第28話 錬金術師ネフリティス2
文字数 1,797文字
翌日。
メルリアは昨日訪れた錬金術師の工房の前に立つ。温かい日差しを浴びる彼女は一つ大きなため息をついた。どくどくと脈打つ心臓が落ち着かない。
メルリアは空を仰いだ。昨日とは打って変わって、今日は雲一つない晴れ間が広がっていた。今日の空の青は眩しいくらいに濃い。そんな青を見つめ、目を細めた。
再び、正面にある茶色いドアに視線を向けた。ごくりと一つ息をのむ。意を決し、きっと鋭い目つきのまま、素早く戸を叩く。扉の奥から聞こえる声や足音に集中し、何かが聞こえてくるのをただただ待った。
……しかし、一向に扉が開く気配はなかった。
メルリアの耳に飛び込む音と言えば、一本向こうの道で子供がはしゃぐ声。背後で人が通り過ぎる足音。横の家に人が出入りする様子。扉の開閉音はしたが、メルリアには関係ない音だった。
メルリアは扉の前に立ち尽くしたまま、固まってしまう。
時間は間違っていないはずだった。一時ちょうどに着くようにしたし、今は一時を数分過ぎた頃だ。午後というざっくりした約束ではあったが、言葉通りならば一時は午後以降に含まれる。
日付が違う? 何かを聞き間違えた? 次第にメルリアの頭が混乱していく。どうしたものかとただただ立ち尽くしていると、向かい合った扉がゆっくりと開いていく。解錠の音はなかった。
扉が五センチほど開くと、昨日見知ったばかりの女が顔を出す。
「おい、何してるんだ。さっさと入ってこい」
「は、はい!」
メルリアはびくりと反応すると、慌てて家の中へと足を踏み入れる。
工房の玄関は暗く静かだ。外とまるで違う明るさに、メルリアはまばたきを繰り返す。廊下の奥、どこまでも続く黒色。薄く緑がかっていた黒が、徐々に本来の色へと変わっていった。
メルリアの目がすっかり暗さに慣れると、昨日と違う様子に気がつく。玄関の端に避けられた、大小様々な荷物の数々がそれだ。どれも茶色い紙で包まれており、封をするように赤い紐で縛られている。仕事に使う荷物だろうか? メルリアはそれに目を向けた。小包の隅にはそれぞれ違った場所の宛先が記されている。
「それ、お前の仕事だ」
メルリアの視線が小包に向いた途端、ネフリティスは告げた。彼女は涼しい顔で玄関に上がる。
「全てヴェルディグリの住所だ。今日中に七箇所、届けてきてくれ。先方に事情は伝えてある。包みの上に簡単な住所は書いてやったから感謝しろ」
メルリアは完全に話について行けていないが、ネフリティスはお構いなしと言った風に廊下の奥へと向かっていく。昨夜メルリアとエルヴィーラが訪れた仕事場の方だ。
「あ、あの!」
メルリアが引き留めると、ネフリティスはピタリと足を止めた。
メルリアはよかったと安堵のため息を漏らす。どういうことだろうかと尋ねようとした時、「ああ」、とネフリティスは思い出したように声を上げた。
「部屋の鍵は開けておくから好きに出入りしろ。仕事が全て終わったら勝手に上がってこい。あぁ、それから小包は一気に二つ以上持ち運ぶなよ、配達が終わったらそのたびに戻って来い」
「え、えっと……!」
「異論は受け付けない」
メルリアの言葉に今度こそ立ち止まらず、ネフリティスは彼女に背を向けた。手をひらひらと振りながら、奥の仕事場へ向かう。足を止める気配はなく、メルリアはただただその後ろ姿を見つめるしかできなかった。事情の理解が追いついていなかったからだ。
「七往復だ、頑張れよ~」
間延びした声と共に、扉が閉まる音が静かに響く。
メルリアはその場に取り残されてしまった。
しばらく動けないまま、ただネフリティスの去った廊下の奥の黒を見つめていた。あっけにとられていたのだ。
カチリ、カチリという時計の秒針の音を聞き、我に返る。
自分の耳はちゃんと聞いていた。メルリアは胸に手を当て、目を閉じる。先ほどネフリティスに押しつけられた言葉。そして、昨日の約束。この仕事をきちんとこなしたら、探している花の手がかりを教えてもらえるかもしれない。
まずはこの仕事をきちんと片付けてから――。心の中で呟き、メルリアは手近な小包に手を伸ばした。十五センチほどの立方体をしているそれは、想像よりもずっしりと重い。持ち上げた衝撃で、ガラガラと音が鳴った。包み紙の住所を確認する。中央図書館に向かう際、何度か通った道だった。
行こう。メルリアは決心すると、一歩踏み出した。
メルリアは昨日訪れた錬金術師の工房の前に立つ。温かい日差しを浴びる彼女は一つ大きなため息をついた。どくどくと脈打つ心臓が落ち着かない。
メルリアは空を仰いだ。昨日とは打って変わって、今日は雲一つない晴れ間が広がっていた。今日の空の青は眩しいくらいに濃い。そんな青を見つめ、目を細めた。
再び、正面にある茶色いドアに視線を向けた。ごくりと一つ息をのむ。意を決し、きっと鋭い目つきのまま、素早く戸を叩く。扉の奥から聞こえる声や足音に集中し、何かが聞こえてくるのをただただ待った。
……しかし、一向に扉が開く気配はなかった。
メルリアの耳に飛び込む音と言えば、一本向こうの道で子供がはしゃぐ声。背後で人が通り過ぎる足音。横の家に人が出入りする様子。扉の開閉音はしたが、メルリアには関係ない音だった。
メルリアは扉の前に立ち尽くしたまま、固まってしまう。
時間は間違っていないはずだった。一時ちょうどに着くようにしたし、今は一時を数分過ぎた頃だ。午後というざっくりした約束ではあったが、言葉通りならば一時は午後以降に含まれる。
日付が違う? 何かを聞き間違えた? 次第にメルリアの頭が混乱していく。どうしたものかとただただ立ち尽くしていると、向かい合った扉がゆっくりと開いていく。解錠の音はなかった。
扉が五センチほど開くと、昨日見知ったばかりの女が顔を出す。
「おい、何してるんだ。さっさと入ってこい」
「は、はい!」
メルリアはびくりと反応すると、慌てて家の中へと足を踏み入れる。
工房の玄関は暗く静かだ。外とまるで違う明るさに、メルリアはまばたきを繰り返す。廊下の奥、どこまでも続く黒色。薄く緑がかっていた黒が、徐々に本来の色へと変わっていった。
メルリアの目がすっかり暗さに慣れると、昨日と違う様子に気がつく。玄関の端に避けられた、大小様々な荷物の数々がそれだ。どれも茶色い紙で包まれており、封をするように赤い紐で縛られている。仕事に使う荷物だろうか? メルリアはそれに目を向けた。小包の隅にはそれぞれ違った場所の宛先が記されている。
「それ、お前の仕事だ」
メルリアの視線が小包に向いた途端、ネフリティスは告げた。彼女は涼しい顔で玄関に上がる。
「全てヴェルディグリの住所だ。今日中に七箇所、届けてきてくれ。先方に事情は伝えてある。包みの上に簡単な住所は書いてやったから感謝しろ」
メルリアは完全に話について行けていないが、ネフリティスはお構いなしと言った風に廊下の奥へと向かっていく。昨夜メルリアとエルヴィーラが訪れた仕事場の方だ。
「あ、あの!」
メルリアが引き留めると、ネフリティスはピタリと足を止めた。
メルリアはよかったと安堵のため息を漏らす。どういうことだろうかと尋ねようとした時、「ああ」、とネフリティスは思い出したように声を上げた。
「部屋の鍵は開けておくから好きに出入りしろ。仕事が全て終わったら勝手に上がってこい。あぁ、それから小包は一気に二つ以上持ち運ぶなよ、配達が終わったらそのたびに戻って来い」
「え、えっと……!」
「異論は受け付けない」
メルリアの言葉に今度こそ立ち止まらず、ネフリティスは彼女に背を向けた。手をひらひらと振りながら、奥の仕事場へ向かう。足を止める気配はなく、メルリアはただただその後ろ姿を見つめるしかできなかった。事情の理解が追いついていなかったからだ。
「七往復だ、頑張れよ~」
間延びした声と共に、扉が閉まる音が静かに響く。
メルリアはその場に取り残されてしまった。
しばらく動けないまま、ただネフリティスの去った廊下の奥の黒を見つめていた。あっけにとられていたのだ。
カチリ、カチリという時計の秒針の音を聞き、我に返る。
自分の耳はちゃんと聞いていた。メルリアは胸に手を当て、目を閉じる。先ほどネフリティスに押しつけられた言葉。そして、昨日の約束。この仕事をきちんとこなしたら、探している花の手がかりを教えてもらえるかもしれない。
まずはこの仕事をきちんと片付けてから――。心の中で呟き、メルリアは手近な小包に手を伸ばした。十五センチほどの立方体をしているそれは、想像よりもずっしりと重い。持ち上げた衝撃で、ガラガラと音が鳴った。包み紙の住所を確認する。中央図書館に向かう際、何度か通った道だった。
行こう。メルリアは決心すると、一歩踏み出した。