第13話 灯台祭、二日目

文字数 3,449文字

 灯台祭二日目、昼――。
 灯台祭の中で三番目に忙しい二日目の営業が半分終わった。
 メルリアは昨日の様子とは比べものにならないほどの働きぶりを見せた。先日同様、どれだけ忙しくても注文を取り違える事はしなかったし、疲れも顔に出ていない。
 昼食の後も早々に掃除を済ませ、客席の方はいつでも客を迎え入れる準備ができていた。床には一つのゴミも残さず、テーブルにはどんなシミも許さない。客席はまぶしいほどに輝いていた。少し過剰とも言えるほどに。
 開店までの時間どうしよう、とメルリアは時計を見る。まだ午後の三時半。夕方の開店まで残り二時間半。厨房の方を見ると、フィリスが慌ただしく作業を続けていた。夕飯の支度に夜営業の仕込み、そして自分の"やりたいこと"をこなしている。黙々と作業する姿に声をかけるのは忍びない。今後について悩んでいると、店の扉が開く。グレアムだ。グレアムは厨房に立つフィリスの姿を確認した後、メルリアに手招きする。その仕草に気づいたメルリアは頷くと、黙って店の外へと出た。

 シーバの空は快晴だ。
 眩しいほどの日差しにメルリアは目を細める。温かい太陽の日差しがメルリアの体を照らした。やがて人々の喧噪が耳に入る。周囲を見回すと、シーバの街を歩く人の多さに動揺した。まるで違う街にも来てしまったのかと錯覚するほど、先日と比べて明らかに人が多い。道沿いの店にはそれぞれ看板が並び、道を一つ挟んだ店の客引きの声が、風に乗ってこちらにもはっきりと届いた。
「灯台祭ってのはこんな感じよ。祭りはあんまり経験ないかい?」
 固まって動かないメルリアに、グレアムは声をかけた。メルリアは行き交う人々に目を奪われたまま、こくりと頷く。その瞳は目の前の景色を捉えているようで、どこか遠くを見ているようでもあった。
「私、ベラミントからほとんど出なかったので……」
「なるほどねぇ……。と、そうだメルリア、こっちこっち」
 グレアムに手招きされるまま、メルリアは店の裏側へと足を踏み入れる。
 店の裏側は雑多な物が並ぶスペースがあった。部屋の天井まで届く灰色の物置。先日壊れたばかりの荷台や木の板、黄色のペンキやトンカチ、ネジ、タイヤなど、作業途中の風景が広がっていた。
 グレアムは木の板の隣までメルリアを誘導した。その板は四歳くらいの子どもが大の字で眠るスペースがあるほど広いが、へたに衝撃を与えればヒビが入りそうなほど薄い。
「そっち側、傾かないように見てて欲しいのよ、お願い」
「大丈夫ですけど……押さえなくていいんですか?」
「触らない方が安全だから。よろしくー」
 グレアムは詳細を伝えないまま、せっせと倉庫からのこぎりを取り出す。メルリアは指示されたとおり木の板を見張っていた。一センチもないほど薄い木の板だ。下手に触ってしまえば割れてしまう危険性は充分にあり得る。太陽の光を吸うベージュの木の板の色にはどこか温かみがある。
 グレアムは慣れた手つきで板の側面を丸く削った。木の小さなくずをいくつも散らしながら、板が切り取られていく。
「今日も激務だったけど、大丈夫だったかい?」
 作業を進めながら、グレアムがメルリアに声をかける。作業中にもかかわらず、その声は周囲の音にかき消されることなくメルリアの耳に届いた。メルリアもグレアムの声に合わせて、仕事中と同じような大きい声で伝えた。
「大丈夫でした! 今日のお昼の後半から、大変だとか辛いとか、そういうのなくなっちゃって。後五時間は頑張れそうです」
 グレアムは手を止めると、メルリアの顔をまじまじと見た。メルリアは嘘を言っているわけでもないし、見栄を張っているわけでもない。彼女の本質に薄々気づきながら、グレアムは首に巻いたタオルで頬の汗を拭った。腕や肩を数度回すと、グレアムは雲一つない空を見上げた。青空だけでも眩しすぎると感じるほどの晴天だった。
「メルリア、お前さん『ランナーズハイ』って知ってる?」
「分かりません……、どういう意味ですか?」
「それ、体が休めって言ってるサインだから。惑わされちゃ駄目だぞ」
 グレアムの表情には笑顔がなかった。
 珍しく真面目なグレアムに驚きながらも、メルリアは言われるままに頷く。疲れているという実感が抜け落ちていたせいで、いまいち腑に落ちない部分はあったのだが。
「メルリアの休みは明後日だったな。明後日、思いっきり羽根を伸ばしてくるといい。街を歩いてるだけでもきっと楽しいぞ。近くで灯台を見てみるのも面白いかもしれないな」
 グレアムが微笑みかけると、海沿い特有の少し湿った風が吹く。
 メルリアは振り返り、建物の間から顔を出す灯台を見つめた。石造りの重々しいセイアッドの灯台は、家々の合間からでも十分すぎるほど存在感を示している。夕方の四時までは、中に入って見学することもできるとフィリスが教えてくれた。きっと今は観光客で溢れているのだろうな、と、メルリアは思う。
「おじさん達に付き合ってくれてありがとうな。おかげさまですごく助かってるよ」
「いえ、そんな」
 メルリアはグレアムの感謝の言葉を正面から受け取ろうとはしなかった。
 灯台祭の接客では、自分が少しでも仕事の足しになっているのだろうとは、過小評価ではあるが理解はしていた。しかし時折不安になる。自分が家族の時間を邪魔しているのではないか、と。フィリスとグレアムの関係に最初は驚くことも多かったメルリアだったが、フィリスの対応はグレアムを嫌っているわけではない。自分が知らなかっただけで、そういう愛情の形なのだろうと最近はなんとなく理解できていた。三人ともそれぞれを大事にしていることが見て取れる。コールズ家の家族の景色に憧れると共に、その温かい空間に、自分のような他人がいるのは気が引けていた。
「私の方こそ、お仕事と場所を用意してくださって……、ありがとうございます」
「いやいやいやいや……」
 グレアムはわずかにメルリアの口ぶりから遠慮を感じ取り、なんとか否定の言葉を述べようとした。
 が、特にそれらしい言葉は出なかった。全く駄目だなぁとグレアムは首にかけたタオルで顔全体を雑に拭く。
「そういや、前々から思ってたんだけど……。注文よく取り違えないな、おじさんびっくり。何か秘訣とかあるの?」
 極めて明るい口調で尋ねるグレアムの言葉を聞き、メルリアは少し考え込んだ。
「特には……」
「記憶力がすごいんかね? おじさん、昨日の夕飯すら思い出すの厳しい時もあるんだがなぁ」
 冗談交じりでグレアムは言いながら、昨日の夕飯を思い出そうと頭をひねった。
 出なかった。
「昨日ですか? こういう時は麺類だーって、フィリスちゃんがお蕎麦……? でしたっけ、灰色の。あれをいただきました」
「あ……あーあー! そういえばそうだったよな、うんうん」
 グレアムが十秒程度悩んでも一向に出る気配がなかった答えを、メルリアは即座に思い出した。若いっていいなぁと細い目を更に薄くしながら、グレアムは一人感心したように頷く。
「『よく覚えてるね』って言われることは多いです。自分じゃそうは思わないんですけど」
 メルリアは苦笑交じりに先ほどの問いを返した。
 よく覚えているね――メルリアが生きてきた中で、何度も聞いた言葉だった。言葉の感情は様々である。驚きであり、感嘆であり、尊敬であり、嫌味であり、恐怖でもある。
 一週間分の食事を全て言い当てることができたり、少し喋っただけの人の顔を覚えたり、一度見ただけのレシピを再現できたり、会話の詳細を覚えていたり。今のグレアムの会話しかり、先日店に顔を出した青年の顔しかり。数年前の記憶がまるで昨日のことのように鮮明に思い出せるメルリアは、それが当たり前のことだと思っていた。周囲の当たり前は自分の認識と違うらしいと薄々気づき始めたのは、祖母が他界した後のことだった。
「そっかそっか。若いって素晴らしいな。オレ最近忘れっぽいし、若い脳が欲しいわ……っと、よし。ありがとさん、一段落ついたからそろそろ休憩しよう」
 メルリアが顔を上げると、そこには一回り小さくなった木の板があった。四角く切り取られていた板の四隅は丸みを帯びた形へと変わっており、無骨だった最初の頃と比べると、どこか可愛らしくも見える。
「直射日光浴びるのは健康にいいけど、長時間は疲れるからなぁー」
 グレアムは大げさに腕を伸ばすと、店の方へ歩いて行く。
 木の板の残骸を興味深そうに眺めながら、メルリアもその後に続いた。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・シーウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

ウェンディ・アスター


不明(20代後半くらいに見える)

街道の外れの屋敷で働くメイド。

屋敷の中で一番力が強い。

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