第10話 みさき家の手伝い1
文字数 4,471文字
「ありがとうございました!」
接客を担当したメルリアと、会計を担当したテレーゼの声が重なった。昼最後の客の男はその言葉に振り返らず、手を振って返事の代わりとする。
店の扉が閉まった後、メルリアは緊張から解放されたように、大きくため息をついた。
「メルリアちゃんお疲れさま。頑張ったわね」
「ありがとうございます」
背後からかかった声にメルリアは振り返った。食器を下げる手を止めると、笑顔のテレーゼに軽く頭を下げる。その後、後片付けを再開した。
昼営業の四時間で、みさきの家に来た客は二十組。メルリアは概ね問題なく仕事を終えた。次々と料理が完成し、その提供に手間取ることもあったが、注文を取り違えることは決してなかった。
テレーゼが店の扉にクローズドと書かれた看板を下げて店に戻る。すると、店内にオリーブオイルの香りがふわりと漂った。
「メルリア、これ運んどいて。母さんは無理しないで座ってて。父さんは座ってないで食器出せ」
テキパキと指示を出すフィリス、少し不慣れながらもきちんと指示通りに動くメルリア。フィリスとメルリアの二人は、仕事モードから抜け出せていなかった。それに対して、既に座って水を呷るグレアムはオンオフの切り替えが早い。
テーブルには二つの大きなボウル。一つは余り物や出汁を取った後の貝類を使ったペスカトーレ風パスタ、一つは緑の野菜と赤や白の海草が盛り付けられたサラダ。さらに、色々な野菜やベーコンの切れ端を細かく切って煮たスープが並ぶ。
テーブルに全ての料理がそろった。コールズ家としては当たり前の余り物の昼食であったが、メルリアにとっては、素晴らしく豪華なご馳走に思えた。
テレーゼが人数分茶を淹れ、厨房に立ちっぱなしだったフィリスがようやく椅子に腰掛ける。遅めの昼食が始まった。
フィリスの余り物料理は、メルリアの期待を裏切らなかった。
余り物だし適当にしか作っていない、と照れくさそうにつぶやくフィリスに、本当に美味しいと笑顔で伝えるメルリア。オレの娘はすごいからなと畳みかけるグレアムの言葉にムッと唇を尖らせながらも、彼女の顔はさらに赤くなった。
コールズ家は笑い声が絶えない家族だ。他人であるメルリアもその声を聞いていると、明るい気分になってくる。誰かとこうして喋りながら楽しく食事をするのは、メルリアにとって久しぶりだった。
ロバータが入院してからというものの、メルリアはずっと一人で食事をしていた。エプリ食堂のグエラ夫妻はメルリアを実の孫のように可愛がってくれたし、食事の時間が遅くならないようにと気遣ってくれたが、店を空けるわけにはいかない。結果的に、メルリアは一人で食事を取ることばかりだったのだ。
しかし、今は違う。メルリアとフィリス、グレアム、テレーゼの四人で食卓を囲んでいた。それに、これほど大人数で食事というのは、メルリアにとっては初めてのように感じられた。あるいは、こういう風景がかつてあったのかもしれない――メルリアの脳裏に、父と母の顔が鮮明に思い浮かぶ。大きな手提げ袋を持つ両親の姿。二人とも、不安そうにメルリアの顔を見つめていた。
……あの時は風邪をひいていて辛かったはずなのに、どうして思い出せるのが最後に会った日なんだろう。どうしてそれしか思い出せないんだろう。
「……注文間違いもないし、頼もしいって思ったわ。だから多分、灯台祭でも問題なく働けるんじゃないかしら。メルリアはやってみてどうだった?」
自分の記憶の奥底にいたメルリアは、フィリスの問いかけにはっと顔を上げる。
名前を呼ばれた気がする。けれど、何を言われたかは全く聞いていなかった。
「ご、ごめんね、ぼーっとしてて。何の話?」
「なんだ、やっぱり疲れちまったかい?」
「はい、ちょっと。こんなに忙しいのは初めてだったので。でも頑張ります」
グレアムの言葉に合わせ、メルリアはなんとかその場を取り繕う。作り笑いを浮かべ、頑張るぞと握りこぶしを作ってみせた。
フィリスが再び同じ言葉をメルリアに問いかけ、何とか頑張れそうだとメルリアはうなずいた。グレアムやフィリスのアドバイスを耳に、メルリアは取り皿に残っていたプチトマトを口に含む。最後のトマトだけ、いやに酸っぱく感じた。
食事を終えた後、メルリアは冷めた茶を一気に飲み干した。沈んでしまった気持ちを切り替えるためだ。やがて空になった茶器をテーブルに置くと、メルリアは息をつく。
その時、無遠慮な音を立てて店の扉が開いた。店の外からは一人の少年が顔を出す。
「こんちはー。昼飯残ってる?」
フィリスはその顔を見て微笑すると、厨房へと向かいながら彼に言う。
「あるわよ。出がらしの魚介を使ったペスカトーレもどきの具なしトマトパスタでいいなら」
「余り物の極みだな……。まあいいや、それでよろしく」
少年は苦笑をひとつこぼすと、ずけずけと店内に入ってくる。適当に他の席から椅子を運び、空いているスペース――グレアムとフィリスが座っていた場所の間に椅子を置く。少年と入れ替わるように、テレーゼが使用済みの食器を持って厨房へ向かった。
彼が椅子に腰掛けた時、はじめて少年とメルリアの目が合う。
「うわっびっくりした」
少年は驚いた声と表情を浮かべ、椅子の背もたれに思い切り背を打った。その動きに、メルリアも少年と同じように目を丸くする。やがて、おずおずと少年の様子をうかがった。クローズドと看板が下げられているにもかかわらず入ってきた人物。年はフィリスと同じくらいに見える。フィリスや周囲の反応から察するに客ではないようだが……。悩んでいても分からない。メルリアが口を開こうとするが、彼の欠伸の声で、出かかっていた言葉が引っ込んでしまう。
「ふわぁあー……っ。あー、眠ぃ」
厨房から湯が沸騰し、バラバラとパスタが湯に沈んでいく。水が流れ、食器が重なりぶつかる高い音を聞きながら、少年は目を閉じた。そのままぐんと腕や体を伸ばし、二度目の大きなあくびをした。彼は十二分にリラックスしている。
自己紹介をした方がいいのだろうかと不安になったメルリアだったが、眠たそうに目を擦る彼を見て、それを躊躇ってしまう。ここまで眠そうならば、声をかけずにそっとしておくのが正解かもしれない。
自分が使用した食器を下げようと視線を下に向けると、すでに食器がなくなっていたことに気づく。顔を上げ厨房の方を窺うと、パスタを準備するフィリスの後ろでテレーゼが食器を片付けていた。
「ご、ごめんなさい、食器……!」
メルリアは慌てて立ち上がり奥のテレーゼへ声をかける。流れていた水が止まり、テレーゼはメルリアに微笑みかけた。
「気にしないで、ゆっくりしていて」
メルリアは申し訳ない気持ちを抱えながら、静かに椅子へと腰掛けた。
「フィオン君フィオン君、気にならないか?」
「んー……?」
フィオンと呼ばれた少年は、閉じていた目をゆったりと開く。店の中をぐるりと見回すと、カウンター上の棚へと視線を向けた。
「あー、なんかやたら小物増えたね。しかもユカリノとかオウコウ風の物が多いし。もしかして灯台祭が近いから?」
フィオンの視線の先には動物の置物が並んでいた。その中には、メルリアが今朝拾ったばかりの赤い獅子――赤べこと呼ばれる民芸品――や、熊を模した木彫りの彫刻がある。
あー、と、グレアムは微妙な声を漏らして少年に視線を向ける。太い腕を組みながら苦い表情を浮かべ、わざとらしく「違うんだけどなぁ」という態度をした。それを受け、フィオンは改めて店の中を見回す。パスタを盛り付けるフィリスと視線が合った。一つため息をつく様子を見て、フィオンがはっとする。眠気のせいで半分しか開いていなかった目が、ぱっと大きく見開いた。そのままメルリアへ目をやると、ぽん、と手をたたく。うんうんと何かを納得したように、フィオンは何度もうなずいた。彼の隣に座るグレアムの目が輝く。
「事情は分かんないけど、理解はした。お前も大変だなー」
グレアムの言葉の真意に気づかないまま、フィオンはメルリアに同情的な視線を向ける。その隣でグレアムが盛大に机に突っ伏すが誰も構わない。すぐに顔を上げたからだ。
フィオンのテーブルの前に一人前のトマトパスタが到着する。メルリア達が先ほど食べた物より粘度は薄く、トマトから来る酸味の強い匂いが漂ってきた。
「そういやまだ名乗ってなかったな。俺はフィオン。フィオン・ウェイレット――いただきます」
「私、メルリア・ベルです。よろしくお願いします」
椅子に座ったままメルリアが頭を下げると、言葉として判別できないような曇った音が帰ってきた。辛うじてフィオンの声であり、四文字の言葉を発したとは判断できる。メルリアが顔を上げると、フィオンはパスタに食らいついていた。言葉にならぬ声の原因は、口を閉じて返事をしたせいだと判断した。
……もしかして、よろしくって言ったのかな。
パスタをがっつくフィオンに尋ねるのは憚られ、メルリアは相づちだと思うことにする。
フィリスは気持ち程度の少量のサラダと水を追加すると、使っていた椅子に腰掛ける。入れ替わるようにグレアムが席を立った。
「フィリスちゃんと、フィオン……さん」
「フィオンに敬語なんていらない……、ね?」
言葉に迷っていると、フィリスがスパッと言い放つ。開いた手でフィオンはひらひらと手を振った。肯定の意だ。フィリスがそのように通訳すると、メルリアは改めて言い直す。
「二人はどういう間柄なの?」
「幼なじみ。私とフィオン同じ年だから、生まれたときから付き合いがある感じ」
「まー、もはや腐れ縁って感じかもしれないけどな」
あのね、と呆れるフィリスの表情はすぐに笑顔へと変わる。フィオンへの相づちは、少しだけ返答の声も高い。
それで特別に店を開けていたのか、と先の理由に合点がいく。これ以上尋ねるのは他人に踏み込みすぎるような気がして、メルリアはそれ以上何も言わなかった。代わりに、先ほどグレアムが整えた棚の上をただただ見つめた。喜怒哀楽それぞれの表情を浮かべる動物の置物たちに、果物の絵画と胴体の長い魚の魚拓。荷台から転げ落ちた積み荷同様、どこか統一性のないものが並んでいた。
「はー、ごちそうさま。フィリスのメシはやっぱり美味ぇわ」
「お粗末様。いい食べっぷりだったわ」
あっという間にフィオンは料理を平らげ、フィリスが使い終わった食器を重ねる。メルリアはそこではっと顔を上げた。
「私、持っていくね」
「そう? ありがとう。……そういえばフィオン、灯台祭の二日目だけど。火、いつ?」
フィリスの明るい声を背に、メルリアは厨房の奥へと向かった。
フィオンと話しているフィリスの表情や声色は、メルリアにはどこか嬉しそうに見えた。生まれたときから付き合いがあるというから、フィリスにとってフィオンは家族のように特別な存在なのかもしれない。であれば、二人の空間に自分のような他人が居続けるのは気が引けたのだった。
接客を担当したメルリアと、会計を担当したテレーゼの声が重なった。昼最後の客の男はその言葉に振り返らず、手を振って返事の代わりとする。
店の扉が閉まった後、メルリアは緊張から解放されたように、大きくため息をついた。
「メルリアちゃんお疲れさま。頑張ったわね」
「ありがとうございます」
背後からかかった声にメルリアは振り返った。食器を下げる手を止めると、笑顔のテレーゼに軽く頭を下げる。その後、後片付けを再開した。
昼営業の四時間で、みさきの家に来た客は二十組。メルリアは概ね問題なく仕事を終えた。次々と料理が完成し、その提供に手間取ることもあったが、注文を取り違えることは決してなかった。
テレーゼが店の扉にクローズドと書かれた看板を下げて店に戻る。すると、店内にオリーブオイルの香りがふわりと漂った。
「メルリア、これ運んどいて。母さんは無理しないで座ってて。父さんは座ってないで食器出せ」
テキパキと指示を出すフィリス、少し不慣れながらもきちんと指示通りに動くメルリア。フィリスとメルリアの二人は、仕事モードから抜け出せていなかった。それに対して、既に座って水を呷るグレアムはオンオフの切り替えが早い。
テーブルには二つの大きなボウル。一つは余り物や出汁を取った後の貝類を使ったペスカトーレ風パスタ、一つは緑の野菜と赤や白の海草が盛り付けられたサラダ。さらに、色々な野菜やベーコンの切れ端を細かく切って煮たスープが並ぶ。
テーブルに全ての料理がそろった。コールズ家としては当たり前の余り物の昼食であったが、メルリアにとっては、素晴らしく豪華なご馳走に思えた。
テレーゼが人数分茶を淹れ、厨房に立ちっぱなしだったフィリスがようやく椅子に腰掛ける。遅めの昼食が始まった。
フィリスの余り物料理は、メルリアの期待を裏切らなかった。
余り物だし適当にしか作っていない、と照れくさそうにつぶやくフィリスに、本当に美味しいと笑顔で伝えるメルリア。オレの娘はすごいからなと畳みかけるグレアムの言葉にムッと唇を尖らせながらも、彼女の顔はさらに赤くなった。
コールズ家は笑い声が絶えない家族だ。他人であるメルリアもその声を聞いていると、明るい気分になってくる。誰かとこうして喋りながら楽しく食事をするのは、メルリアにとって久しぶりだった。
ロバータが入院してからというものの、メルリアはずっと一人で食事をしていた。エプリ食堂のグエラ夫妻はメルリアを実の孫のように可愛がってくれたし、食事の時間が遅くならないようにと気遣ってくれたが、店を空けるわけにはいかない。結果的に、メルリアは一人で食事を取ることばかりだったのだ。
しかし、今は違う。メルリアとフィリス、グレアム、テレーゼの四人で食卓を囲んでいた。それに、これほど大人数で食事というのは、メルリアにとっては初めてのように感じられた。あるいは、こういう風景がかつてあったのかもしれない――メルリアの脳裏に、父と母の顔が鮮明に思い浮かぶ。大きな手提げ袋を持つ両親の姿。二人とも、不安そうにメルリアの顔を見つめていた。
……あの時は風邪をひいていて辛かったはずなのに、どうして思い出せるのが最後に会った日なんだろう。どうしてそれしか思い出せないんだろう。
「……注文間違いもないし、頼もしいって思ったわ。だから多分、灯台祭でも問題なく働けるんじゃないかしら。メルリアはやってみてどうだった?」
自分の記憶の奥底にいたメルリアは、フィリスの問いかけにはっと顔を上げる。
名前を呼ばれた気がする。けれど、何を言われたかは全く聞いていなかった。
「ご、ごめんね、ぼーっとしてて。何の話?」
「なんだ、やっぱり疲れちまったかい?」
「はい、ちょっと。こんなに忙しいのは初めてだったので。でも頑張ります」
グレアムの言葉に合わせ、メルリアはなんとかその場を取り繕う。作り笑いを浮かべ、頑張るぞと握りこぶしを作ってみせた。
フィリスが再び同じ言葉をメルリアに問いかけ、何とか頑張れそうだとメルリアはうなずいた。グレアムやフィリスのアドバイスを耳に、メルリアは取り皿に残っていたプチトマトを口に含む。最後のトマトだけ、いやに酸っぱく感じた。
食事を終えた後、メルリアは冷めた茶を一気に飲み干した。沈んでしまった気持ちを切り替えるためだ。やがて空になった茶器をテーブルに置くと、メルリアは息をつく。
その時、無遠慮な音を立てて店の扉が開いた。店の外からは一人の少年が顔を出す。
「こんちはー。昼飯残ってる?」
フィリスはその顔を見て微笑すると、厨房へと向かいながら彼に言う。
「あるわよ。出がらしの魚介を使ったペスカトーレもどきの具なしトマトパスタでいいなら」
「余り物の極みだな……。まあいいや、それでよろしく」
少年は苦笑をひとつこぼすと、ずけずけと店内に入ってくる。適当に他の席から椅子を運び、空いているスペース――グレアムとフィリスが座っていた場所の間に椅子を置く。少年と入れ替わるように、テレーゼが使用済みの食器を持って厨房へ向かった。
彼が椅子に腰掛けた時、はじめて少年とメルリアの目が合う。
「うわっびっくりした」
少年は驚いた声と表情を浮かべ、椅子の背もたれに思い切り背を打った。その動きに、メルリアも少年と同じように目を丸くする。やがて、おずおずと少年の様子をうかがった。クローズドと看板が下げられているにもかかわらず入ってきた人物。年はフィリスと同じくらいに見える。フィリスや周囲の反応から察するに客ではないようだが……。悩んでいても分からない。メルリアが口を開こうとするが、彼の欠伸の声で、出かかっていた言葉が引っ込んでしまう。
「ふわぁあー……っ。あー、眠ぃ」
厨房から湯が沸騰し、バラバラとパスタが湯に沈んでいく。水が流れ、食器が重なりぶつかる高い音を聞きながら、少年は目を閉じた。そのままぐんと腕や体を伸ばし、二度目の大きなあくびをした。彼は十二分にリラックスしている。
自己紹介をした方がいいのだろうかと不安になったメルリアだったが、眠たそうに目を擦る彼を見て、それを躊躇ってしまう。ここまで眠そうならば、声をかけずにそっとしておくのが正解かもしれない。
自分が使用した食器を下げようと視線を下に向けると、すでに食器がなくなっていたことに気づく。顔を上げ厨房の方を窺うと、パスタを準備するフィリスの後ろでテレーゼが食器を片付けていた。
「ご、ごめんなさい、食器……!」
メルリアは慌てて立ち上がり奥のテレーゼへ声をかける。流れていた水が止まり、テレーゼはメルリアに微笑みかけた。
「気にしないで、ゆっくりしていて」
メルリアは申し訳ない気持ちを抱えながら、静かに椅子へと腰掛けた。
「フィオン君フィオン君、気にならないか?」
「んー……?」
フィオンと呼ばれた少年は、閉じていた目をゆったりと開く。店の中をぐるりと見回すと、カウンター上の棚へと視線を向けた。
「あー、なんかやたら小物増えたね。しかもユカリノとかオウコウ風の物が多いし。もしかして灯台祭が近いから?」
フィオンの視線の先には動物の置物が並んでいた。その中には、メルリアが今朝拾ったばかりの赤い獅子――赤べこと呼ばれる民芸品――や、熊を模した木彫りの彫刻がある。
あー、と、グレアムは微妙な声を漏らして少年に視線を向ける。太い腕を組みながら苦い表情を浮かべ、わざとらしく「違うんだけどなぁ」という態度をした。それを受け、フィオンは改めて店の中を見回す。パスタを盛り付けるフィリスと視線が合った。一つため息をつく様子を見て、フィオンがはっとする。眠気のせいで半分しか開いていなかった目が、ぱっと大きく見開いた。そのままメルリアへ目をやると、ぽん、と手をたたく。うんうんと何かを納得したように、フィオンは何度もうなずいた。彼の隣に座るグレアムの目が輝く。
「事情は分かんないけど、理解はした。お前も大変だなー」
グレアムの言葉の真意に気づかないまま、フィオンはメルリアに同情的な視線を向ける。その隣でグレアムが盛大に机に突っ伏すが誰も構わない。すぐに顔を上げたからだ。
フィオンのテーブルの前に一人前のトマトパスタが到着する。メルリア達が先ほど食べた物より粘度は薄く、トマトから来る酸味の強い匂いが漂ってきた。
「そういやまだ名乗ってなかったな。俺はフィオン。フィオン・ウェイレット――いただきます」
「私、メルリア・ベルです。よろしくお願いします」
椅子に座ったままメルリアが頭を下げると、言葉として判別できないような曇った音が帰ってきた。辛うじてフィオンの声であり、四文字の言葉を発したとは判断できる。メルリアが顔を上げると、フィオンはパスタに食らいついていた。言葉にならぬ声の原因は、口を閉じて返事をしたせいだと判断した。
……もしかして、よろしくって言ったのかな。
パスタをがっつくフィオンに尋ねるのは憚られ、メルリアは相づちだと思うことにする。
フィリスは気持ち程度の少量のサラダと水を追加すると、使っていた椅子に腰掛ける。入れ替わるようにグレアムが席を立った。
「フィリスちゃんと、フィオン……さん」
「フィオンに敬語なんていらない……、ね?」
言葉に迷っていると、フィリスがスパッと言い放つ。開いた手でフィオンはひらひらと手を振った。肯定の意だ。フィリスがそのように通訳すると、メルリアは改めて言い直す。
「二人はどういう間柄なの?」
「幼なじみ。私とフィオン同じ年だから、生まれたときから付き合いがある感じ」
「まー、もはや腐れ縁って感じかもしれないけどな」
あのね、と呆れるフィリスの表情はすぐに笑顔へと変わる。フィオンへの相づちは、少しだけ返答の声も高い。
それで特別に店を開けていたのか、と先の理由に合点がいく。これ以上尋ねるのは他人に踏み込みすぎるような気がして、メルリアはそれ以上何も言わなかった。代わりに、先ほどグレアムが整えた棚の上をただただ見つめた。喜怒哀楽それぞれの表情を浮かべる動物の置物たちに、果物の絵画と胴体の長い魚の魚拓。荷台から転げ落ちた積み荷同様、どこか統一性のないものが並んでいた。
「はー、ごちそうさま。フィリスのメシはやっぱり美味ぇわ」
「お粗末様。いい食べっぷりだったわ」
あっという間にフィオンは料理を平らげ、フィリスが使い終わった食器を重ねる。メルリアはそこではっと顔を上げた。
「私、持っていくね」
「そう? ありがとう。……そういえばフィオン、灯台祭の二日目だけど。火、いつ?」
フィリスの明るい声を背に、メルリアは厨房の奥へと向かった。
フィオンと話しているフィリスの表情や声色は、メルリアにはどこか嬉しそうに見えた。生まれたときから付き合いがあるというから、フィリスにとってフィオンは家族のように特別な存在なのかもしれない。であれば、二人の空間に自分のような他人が居続けるのは気が引けたのだった。