80.5話 屋敷への手紙

文字数 2,418文字

 屋敷を取り囲む木々のくっきりした影が曖昧に、黒でしかなかった場所にわずかな色が見て取れる。
 そう遠くない頃、夜半の屋敷に朝が訪れるだろう。
 エルヴィーラはリビングのソファで微睡んでいた。黒ウサギの抱き枕を抱えながら、穏やかな寝息を立てる。いつの間にか用意された肌掛けに包まれながら、口の中で彼の名前を呼んだ。それは声にはならない。
 そんな彼女を気遣いながら、音もなく動く人物が一人。メイドのウェンディは使い終えたペンとレターセットを片付けながら、窓を瞥見した。外に動く影がないと判断すると、やれやれと息を吐く。手紙の返事すら寄越さないのか――と、主のない椅子を睨み付けた。その瞳には苛立ちの色が見える。人差し指で組んだ腕の上を叩いた。
 シャムロックが定期連絡を欠かすなど……。アラキナ・ダンズがいくら破天荒なエルフであろうと、弁えているところは弁えているはずだ。疑わしいのは彼の方である。
「ウェンディ……手紙は……?」
 ウェンディの苛立ちを察したのか、エルヴィーラが体を起こす。眠い目を擦りながら、小さなあくびを零した。
「まだです」
 浅い夢から覚めたエルヴィーラに、ウェンディはぴしゃりと言い放つ。
 エルヴィーラはもう一度あくびをすると、彼女と共に窓の外へ目を向けた。

 アラキナの手紙が届いたのは、ちょうど今から六日前のことだ。
 月満草の様子がおかしい。五日以内に調査を頼みたい。テオフィールではなくシャムロックが来い。明後日そちらへ馬車が行く――そう記されていた。
 魔女の村へは馬車を利用しても二日はかかる。届いたその日から五日以内ということは、一刻の猶予も与えられない。相変わらずこちらの事情を顧みない無理難題ばかりを押しつけた。
 エルヴィーラはシャムロックからその事を聞くやいなや、私も行きたいと言い出した。どうしてもそこに行く必要がある、そんな気がしたからだ。彼女から提案するのは珍しいとシャムロックは目を丸くするが、仕事が残っているだろうと窘める。反論の一つでも言ってやりたかったが、エルヴィーラは飲み込んだ。自分が仕事を放棄すれば、最初に割を食うのはシャムロックだ。彼は自ら進んで不利益を被る人。大好きで大切な人に苦しい思いはさせられない。それに、自分が屋敷で役立つのは錬金術くらいだから。
 だから、我慢することにした。

 ――返事。まだ、なのか。
 星空には細長い雲が二つばかり浮かんでいた。やがて、白い雲に影が一つ落ちる。その影は、まっすぐこちらに近づいてきた。乙夜鴉が魔女の村から帰ってきたのだ。行きよりも鞄がしぼんでいた。あの中には彼からの返事が用意されているに違いない。エルヴィーラは気だるい体を起こした。
「ご苦労でした」
 ウェンディは窓を開けると、乙夜鴉を迎え、首に掛かった鞄を外した。ポケットから星形のクッキーを一つ差し出すと、鴉は器用にくちばしに含み、夜の闇に消えていく。
 それを背に、ウェンディは鞄の口を開いた。入っていたのは、四つ折りの紙が二枚。それぞれ、紙の隅にはウェンディとエルヴィーラへの宛名が記されていた。
「お嬢様。シャムロック様からです」
 小さな欠伸を漏らすエルヴィーラの傍で膝を折ると、ウェンディは宛名の部分を彼女に向けて手渡した。
「ありがとう」
 エルヴィーラはそれを受け取ると、ソファに深く腰掛けた。柔らかい背もたれに包まれながら、宛名を指で撫でる。ざらりとした感触を味わいながら、インクの黒を見つめた。相変わらず整った文字だ。誰が読んでも見紛う事なき筆跡は、彼の性格を十二分に表している。その文字のまま名を呼ばれる声を想像すれば、すぐ傍に彼がいてくれるような錯覚に陥った。紙の裏にインクの黒が染みている。まだぬくもりが残っているような気がしてならない。そんなわけはない、と、四つ折り紙をゆっくり開いた。そこには、相変わらず端正な文字でこう記されている。
 ――遅くなってしまってすまない。魔女の村で少々用事ができてしまった。明日には村を出る。徒歩で行くから少々時間はかかるが、もう少し待っていてくれ。
 たったそれだけ、要件だけ書かれた短い手紙だった。
 エルヴィーラの右手に力が入る。紙がこすれる乾いた音が響いた。穏やかだった表情が徐々に強張る。不快感に眉を寄せ、誰もいない夜の闇を見つめた。
 シャムロックは何かを隠している――本能的に理解したからだ。問いただすすべはない。責め立てようにも乙夜鴉はねぐらへ飛び去ってしまった。明日手紙を寄越したところで、彼は村を発っている。ため息をつくと、同時に手紙を読み終わったウェンディが、それを懐にしまった。
「エルヴィーラ様。明日、地下から出したいものがあります。ご協力いただけますか」
 彼女は相変わらず感情を表に出さず、ただ淡々としている。しかし、その声色は普段より少し弾んでいた。
 それに気づいたエルヴィーラは、疑問を感じながらも頷いた。何か面白いことでもあったのだろうか。
「ええ、構わないわ。なにを探すの?」
「拘束椅子と足かせです」
 間髪入れずウェンディは言い放った。予想外の返答にエルヴィーラは言葉を失う。
 それに気づいているのか否か判別しかねる様子で、ウェンディは背を向けた。陶器同士が当たるわずかな音からしばらくして、部屋にカモミールの匂いが漂い始める。
 それはエルヴィーラの鼻腔をくすぐった。どこか酸味のある香りがとても落ち着く。短く香りを吸い込んでから、膝に置いた手紙へ視線を向けた。
 ……シャムは何かを隠している。それは事実。けれど、なにを隠しているの? 今のウェンディに聞くのは少しだけ気が引けるし……。
 迷い、不安、恐れ、逡巡――胸の内を巡っては消えていく。それは紅茶に浮かぶ湯気のようにとめどなく、ひどく曖昧だ。
 その靄を心の中に抱えながら、エルヴィーラは手紙を四つ折りに畳む。そうして、自分の宛名が記された文字を優しくなぞった。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・ローウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

ウェンディ・アスター


不明(20代後半くらいに見える)

街道の外れの屋敷で働くメイド。

屋敷の中で一番力が強い。

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