れない料理ばかり――とメルリアにとっては不安しかなかった。が、注文した「オレ流ピラフ」は想像よりもずっと味がよかった。メルリアにとっては多少塩分多め、油多めではあったが。

「えっと、あの……イリス、さん?」
「んんー?」
 イリスは骨付き肉をくわえたまま顔を上げる。左の頬が引っ張られたように膨らんでいた。
「イリスさんって、何をされている方なんですか?」
「んんうひ」
 言葉にならない声が漏れ、膨らんだ頬が前後に動く。
「ごめんなさい何言っているのか分かりません」
 イリスは再び骨になったフライドチキンを皿に載せる。食べ終わった骨の山がティーカップ程度の高さになった。
「魔術士。あたし、ルーフスから来たの」
「外国から……」
 ルーフスという国は、ヴィリディアンと隣接する国の一つである。ソル・ヴィザスという大陸一の魔術学園があり、数多くの魔術士を輩出する傍ら、科学技術の発展にも力を入れている。都市部では科学技術を主とした開発も進んでいるが、その一方で自然環境への配慮も忘れない。
 ズィルヴァーは科学技術の発展に、ネラは魔術の発展に振り切っているが、ルーフスはその双方を取っている。
「イリスさんって、すごい人なんですか?」
「さぁねえ。あたしの家――ゾラ家は代々魔力がある家系らしいけど」
 次の肉に向けた手が、ぴたりと止まる。
「だからあのオッサンびびったんじゃない?」
 イリスは鼻で笑うと、突然表情を引き締める。新しいフライドチキンを手に取ると、それを指し棒のようにメルリアへ向けた。
「えっと、メルリア……だっけ。あんた、断る時はきっぱり断らなきゃ駄目よ。今日は偶然あたしがいたからいいけど、基本的に人の助けはないものだと思って行動しなさい。自分の身は自分で守れるようにならなきゃ」
「は、はい……ごめんなさい。今日はありがとうございました」
 しゅんと萎縮するメルリアを見たイリスは「まあいいか」と呟くと、持っていたフライドチキンにかぶりつく。もうこれで七本目だった。皿にはあと三本残っている。まだ手をつけられていないフライドチキンの皿より、骨の方がずっと背が高い。この様子だと、残り三本も軽々食べちゃうんだろうなあ、とメルリアはその山を見ながら思った。
「イリスさんはどうしてこの国に来たんですか?」
「相方の仕事についてきたの。後は軽く魔獣退治して稼いで帰るつもり」
 メルリアの顔を見て話しながら、イリスは骨付き肉の皿に手を置く。爪が皿に当たったせいで、カチンと高い音が鳴った。骨付き肉はイリスの右手のもう一センチ左側だ。
 魔獣退治で稼げるということは、魔力はもちろん、相当高い戦闘力を持っていることになる。メルリアはまじまじとイリスの顔を見つめた。年齢は二、三歳年上といったところだろうか。腰まである長い銀髪に、赤の強い紫色の瞳をしている。イリスは再び骨付き肉を頬張り、頬が膨らむ。顔の輪郭が不思議な形に変わった。
 ――きっとすごく強いんだろうけれど、あんまりそういう風には見えないなあ……。
 視線に気づいたイリスがメルリアを見る。ピラフの皿が空になっていることに気づくやいなや、イリスは切り出した。
「質問ばっかりじゃなくてさ、あたしにもあなたの事聞かせてよ。メルリアはこの街の人?」
「あ、いえ。ベラミントって村から来たんです。旅をしていて」
 メルリアはイリスにこれまでの経緯を軽く説明した。
 子供の頃、祖母と二人で不思議な花を見た事。祖母が病気をしてしまった事。病気が治ったら二人でその花を探しに行こうと約束した事。祖母が他界し、自分一人でもその花を探すために旅をしている事。旅先で知り合った人に植物に詳しいという人を紹介してもらったこと。今は情報を得るために、その人のところで仕事の手伝いをしていること。
 そこまで話し終えると、それまで黙っていたイリスが口を挟む。
「んで、収穫は?」
 イリスは骨の山に新しい骨を落とす。ぐらりと怪しく骨の山が揺れて、崩れそうになったところを左手で押さえた。きちんと整形した後、皿に残った最後の一本を手に取る。
「収穫……?」
 首を傾げるメルリアを見て、イリスはあからさまに苦い顔を浮かべる。
「何日かそいつのところにいるんでしょ? 今まで情報を小出しにしてくれたりとか、ヒントとか、何かもらってないの?」
「あ……」
 考えた事ありませんでした、今気づきました、という顔をするメルリア。事実そう思っていたし、考えが完璧に顔に出ていた。
 ネフリティスのところに厄介になってから一ヶ月弱。その手の話は一切聞かされていなかった。
 イリスはその表情から全てを察すると、軟骨を思いっきり噛み砕く。意図的ではない。ガリッと嫌な音が口の中で聞こえた。まあいいや食べられるし、とそのままゴリゴリと咀嚼する。イリスは完全にあきれ顔で、うわあこいつマジのお人好しだ、という目でメルリアを見ていた。そりゃああんなヘンなのにも絡まれるよなあ、とも。
 妙な空気が二人の間に流れていた。
「で、でも、今日、話を聞いてくれそうな感じでした!」
 メルリアは出かける前にあの花の特徴を書いた事を思い出す。朝あった事を伝えるが、イリスの目は未だなお死んだ魚のように濁ったままだった。
「悪い事は言わないわ、本人にもう一度問いただしなさい」
「あ、はい……」
 そう言いながら、メルリアはネフリティスの顔を思い出す。聞いてくれるだろうか? あまり自信はない。教えてくれるかもしれないし、また今度と軽くあしらわれそうな気もする。どちらとも言えなかった。
 今日は夕食もいらないと言っていたから、きちんと聞けるのは明日以降。明日の朝食が最速のタイミングだ。けれど、明日に話ができるだろうか?
 今朝のネフリティスの様子を思い出し、メルリアの表情が陰る。
「どうかした?」
 見かねたイリスがそう声をかけた。
「今朝、私がちょっと話をしてから様子がおかしかったので、気になっちゃって……」
「何の話をしたの?」
 イリスは肉を食べ終わると、皿に最後の骨を乗せる。その骨だけ、関節の部分が不格好だった。
「時計の音が変だったって話をしたんです。朝、変な秒針の音を聞いたんですけど、そこに時計はないって言われて……。それどころか、秒針のある時計はここにはないって」
 メルリアは朝の記憶を思い出しながら、ぽつぽつと話す。
 確かに時計の針が動く音を聞いた。けれど、そんな時計はないと言われた。ネフリティスの言葉が嘘だとは思えない。自分の耳も間違いだとは思わないが――。
 やがて、メルリアは苦笑いした。
「私、疲れてたのかもしれないです。そもそも最初に聞こえた秒針の音、二階の奥の部屋からだったのに、廊下を出ても聞こえたんですから」
 話半分で聞いていたイリスは、メルリアの目をじっと見つめた。言葉の真意を探るように三秒ほど。そうしてから、椅子に座り直す。ギィ、と不安定な音がした。ビールジョッキに入った水に手をつけようとして、その手を引っ込める。
 やけに静かなイリスに、メルリアは居心地が悪くなった。やがて、背中のあたりに違和感を覚えた。いたたまれない。自分の聞き間違いだと話を終わらせようとすると、イリスが厳かに言う。
「それ、時の魔術の音よ」
「え……?」
 首を傾げるメルリアを見るなり、イリスは一つ咳払いをした。
「人間の魔術は、エルフの魔法みたいに万能じゃないわ。人間は、この世に存在する元素の一つを操ることしかできない――そこまでは知っているわね?」
 メルリアはうなずく。
 人間の使える魔術というのは、エルフが扱えるものとは根本的に違うこと。魔術はこの世界のあらゆる元素――地・水・風・火・光・闇――の力を操ることができること。人間一人が操れる元素は基本的にどれか一つだということ。これらの知識は、魔力のあるなしに問わず、この国の人間なら誰しも知っていることだった。
「ごくまれに――それこそ、何百年かに一人いるかいないかって感じなんだけど、『時間』を操れる人間が生まれることがあるの」
 イリスの傍らにあるビールジョッキが冷たい汗をかき、焦げ茶色のテーブルを、一滴、また一滴と濡らしていく。
「あんまり珍しいから、どういうことができるかははっきりと分かってないし、時を操れる人間の存在を知らない人も多いわ」
 まあこれがエルフだったらそこまで珍しくないんだけどね、と付け加え、イリスは今度こそジョッキの水を飲む。小指くらいの小さな氷が、ジョッキに当たり高い音を鳴らした。
 メルリアは大口のマグカップを手に取る。すっかり冷め切った深緑色の薬草茶を見つめた。あまりにも色が深すぎるせいで、そこには何も映っていない。
 イリスの言ったとおりなら、自分の聞き間違いではなかったし、ネフリティスが言っていたことも嘘ではないことになる。それは構わない。けれど、あの家には自分とネフリティス以外いないはずだ。だったら誰が? メルリアの中で一つ謎が増える。自分は魔力が一切ないから、自分だという可能性は絶対ない。だとすれば――。メルリアは顔を上げた。
「エルフの魔法って可能性はないんですか?」
「ないと断言できるわ。時の音がするのは魔術だけ――すなわち、人間だけってこと」
 メルリアの問いを、イリスはきっぱりと否定した。
 これにより、ネフリティス本人の術だという可能性は消えた。ネフリティスはその音に気づいているのかどうか、二人だけで暮らしているはずなのに誰か入ってきたのかどうか、そもそもあの音が鳴る扉の先には何があるのか――考えれば考えるほど謎が増えるが、増えるばかりで疑問は消えない。
 ……分からない。メルリアはマグカップに口をつけ、どろりと濃い薬草茶を口の中に流し込む。鼻に抜ける香りは申し訳程度に爽やかだが、舌先に残るのは強い苦みだけだった。
「ってことは、メルリアを使ってるってヤツはエルフってこと?」
 メルリアがうなずく。すると、イリスは難しい顔をした。不安定な背もたれに全力で背を預け、体を伸ばす。
「わっっかんないわねー……。あたし、こういうの全然駄目だわ。クロがいればなぁ……」
 はぁあ、と大げさにため息をつくと、イリスは天井に向かって伸ばしていた手を下ろす。ギィギィと危ない音を耳に、天井のシミをぼーっと見つめていた。
「『クロ』さん……? お知り合いですか?」
「さっき言ってた相方。あいつ、呆れるくらい頭いいのよ……。あ、クロはあたしがつけた愛称。本名は『クロード』ね」
 今日は日暮れまで仕事だしなぁ……とつぶやいてから五秒後。勢いよく椅子に座り直し、ジョッキに三分の一ほど残っていた水を勢いよく飲み干した。ぷはっとグラスから口を離すと、メルリアの目の前に人差し指を突き立てる。
「あたしから言えることはただ一つ!」
 きっぱりとした口調に、メルリアの背筋がぐっと伸びる。すぐそばで椅子が軋むいやな音がした。
「危なくなったら逃げなさい」
「は、はい……!」
 よし、とイリスは満足そうに笑うと、そういえばと付け加えた。
「それから、そのエルフを紹介したやつに文句言いなさい」
 メルリアは、その言葉にはうなずくことができなかった。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・シーウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

ウェンディ・アスター


不明(20代後半くらいに見える)

街道の外れの屋敷で働くメイド。

屋敷の中で一番力が強い。

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