第86話 夜半の屋敷へようこそ
文字数 4,103文字
道の先が明るいことに気づき、メルリアは顔を上げた。道幅は広く、空からは雲が消えていた。そこには月が浮かび、遮るもののない空間を優しく照らしている。周囲の色全てを飲み込む森の終わりが近い証拠だ。
「間もなくだ」
二人に静かな声が投げかけられる。瞬間、視界が開けた。
真っ先に飛び込んできたのは、一軒の立派な建物だ。面積は街道の宿酒場を二つ並べた程度。屋敷というよりは、貴族が持つ別荘という表現の方が正しい。しかし、外観は屋敷の名の通り重厚感がある。漆喰塗りの壁に、夜闇のような黒い壁。太い柱の数々に、半円形のアーチ窓。建物を囲むのは黒い鉄柵だ。
入り口に設置された形だけの外灯には植物の蔦が絡む。その一番上には、侵入者を見張るように乙夜鴉が止まっていた。来客に気づくと、鴉は屋敷に向けて渋い声を上げる。翼を二、三度羽ばたかせ、森の奥へと飛び去った。
鉄柵と同じ暗い色の門扉には、三日月を思わせる形状の模様が目を引いた。奥には、屋敷へ向かって真っ直ぐに続く石畳。脇には旬を終えた薔薇の生け垣が青々と茂る。月明かりに光る薔薇の葉や茎は、どこか青みの混じった色をしていた。
「すごい……」
本当にお屋敷なんだ――メルリアは賞賛の声を上げる。彼女の家は決して裕福ではなかった。今までの人生で貴族と関わってきたことはないし、ベラミントはそもそも田舎の村だ。近所に貴族の別荘もないほどの。だから、目に飛び込むものすべてが新鮮だった。
「鍵を開けてくる、少し待っていてくれ」
シャムロックは言い残し、こちらに背を向けた。
そんな中、門扉に体を預け、目を伏せる女の影があった。女もまた、闇夜に紛れるような漆黒の服を身に纏っている。対照的に、肌は透き通るように白い。月明かりがその姿を曖昧に照らし出した。彼女は近づく足音に耳を貸していたが、けれどそこから動くことはなかった。
シャムロックは門扉の前に立つと、懐から鍵を取り出した。金属質な音を聞いた女は、閉じていた瞼をゆっくり開く。すると、自然と彼と目が合った。彼女の真紅の瞳が静かに揺れる。それはシャムロックよりもずいぶん濃い色だ。彼女は不満そうに頬を膨らませると、手元へ視線を逸らす。
「遅くなってすまない」
返事はない。しかしシャムロックは顔色一つ変えず、門扉の鍵穴に鍵を差し込む。解錠を知らせる無機質な音が大きく響いた。それは門扉の鉄や隣接する塀を震わせる。
音の余韻が完全に消えた後、シャムロックは彼女に微笑みかけた。
「ただいま、エルヴィーラ」
「……遅いわ。それに、あんな手紙だけ寄越して」
エルヴィーラは一つため息を零す。肩に掛かる髪を人差し指で触れた。憂鬱そうで、どこか伏し目がちな様子に、普段とは異なる低い声。
……本当に怒っているようだ。しばらく許してくれそうにはないな、とシャムロックは苦笑を浮かべる。さてどうするべきか、と思案しながら、ゆっくり門を押し開いた。
エルヴィーラは苦い表情で、静かに姿勢を正す。扉の向こうに立つシャムロックに言いたい事はたくさんあるが、うまく言葉になって出てこない。胸に広がる靄は歯がゆさに似ている。
やがて扉が完全に開くと、エルヴィーラは躊躇うように視線を動かし、一歩彼に近づいた。お互い何も言えずにいると、彼の背後から軽やかな足音が響く。
「エルヴィーラさん!」
明るい声を耳にした途端、エルヴィーラは耳を疑った。シャムロックの背後に視線を向けると、こちらへ向かって真っ直ぐに駆け寄るメルリアの姿が見える。二つに結った髪を柔らかく揺らしながら、こちらに手を振っていた。きょとんとしていると、あっという間にメルリアはエルヴィーラの傍らに立った。肩で深い呼吸を数度繰り返し、顔を上げる。疲れか緊張か嬉しさか、彼女の頬はほんのり赤く染まっていた。自分の近くにやってきて、ようやくエルヴィーラはその存在を正しく理解した。
「……メル?」
「お久しぶりです! ずっとお会いしたかったです」
メルリアはかつてのようにその白い手を取ると、にこりと笑う。
手袋越しの体温はやはりメルリアの方が温かい。その熱にどこか懐かしさを感じていると、エルヴィーラの固まっていた表情が解れていく。
「ええ、私も」
エルヴィーラは背中の後ろで手を組む。その声はずいぶんと弾んでいた。
「……今日は『お土産』に免じて許してあげる」
困ったように笑うシャムロックを横目に、エルヴィーラはメルリアの手を引くと、彼女の体を抱き寄せた。突然の出来事に驚き、よろけた体ごとしっかり受け止める。そのまま背中に腕を回し、耳元で囁いた。
「会いに来てくれて嬉しいわ、メル」
エルヴィーラからは大人の香りがする。薔薇に似たの花の香りと、赤ワインの匂いが自然に調和していた。どこか心地の良さと安心感を覚えながら、メルリアはゆっくりと目を閉じる。やはり少しだけ懐かしい感覚がする、と思いながら。
そんな中、控えめにこちらへと近づいてくる人影がひとつ。クライヴだ。すっかり輪から置いてけぼりを食らった彼は、彼女たちから十二分の距離を取り、唇の端を震わせた。
「……シャムロック。あの人は?」
「エルヴィーラだ。ミスルトーで話しただろう」
あれが……。クライヴは少し離れたところから女の様子を窺う。メルリアよりも背が高く、シャムロックと同じように黒い格好、真紅の瞳。薄紅とも藤とも言い切れぬ曖昧な髪の色が目を引く。並の男であれば思わず目を奪われるであろう端整な顔だちの女性が、メルリアを大事そうに抱きしめている。
クライヴの顔がどんどん強ばっていく。確かにメルリアはエルヴィーラのことを嬉しそうに話していた。素敵な人だと言っていた表情は明るく、あの人をとても信頼しているのだろう。それくらいは解っていた。……のだが、ここまでの関係だとは思っていなかった。同性であるにも拘わらず、これでもかというほどに仲の良さを見せつけられているようで、胃の辺りがムズムズと落ち着かなくなっていく。終いには彼女たちを見ているのが辛くなってきて、目を逸らした。
「その人は……」
エルヴィーラが遅れて人影に気がつくと、メルリアからそっと離れる。シャムロックの傍へ駆け寄ると、顔を背けるクライヴの様子を、頭のてっぺんからつま先までじっくりと観察した。特に表情は念入りに見つめる。
「シャムのお客さん……、で、いいのね?」
「ああ。彼はクライヴという。俺はこの二人に話をしようと思って連れてきた」
「話……」
エルヴィーラはぽつりとつぶやいた。彼の一言で、言葉の意図を完全に理解したからだ。迷うような視線がメルリアへ、そしてシャムロックへと戻っていく。奥歯を緩く噛むと、ゆっくり頷いた。
エルヴィーラはクライヴの前に立つと、スカートの端を持って小さくお辞儀をしてみせた。その動作はそつがない。口元に浮かべる微笑といい、何も知らない彼には、随分と手慣れたように映った。
「初めまして、エルヴィーラ・アーレンスよ。……どうぞごゆっくり」
手短に挨拶を済ませると、彼女は踵を返した。返事をする余裕もなく、あっという間に距離を取る。やがてメルリアの隣に立つと、今度はエルヴィーラがその温かな手を取った。
「エルヴィーラ」
その様子を見かねたシャムロックが、待ったをかけるように厳しい声色で言う。
「まずは二人と話がしたい。ウェンディに来客があることを伝えてくれないか」
「……分かったわ」
エルヴィーラは不服そうに唇を尖らせると、メルリアの右手をそっと解いた。
「また後でね」
メルリアは何度も何度も力強くうなずいた。その姿を見てくすりと笑みを零すと、エルヴィーラは屋敷の中へと姿を消した。
「驚かせてすまなかったな」
クライヴ、メルリアの双方に視線を送りながら、シャムロックは苦笑する。メルリアはそんなことないと首を横に振り、クライヴはみぞおちの辺りを手で摩りながら苦笑を返事とした。
「まずは二人に見てもらいたいものがあるんだ」
程なくして、屋敷の扉がゆっくり押し開かれた。
エントランスの天井に吊された室内灯が弱々しく屋敷を照らす。辛うじて室内の物質がどこにあるかは確認できるが、物の色は識別できない。この明るさはとても心許なかった。メルリアは渡されたランタンを頼りとするように、きつく握りしめた。
扉を押し開いた人物が、靴音を響かせながらこちらへと向かってくる。女性だ。女性にしてはかなり背が高く足が長い。肩に掛かるボブスタイルに赤い瞳。侍女を思わせる黒いロングスカートに真っ白なエプロン。彼女は迷うことなくシャムロックの傍らに立つと、お辞儀を一つ。
「お帰りなさいませ、シャムロック様」
その後、メルリアとクライヴにも頭を下げる。
「いらっしゃいませ。メルリア様、クライヴ様。私はこの屋敷の使用人、ウェンディ・アスターと申します」
先ほどのエルヴィーラは手慣れた様子だったのに対し、ウェンディの礼は洗練されていた。無駄のない所作というのはどちらも同じだが、こちらの方が多少淡々としている。
「おっ、お世話になります!」
慌てて頭を下げるメルリアを見て、クライヴも軽く頭を下げた。どちらとも、あの二人に比べると動きがぎこちない。ウェンディは口の端でふっと笑ってみせると、シャムロックに一つ耳打ちする。
「……例の件については滞りなく。指示通り、私の好きなよういたしました」
「……? そうか、ありがとう」
「で、お嬢様はどうされます? 放っておきますか?」
それだけ一方的に伝えると、ウェンディは即座に距離を置いた。思わずシャムロックが女の顔色を窺う。瞳の色は濁り、こちらを非難するような――貶むような色を持っていた。その視線を意図通り受け取り、シャムロックは首を振る。
「後で行く……」
「賢明な判断かと」
ウェンディは笑うでも賞賛するでもなく、さも当たり前のことだというように頷くと、客人である二人に向き直った。
「お二人とも。ご案内いたします」
開け放たれた扉の向こうへ、ウェンディは靴音を響かせながら歩いて行く。それにならい、二人は夜半の屋敷へ足を踏み入れた。
「間もなくだ」
二人に静かな声が投げかけられる。瞬間、視界が開けた。
真っ先に飛び込んできたのは、一軒の立派な建物だ。面積は街道の宿酒場を二つ並べた程度。屋敷というよりは、貴族が持つ別荘という表現の方が正しい。しかし、外観は屋敷の名の通り重厚感がある。漆喰塗りの壁に、夜闇のような黒い壁。太い柱の数々に、半円形のアーチ窓。建物を囲むのは黒い鉄柵だ。
入り口に設置された形だけの外灯には植物の蔦が絡む。その一番上には、侵入者を見張るように乙夜鴉が止まっていた。来客に気づくと、鴉は屋敷に向けて渋い声を上げる。翼を二、三度羽ばたかせ、森の奥へと飛び去った。
鉄柵と同じ暗い色の門扉には、三日月を思わせる形状の模様が目を引いた。奥には、屋敷へ向かって真っ直ぐに続く石畳。脇には旬を終えた薔薇の生け垣が青々と茂る。月明かりに光る薔薇の葉や茎は、どこか青みの混じった色をしていた。
「すごい……」
本当にお屋敷なんだ――メルリアは賞賛の声を上げる。彼女の家は決して裕福ではなかった。今までの人生で貴族と関わってきたことはないし、ベラミントはそもそも田舎の村だ。近所に貴族の別荘もないほどの。だから、目に飛び込むものすべてが新鮮だった。
「鍵を開けてくる、少し待っていてくれ」
シャムロックは言い残し、こちらに背を向けた。
そんな中、門扉に体を預け、目を伏せる女の影があった。女もまた、闇夜に紛れるような漆黒の服を身に纏っている。対照的に、肌は透き通るように白い。月明かりがその姿を曖昧に照らし出した。彼女は近づく足音に耳を貸していたが、けれどそこから動くことはなかった。
シャムロックは門扉の前に立つと、懐から鍵を取り出した。金属質な音を聞いた女は、閉じていた瞼をゆっくり開く。すると、自然と彼と目が合った。彼女の真紅の瞳が静かに揺れる。それはシャムロックよりもずいぶん濃い色だ。彼女は不満そうに頬を膨らませると、手元へ視線を逸らす。
「遅くなってすまない」
返事はない。しかしシャムロックは顔色一つ変えず、門扉の鍵穴に鍵を差し込む。解錠を知らせる無機質な音が大きく響いた。それは門扉の鉄や隣接する塀を震わせる。
音の余韻が完全に消えた後、シャムロックは彼女に微笑みかけた。
「ただいま、エルヴィーラ」
「……遅いわ。それに、あんな手紙だけ寄越して」
エルヴィーラは一つため息を零す。肩に掛かる髪を人差し指で触れた。憂鬱そうで、どこか伏し目がちな様子に、普段とは異なる低い声。
……本当に怒っているようだ。しばらく許してくれそうにはないな、とシャムロックは苦笑を浮かべる。さてどうするべきか、と思案しながら、ゆっくり門を押し開いた。
エルヴィーラは苦い表情で、静かに姿勢を正す。扉の向こうに立つシャムロックに言いたい事はたくさんあるが、うまく言葉になって出てこない。胸に広がる靄は歯がゆさに似ている。
やがて扉が完全に開くと、エルヴィーラは躊躇うように視線を動かし、一歩彼に近づいた。お互い何も言えずにいると、彼の背後から軽やかな足音が響く。
「エルヴィーラさん!」
明るい声を耳にした途端、エルヴィーラは耳を疑った。シャムロックの背後に視線を向けると、こちらへ向かって真っ直ぐに駆け寄るメルリアの姿が見える。二つに結った髪を柔らかく揺らしながら、こちらに手を振っていた。きょとんとしていると、あっという間にメルリアはエルヴィーラの傍らに立った。肩で深い呼吸を数度繰り返し、顔を上げる。疲れか緊張か嬉しさか、彼女の頬はほんのり赤く染まっていた。自分の近くにやってきて、ようやくエルヴィーラはその存在を正しく理解した。
「……メル?」
「お久しぶりです! ずっとお会いしたかったです」
メルリアはかつてのようにその白い手を取ると、にこりと笑う。
手袋越しの体温はやはりメルリアの方が温かい。その熱にどこか懐かしさを感じていると、エルヴィーラの固まっていた表情が解れていく。
「ええ、私も」
エルヴィーラは背中の後ろで手を組む。その声はずいぶんと弾んでいた。
「……今日は『お土産』に免じて許してあげる」
困ったように笑うシャムロックを横目に、エルヴィーラはメルリアの手を引くと、彼女の体を抱き寄せた。突然の出来事に驚き、よろけた体ごとしっかり受け止める。そのまま背中に腕を回し、耳元で囁いた。
「会いに来てくれて嬉しいわ、メル」
エルヴィーラからは大人の香りがする。薔薇に似たの花の香りと、赤ワインの匂いが自然に調和していた。どこか心地の良さと安心感を覚えながら、メルリアはゆっくりと目を閉じる。やはり少しだけ懐かしい感覚がする、と思いながら。
そんな中、控えめにこちらへと近づいてくる人影がひとつ。クライヴだ。すっかり輪から置いてけぼりを食らった彼は、彼女たちから十二分の距離を取り、唇の端を震わせた。
「……シャムロック。あの人は?」
「エルヴィーラだ。ミスルトーで話しただろう」
あれが……。クライヴは少し離れたところから女の様子を窺う。メルリアよりも背が高く、シャムロックと同じように黒い格好、真紅の瞳。薄紅とも藤とも言い切れぬ曖昧な髪の色が目を引く。並の男であれば思わず目を奪われるであろう端整な顔だちの女性が、メルリアを大事そうに抱きしめている。
クライヴの顔がどんどん強ばっていく。確かにメルリアはエルヴィーラのことを嬉しそうに話していた。素敵な人だと言っていた表情は明るく、あの人をとても信頼しているのだろう。それくらいは解っていた。……のだが、ここまでの関係だとは思っていなかった。同性であるにも拘わらず、これでもかというほどに仲の良さを見せつけられているようで、胃の辺りがムズムズと落ち着かなくなっていく。終いには彼女たちを見ているのが辛くなってきて、目を逸らした。
「その人は……」
エルヴィーラが遅れて人影に気がつくと、メルリアからそっと離れる。シャムロックの傍へ駆け寄ると、顔を背けるクライヴの様子を、頭のてっぺんからつま先までじっくりと観察した。特に表情は念入りに見つめる。
「シャムのお客さん……、で、いいのね?」
「ああ。彼はクライヴという。俺はこの二人に話をしようと思って連れてきた」
「話……」
エルヴィーラはぽつりとつぶやいた。彼の一言で、言葉の意図を完全に理解したからだ。迷うような視線がメルリアへ、そしてシャムロックへと戻っていく。奥歯を緩く噛むと、ゆっくり頷いた。
エルヴィーラはクライヴの前に立つと、スカートの端を持って小さくお辞儀をしてみせた。その動作はそつがない。口元に浮かべる微笑といい、何も知らない彼には、随分と手慣れたように映った。
「初めまして、エルヴィーラ・アーレンスよ。……どうぞごゆっくり」
手短に挨拶を済ませると、彼女は踵を返した。返事をする余裕もなく、あっという間に距離を取る。やがてメルリアの隣に立つと、今度はエルヴィーラがその温かな手を取った。
「エルヴィーラ」
その様子を見かねたシャムロックが、待ったをかけるように厳しい声色で言う。
「まずは二人と話がしたい。ウェンディに来客があることを伝えてくれないか」
「……分かったわ」
エルヴィーラは不服そうに唇を尖らせると、メルリアの右手をそっと解いた。
「また後でね」
メルリアは何度も何度も力強くうなずいた。その姿を見てくすりと笑みを零すと、エルヴィーラは屋敷の中へと姿を消した。
「驚かせてすまなかったな」
クライヴ、メルリアの双方に視線を送りながら、シャムロックは苦笑する。メルリアはそんなことないと首を横に振り、クライヴはみぞおちの辺りを手で摩りながら苦笑を返事とした。
「まずは二人に見てもらいたいものがあるんだ」
程なくして、屋敷の扉がゆっくり押し開かれた。
エントランスの天井に吊された室内灯が弱々しく屋敷を照らす。辛うじて室内の物質がどこにあるかは確認できるが、物の色は識別できない。この明るさはとても心許なかった。メルリアは渡されたランタンを頼りとするように、きつく握りしめた。
扉を押し開いた人物が、靴音を響かせながらこちらへと向かってくる。女性だ。女性にしてはかなり背が高く足が長い。肩に掛かるボブスタイルに赤い瞳。侍女を思わせる黒いロングスカートに真っ白なエプロン。彼女は迷うことなくシャムロックの傍らに立つと、お辞儀を一つ。
「お帰りなさいませ、シャムロック様」
その後、メルリアとクライヴにも頭を下げる。
「いらっしゃいませ。メルリア様、クライヴ様。私はこの屋敷の使用人、ウェンディ・アスターと申します」
先ほどのエルヴィーラは手慣れた様子だったのに対し、ウェンディの礼は洗練されていた。無駄のない所作というのはどちらも同じだが、こちらの方が多少淡々としている。
「おっ、お世話になります!」
慌てて頭を下げるメルリアを見て、クライヴも軽く頭を下げた。どちらとも、あの二人に比べると動きがぎこちない。ウェンディは口の端でふっと笑ってみせると、シャムロックに一つ耳打ちする。
「……例の件については滞りなく。指示通り、私の好きなよういたしました」
「……? そうか、ありがとう」
「で、お嬢様はどうされます? 放っておきますか?」
それだけ一方的に伝えると、ウェンディは即座に距離を置いた。思わずシャムロックが女の顔色を窺う。瞳の色は濁り、こちらを非難するような――貶むような色を持っていた。その視線を意図通り受け取り、シャムロックは首を振る。
「後で行く……」
「賢明な判断かと」
ウェンディは笑うでも賞賛するでもなく、さも当たり前のことだというように頷くと、客人である二人に向き直った。
「お二人とも。ご案内いたします」
開け放たれた扉の向こうへ、ウェンディは靴音を響かせながら歩いて行く。それにならい、二人は夜半の屋敷へ足を踏み入れた。