第58話 薬について2

文字数 4,157文字

「それじゃ、改めて説明するね。アルコールを飛ばしたリキュールをベースに作ろうと思ってるんだけど」
 地面に突っ伏したままのハルから距離を取り、リタは何もない場所にぐるりと円を描いた。そこに文字らしい図形を描いていくが、相変わらずクライヴには理解できないものだ。
「安心安全、人間の子供にも使える低刺激性ってのを目指すと、必要な材料が結構多くって」
 リタはメモ書きに目を通しながら、一つずつ丁寧にエルフの文字を描いていく。円の周りにびっしり書いたと思えば、その内側に向けて。次に斜めや下方向など、人に読ませる気があるのかどうかは怪しい。
「まず、今朝食べたキギャイモにー、ゴーストパンプキンの種、初夏キュウリの皮。森林アユの骨とー、味付けの墨樹シロップ……」
 何やら物騒な名前が続き、クライヴの顔が徐々にこわばっていく。
 しかし、リタは淡々と材料を口にしているだけで、アラキナのようにからかったり脅かしたりするような声色ではない。あの老婆であれば冗談だろうと耳を疑うところではあるが。
 リタが描いている文字の塊がいびつな図形に変わっていく。言葉のおどろおどろしさを漸増させているように見えた。思わずクライヴは乾いた笑みを浮かべ、それから視線を逸らすべく空を仰いだ。木々の間からぽっかり覗く青空を期待していたが、いつの間にかどんよりと灰色の雲が空を覆っている。余計に物騒だった。
 さらさらと文字を描いていたリタの動きがピタリと止まり、あー、と、悩むような声を漏らして言い淀む。やがてゆっくりと枝を動かしながら、静かにつぶやいた。
「あと、フィグフィルの種」
「それって、惚れ薬の材料って話じゃなかったか」
 リタは冗談を言わない……それは分かっている。しかし尋ねずにはいられなかった。止めるわけでもなく、責めるわけでもなく、事実を確認するようにクライヴが問うと、リタは自身の背中に両腕を回した。
「種の中身を使うから大丈夫みたい。熟した香りとか、果汁が人間にはよくないんだってさ。効き過ぎちゃうからねえ」
 リタは最後に旧い文字でフィグフィル、と書き込んでいく。
 クライヴはそれらの模様をぼんやりと眺めながら、リタが言った材料を思い出していく。フィグフィルはアラキナが話題に出した果物で、初夏キュウリというのはサンドイッチに挟まっていたあれのことだろうか。キギャイモは魚卵のような球体だった。そういえばあのスープはカボチャの風味がしたような――。
「……なんか、食べたものが多いような気がするんだけど」
「そーそー、そこなんだよ、そこ!」
 クライヴがぽつりとつぶやくと、リタが食い入るように反応する。彼女が木の枝を振り上げると、先端についていた土が煙を上げて周囲に舞った。枝はツリーハウスの奥の森を指す。リタにしては険しい顔でその先を見据えると、大げさにため息をついた。
「アラキナさん、そういうとこあるんだよね……。ほとんど材料朝ご飯に入ってたじゃん」
 不満をぶつぶつと漏らしながら、リタはぶすっと頬を膨らませた。
 クライヴはその言葉に苦笑する。本当にあの老婆は何を考えているのか分からないし、どういう人物なのかも謎のままだ。ハルとの会話で、どうやら偉い人らしいということは分かったが……。
「それで、俺は何をすればいい?」
 材料はすべて教わった。しかし、クライヴにはどれも馴染みがない。周囲を見回すが、辺りにあるのはツリーハウスと、魔女の村を仕切る高い胡桃色の木の柵。獣道らしい道の先には森の緑が広がっており、その先に何があるかは分からない。
「そうだねえ。クライヴがエルフだったら、必要な分集めてこーいって言うんだけど」
 リタは先ほど描いた文字をじっと見つめ、頭を振った。
「難しいねえ。エルフ以外が入っちゃ駄目な場所もあるし」
 キギャイモ、ゴースパンプキンの種、墨樹シロップの三つは貯蔵分を使うつもりだ。在庫はまだ残っているが、部外者を貯蔵庫に入れるわけにはいかない。香りだけで人間を狂わせるフィグフィルはもってのほかだ。彼に頼めそうなのは初夏キュウリくらいだが、今は彼がいるから立ち入らない方がいいだろう。となると、今のところ思いつかなかった。
 その隣で、クライヴも同じように悩んでいた。この村に来てから、自分はリタ達に世話になってばかりいる。寝る場所もそうだし、食事まで用意してもらった。それに加え、薬までこちらから頼んでしまっている。いくらなんでも甘えすぎだ。とはいえ、エルフにはエルフの事情があるらしいと知った。余計な迷惑をかけるわけにはいかない。薬の対価を金で払おうにも、そこまでの手持ちはない。エルフの薬師は路地裏で怪しい薬品を高値で売っている噂を耳にしたことがある。手持ちだけではとても足りないだろう。
「気付け薬もそうだけど、世話になった礼がまだだから……。何か、言ってくれれば働くよ」
 その言葉に、リタはクライヴの表情を伺う。こちらを強く見据える様は、真剣そのものだ。本心からの言葉だとリタは理解し、しかしより難しい顔をして目を伏せた。
「うーん。クライヴにしかできないこと、ねえ……」
 リタは木の枝をくるくると空中で振り回しながら、黙々と考える。
 人間であるクライヴにしかできないこと。エルフよりも体力も筋肉も勝る種族――広場の雑草抜き? いや、それは自分でもできる。ツリーハウスはこの間すべて直してもらったばかりだから、大工を必要とする仕事はない。
 悩むリタを遠慮と捉えたクライヴは、一歩前に出て言う。
「俺にできることだったら、なんでもするから」
「なんでも……ねー」
 魔法で薬を作ると言っても、一瞬でできるわけではない。その間彼も手持ち無沙汰であろうし、放っておけば先ほどのように落ち込むに違いない。あの時点であんなに表情を暗くしていた。もう一度負のループに入られてしまっては、どこまで沈むか分からない。
 であれば、何か役割を与えた方がいいのかもしれない。どうしようかなあ、とリタは視線を下に向ける。すると、リタが見慣れた黒い靴が視界に入った。先が尖っている特徴的なブーツだった。
「なんでも! おぬし今なんでもと言ったな!」
「うあっ!」
 アラキナがぬっと二人の間を割って入る。クライヴの腹の底から奇妙な声が漏れた。
 いつの間にか広場に戻ってきたアラキナは、竹製のかごを背中に背負っている。その中からは、青緑色が森の初夏を思わせる初夏キュウリが大量に刺さっていた。皮の色は世間一般に流通しているキュウリとは異なるが、一本一本がらせんを描くようにグニャグニャと曲がっている。さながら植物のツルだ。エルフ以外の種族がそれを見たら、まずキュウリだとは思わないだろう。現に、クライヴは奇しいものを見る目をしていた。
「儂ァ聞いたぞ。なんでも……なんでもォ……!」
 アラキナは喉の奥でケラケラ笑い、そのままにちゃりとした粘着質な笑みを浮かべる。
 鬼の首を取ったように喜ぶ老婆を前に、クライヴは諦めたように笑った。言質を取ったというのはこういうことだろうと身をもって理解したからだ。
「アラキナさんには言ってないでしょー?」
「ミスルトーの責任者は儂じゃあ。つまり儂に言われたようなもんじゃあ」
 誰が聞いても支離滅裂な理論だったが、どうやら本当にアラキナは偉い人だったようだ。頭がますます重くなり、頭全体を締め付けられるような痛みが走る。クライヴはストレスだろうなと思った。事実、ストレスから来る頭痛である。
「何がいいかの~う」
 アラキナは上機嫌といった風に無駄にうまい口笛を吹きながら、クライヴの顔や体をじろじろと見つめる。
 どうにも落ち着かず、クライヴはアラキナから全力で視線を逸らした。ぞくぞくと背筋に悪寒が走る。己の両腕を手で擦っていると、パチンと乾いた音が森に響いた。手を叩いたのはリタだ。
「あー、そうだ! クライヴ、ハルをなんとかしてくれない?」
「どういう意味だ?」
 明らかに不愉快な顔をするアラキナを手で押しのけ、リタは数歩クライヴに近寄った。未だ地面に突っ伏しているハルを指さして続ける。
「ハル、先月に東のブランから来たばっかなんだけどさ、あんな感じで挙動不審だから誰とも馴染めてないんだよねー」
 リタ曰く、ハルは仕事を頼めばきちんとこなすが、それは一人で済むものだけ。誰かと協力する事はそもそもやりたがらないらしい。他のエルフと共にいるところを見たことがなく、常に一人。リタが話しかけたところでまともに会話が成り立たないため、どうフォローすることもできないようだ。
 彼女が他のエルフから聞いた話だと、ハルはリタ以外とは必要最低限の会話はするらしい。問題はなさそうだが、自分の目でまともに会話ができているところを見ないと不安である――そう思っていた矢先、先ほどクライヴと普通に会話するハルを見て、リタは心底驚いていた。
「――だから、クライヴならもしかしてって思ってさ。やってみてくれる?」
「うまくできるかどうか分からないけど、話をしてみるよ」
 クライヴが神妙にうなずくと、リタはありがとうと笑った。
「あーでも、無理そうだったら諦めてくれていいよ。人の心は無理矢理どうこうするべきじゃないからねえ」
 クライヴが一つうなずくと、リタは満足げに微笑んだ。
「それじゃ、よろしくね。日が変わる前には間に合わせるから」
 リタは寝そべるハルを見て目を伏せた後、くるりときびすを返す。彼女の視界にたたずむ老婆は、足下に落ちていた小石を蹴り上げた。明らかに今いじけていますと態度で示している。
「じゃ、アラキナさん手伝って」
 リタは土埃を落とすように手を叩くと、アラキナの背中に回った。どっさりとかごに盛られた初夏キュウリの山を見て、リタは妙な声で笑う。呆れに近い。
「なぜ儂が。この人間はリタの言うことを聞いたのじゃろう。関係ないもんねー」
「初夏キュウリ背負いながらやらないとか言っても説得力ないからね。そもそも気付け薬作ってやるって言い出したのはアラキナさんでしょ? 行くよー」
 リタはアラキナの――竹のかごの上からぐいぐいとアラキナの背中を押していく。じたばたと抵抗らしいものを見せつつも、アラキナは背中を押されるがまま引きずられていった。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・シーウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

ウェンディ・アスター


不明(20代後半くらいに見える)

街道の外れの屋敷で働くメイド。

屋敷の中で一番力が強い。

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