第74話 静寂、懸念1

文字数 2,920文字

 森を行く二人に特別会話はなかった。
 シャムロックが先頭を行き、それと少し広めの距離を取ってクライヴが続く。土を踏みしめる確かな音が響くが、前方から足音らしい音はあまり聞こえない。思わず彼の歩いた道に視線を向けるが、しっかりと土に足跡が残っていた。
 木々の間を縫って飛んできたコウモリが、シャムロックの周囲をぐるりと一周する。驚きに足を止めかけたが、男はそれを気にも留めない。先ほどと変わらずただただ歩き続けていた。コウモリも器用で、男とぶつかることなく彼の周りを飛行している。男が白い手を出すと、彼の人差し指にコウモリが止まる。キィキィと高い音で鳴くと、コウモリは森の奥へと消えていった。飛び去った方を目で追い、男は前を向く。
 森を行く間、クライヴは空白だった記憶を完全に思い出した。あの時の自分は自分じゃない。脳に浮かんだ思考はグラスの中の水が欲しい、それだけの単純なもの。それに、あの時はあの苦みが好きだと感じたのに、意識がはっきりした時は、妙に口に残る嫌な苦さだと思った。違う物が取り憑いていたと言われても驚かないと思えるほどに。
 先ほどよりも倍の距離を取りながら、シャムロックの背中を凝視した。この男は一体何者なのだろう。完全な悪人ではないのだろうが……。アラキナは村の様子を見て欲しいと連絡をよこしたそうだから、この男になんらかの魔力があるのは間違いないだろう。こちらの事情を瞬時になぜ見抜けたのだろうか。疑問は尽きないが、問いただす気にはなれない。一番はじめにフルネームで名乗りを上げなかったのもそうだし、何か違和感が残る。不信感に眉をひそめた。
「クライヴ、と言ったな。お前の持っている疑問については、この後全て答えられるはずだ」
「全て?」
 疑るように男に視線を向けた。怪しむようにひそめた眉をそのままに、表情から出る不快感を一切隠さなかった。この男を信じていいのか悪いのか判断できない。男の是非は置いておくにしても、国のどの病院も――ヴェルディグリですら原因不明で片付けられた。そんな簡単に答えにたどり着けるとはとても思えない。胸にある感情を吐き捨てるように、その背中から視線をそらした。何も言わず、ただただ己の足下を見つめる。固く唇を閉ざし、顔を上げた。
「悪いけど、俺はお前をそこまで信じてはいない。喉の症状が治まったのには感謝してるけど……。お前の言葉も、正直怪しいと思っている」
「……判っている」
 強ばった声で言い放ったが、男はたじろぐでもなく、事実を淡々と受け止める。外套が体の動きに合わせて静かに揺れた。頭をわずかに上げると、背後にいるクライヴに向けて続けた。
「信用に値せぬならば、信じなくとも構わない。俺の言葉をどう受け取るかは、クライヴ自身だ」
 その言葉に、クライヴは驚いて眉を上げた。
 絶対に嘘をつかないと弁明するでもなく、信じて欲しいと懇願するでもなく、男は判断を全てこちらに委ねている。言い訳のないその様は信頼に値するかもしれないし、逆に嘘をつくぞと警告されているようで怪しいのかもしれない。
 ……分からない。この男の言葉をどう受け止めればいいのか。
 返答に悩んでいると、男が突然足を止めた。それに遅れて気づいたクライヴは、人一人分の距離を開けて立ち止まる。どうしたと尋ねかけたが、言葉を飲み込んだ。道の先から人の足音が聞こえてきたからだ。誰だろう。姿をいち早く認識しようと、森の闇をじっと見つめた。
 シルエットらしき薄い影が浮かび上がった頃、男が短く息をのんだ。ふっと笑みを零すと、男は道の脇に動いた。その人物に道を譲るように。
「クライヴさん……!」
 森の奥から走ってきたメルリアは、クライヴの前で立ち止まった。髪を結っている右側のリボンの形が崩れている。はあはあと荒い呼吸を繰り返し、喉の乾燥から来る不快感を咳でやり過ごした。額から流れ落ちた汗が、首の横をつたう。
「メルリア!? なんでここに……」
 その瞬間、顔を上げたメルリアの体がふらつく。慌ててクライヴは両手で肩を支えた。
 メルリアはクライヴの表情を確認すると、弱々しく笑みを浮かべる。彼の両手を押し返すように、彼女の肩はなお激しく上下していた。
 病み上がりなのに突然動いたら危ないじゃないか、そもそも走ってくるなんて、魔女の村だとはいえ、突然こんな夜遅くに出歩いたら危険だ――。どれから伝えていいか分からず、クライヴは静かにうなる。すると、メルリアはまっすぐにクライヴの瞳を見つめた。
「心配だったから……。私、いつも苦しそうなクライヴさんを見ているばかりで、何もできなくて」
 クライヴの人差し指がびくりと反応する。そんな彼の右手に、メルリアは自分の手を重ね合わせた。それは随分と温かかった。彼女の心音と同調するように早く脈打つ鼓動が、その熱によって次第に落ち着きを取り戻していく。
「探しに来てくれたのか?」
 思い上がりだったらどうするんだという不安を押さえつけながら、ゆっくりと尋ねた。
 すると、メルリアはまっすぐにうなずく。頬から耳の先まで熱が走るような感覚を覚え、クライヴは思わず彼女から視線をそらした。不自然な汗をかきそうだと思ったからだ。
「ありがとう」
 メルリアは重ねた手を見つめ、そっと解くように払うと、ゆっくりと姿勢を正した。乱れた呼吸も大分治まり、最後にもう一度大きく息を吐く。
「でも、落ち着いたみたいでよかった」
 クライヴは道の傍らで空を仰ぐ男に視線を向けた。
「多分……あの人のおかげだと思う」
 メルリアは振り返ると、首をかしげつつ男に歩み寄った。月明かりに光る髪色が金だと、瞳の赤が真っ赤な深紅色だと気づくと、ピタリと足を止める。
「シャムロックさん?」
 目を見張るメルリアを見て、男はふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「久しいな、メルリア。まさかここで会えるとは思わなかった」
「はい! あ、えっと……」
 周囲を見回すメルリアを見て、男はくすりと笑う。
「エルヴィーラなら屋敷で留守番だ」
 頭を垂れるメルリアを見かね、シャムロックはその沈んだ頭を優しく撫でる。
「ここ数日、エルヴィーラは毎日のように来客がないかと落ち着かない様子だった。俺が先に会ったと聞いたら怒られてしまうだろうな」
 シャムロックがそっと手を離すと、水を浴びた植物のようにメルリアは顔を上げる。胸に手を当て、先のの言葉をかみしめるように目を伏せた。
 会いたいと思っているのは、私だけじゃなかったんだ……。
 嬉しそうに笑う彼女を見て、シャムロックもまた似たような温度の笑みを浮かべていた。
「……メルリア、知り合いなのか?」
 そんな中、躊躇いがちにこちらを窺っていたクライヴが一歩前へ踏み出る。彼は二人の事情を全く知らない。
 その声に、メルリアは満面の笑みを向けた。エルヴィーラの話を聞いた彼女は上機嫌である。その気持ちのままの笑顔は眩しいほどに。
「うん! ヴェルディグリで出会ったんだ」
「そ、そうか」
 口の端を引きつらせながら、なんとか相づちらしい相づちを打つ。
 自分があまり見たことがない輝くそれに、クライヴは胸の奥に何かが重くのしかかるような痛みを感じていた。
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

┗こちらのアイコンは公式素材のみを使用しています。

メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・シーウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

ウェンディ・アスター


不明(20代後半くらいに見える)

街道の外れの屋敷で働くメイド。

屋敷の中で一番力が強い。

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