第100話 幾望の色

文字数 2,160文字

 空に浮かぶ太陽は、村を囲むリンゴの林の彼方へと姿を消した。その気配は、空に広がる橙色にのみ残る。
 ベラミントの村の西方には、ささやかな墓地があった。そこには、白い墓石が静かに立ち並んでいる。いくつかの墓石には、故人へ向けられた花束が捧げられていた。その色彩は、静謐とそこに存在している。
 東方から時間を告げる鐘が鳴る。それはぼんやりと黄昏の空に広がった。まるで、死者へ向けた弔いの音のようだ。ここでは鐘の音すら慎ましく、やがて空気に溶けていく。
 その静寂の中に、人の姿が二つ。メルリアとテオフィールの姿だ。
 ロバータの墓石には、月満草が一輪供えられている。未だ固く蕾んだままのそれは、密やかに花ひらく時を待ちわびていた。
 テオフィールは黒いローブを身にまとい、フードで顔を覆っている。彼は右方の墓で故人に祈りを捧げた。固く目を閉じながら、娘に謝罪と感謝を伝えていた。何度か言葉を詰まらせながらも。
 やがて、眉間にしわを寄せた彼が、徐々にその力を抜いた。ゆっくりと目を開き、頭を上げる。墓石に掘られた故人の名を愛おしげに見つめた。墓石に手を伸ばし、名前の彫られた凹凸を指でなぞる。
 テオフィールはゆっくりと立ち上がると、傍らで静かに待つメルリアに微笑みかけた。
「ごめんね、ずいぶん待たせちゃったかな」
 困ったように笑う顔を見たメルリアは、静かに首を振った。
「いいえ。ひいおじいさまはもう大丈夫ですか?」
「大丈夫。もうこれ以上、何を言ったらいいか分からないんだ」
 テオフィールはふっと視線を落とした。そこにはロバータの墓がある。危うく視界がゆがみそうになると、メルリアの背後に回り、その背中に優しく手を置いた。触れる程度の力で背中を押す。
「ロバータはメルリアの話だって聞きたいと思うよ」
「わ、分かりました」
 促されるまま、メルリアはしゃがむ。新緑の匂いと土の匂いを感じながら、彼女は真正面からロバータの墓と向き合った。
 その様子をしっかりと確認すると、テオフィールは背を向け、そっと目頭を押さえる。
「えっと……」
 メルリアは供えられた月満草に視線を向けた後、ロバータの名前が彫られている墓標を見つめた。
 ベラミントの村を出る前に「行ってきます」と声をかけたのは、どれくらい前のことだっただろう。たった数ヶ月だというのに、もう何年も時が経ったように感じた。それがなんだかおかしくて、くすりと笑みを浮かべる。もう一度墓石に刻まれた祖母の名前を見つめた後、そっと目を閉じた。

 黄昏の影の木々を風が揺らし、橙色の空を大形の鳥が滑空していく。
 メルリアがロバータに語りかける話は尽きない。今までにあった旅のこと、旅先での出会い、見たことのない景色、体験したことない出来事の数々。親切にしてくれた人たちのこと。テオフィールやロバータのことはもちろん、エルヴィーラやシャムロックのこと。そして、クライヴのことも。すぐ傍にロバータがいるように、時折顔をほころばせ、笑みを零しながら。
 ベラミント村を出たことがない彼女にとって、外の世界ではたくさんの刺激があった。初めて知ることも、初めて見るものも多くあった。たくさんの人に親切にしてもらった。知らなかった自分自身の事も知ることができた。
 メルリアにとって、この数ヶ月間の小さな旅は宝物となった。

「また来るね」
 メルリアがそう声をかけた頃には、橙色の空は姿を消していた。代わりに、空には再び青色だけが広がる。深く濃い藍色は夜を告げる証だ。
 ふと視線を下ろすと、そこには薄ぼんやりと光る月満草があった。固く蕾んでいた花弁が静かに花開く。まるで月明かりを求めるように、夜空へ伸びていた。柔らかい風が吹くと、光の粒子が周りにふわりと舞う。
 メルリアはしばしその輝きに目を奪われた。舞った粒子は墓石の上で静かに消えていく。そっと月満草の茎に手を伸ばした。わずかに人差し指で触れると、呼応するように残りの花弁が一気に開いた。月満草の粒子がさらに溢れ、いくつかの粒子が指に触れ溶け消える。
 その光景にメルリアは目を見張った。あの日、祖母と見たものと全く同じだった。
 祖母の名が掘られた部分に向けて、静かに微笑む。ロバータもきっと同じものを見ているのだろう――と。メルリアは月満草から静かに手を引いた。
 ……本当に見つかってよかった。約束を叶えられて、本当によかった。
 自分に言い聞かせるように何度か繰り返す。胸の内に確かな熱が広がる。彼女の頬を一筋の涙が伝い、頬からこぼれ落ちたそれが地面を濡らした。
 指の背で涙を拭いながら、メルリアはゆっくりと立ち上がった。
「メルリア。もう大丈夫?」
「はい……大丈夫です」
 メルリアは指で何度も目元を擦りながらも、笑顔を作って答える。
 テオフィールは特別そのことについて触れず、普段通りを意識してそっと微笑んだ。
「それじゃあ、行こうか」
 メルリアはうなずき、墓地を後にするテオフィールに続いた。
 五度、地面を踏みしめたところで、一度立ち止まる。振り返ると、祖母の墓をもう一度見つめた。
 またね――そうつぶやいた後、メルリアはテオフィールと共に、ベラミント村を後にした。

 供えられた月満草が、幾望の色にきらめく。
 その光は、朝が訪れるまで失われることはなかった。


〈了〉
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登場人物紹介

◆登場人物一覧

┗並びは初登場順です。

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メルリア・ベル


17歳。

お人好し。困っている人は放っておけない。

祖母との叶わなかった約束を果たすため、ヴィリディアンを旅することになる。

フィリス・コールズ


16歳。

曖昧な事が嫌いで無駄を嫌う。
シーバの街で、両親と共に「みさきの家」という飲食店を経営している。

クライヴ・シーウェル


22歳。

真面目。お人好しその2。

理由あって旅をしており、メルリアとよく会う。

ネフリティス


27歳(人間換算)

都市に工房を持つエルフの錬金術師。

多少ずぼらでサバサバしている。

イリス・ゾラ


21歳。

隣国ルーフスの魔術師。闇属性。

曲がったことが嫌い。

リタ・ランズ


16歳(人間換算)

魔女の村ミスルトーで暮らしているエルフ。
アラキナのストッパー兼村一番のしっかり者。

ウェンディ・アスター


不明(20代後半くらいに見える)

街道の外れの屋敷で働くメイド。

屋敷の中で一番力が強い。

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