第73話 広場に一人
文字数 1,586文字
クライヴが去った広場に、メルリアは一人立ち尽くしていた。
胸の前で手を握り、彼が消えた暗闇をじっと見つめていた。木々の生い茂る森の奥は、黒い枝枝や葉の数々がすべての光を飲み込んでいる。視認できる距離はわずか数メートル程度。
彼が走り去り、姿が消え、足音が消え、そうしてようやく状況を理解した。メルリアは心残りを抱えながら暗闇に目をやると、そっと背を向けた。
広場のたき火は、弱々しく燃え続けている。その中に薪を一本静かに落とした。まだ重く質量の多い薪に押しつぶされ、元々燃えていた木々が大量の火の粉をまき散らす。あまりの変わりように思わず数歩後ずさった。火の粉は次第に収まり、追加した薪もまた炎に飲み込まれるよう同化する。
それを見守った後、椅子に腰掛けた。勢いを取り戻した炎の揺れる様を視認した後、ゆっくりと目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、先ほどのクライヴの姿だ。
……あれは見間違いだったのだろうか?
酷く荒い呼吸を繰り返すクライヴは、頬には脂汗をかいていて、表情に余裕はない。苦しそうに細めた目がこちらを鋭く睨む。途端、普段の彼とは異なる違和感を覚えていた。表情や仕草の攻撃的な印象から来る幻なのだろうか――けれど、その異変を気のせいだとは片付けられなかった。それはごくごく最近見た色と重なるが、何なのかは分からない。記憶力が高いメルリアだが、大昔の記憶、もしくは本人がきちんと認識していない場合、はっきりと思い出すことはできなかった。
ゆっくりと目を開くと、自然と視線が隣に向いた。二脚ある椅子を使う者はいない。その上の空白は、今の彼女にとっては非常にもの悲しい。胸が締め付けられるような痛みを感じながら目を細めた。クライヴが楽しそうに笑う顔、真面目にこちらを見つめる様子、名前を呼んでくれる声。それらを思い出すと、たまらなく切なく感じる。その胸の苦しさに、奥歯を強く噛んだ。
……私はいつだってそうだ。クライヴさんが苦しんでいる時に何もできない。ただただ、いなくなる背中を見送るだけで。ただ黙って見ているだけ。自分はあれだけ助けてもらったのに。
両手のひらをぼんやりと見つめる。彼女の顔には悲痛な表情が浮かび上がっていた。次第に視界がにじみ、両手の皺や肌の薄橙が眼前にぼやけて広がっていく。
自分にできることはあるのだろうか。直接的に役立てなくても、苦痛を緩和するようななにかが。メルリアは空を仰いだ。煌々と輝く星空と静けさ。広場を照らす控えめな月明かり。森を抜ける風の流れが、彼女の長い髪をさらさらと揺らした。瞬く星の揺らめきを見ていると、ふと先日の夜を思い出す。
まだメルリアが熱で寝込んでいた時のことだ。
食事を済ませ、アラキナの用意した薬を飲んだ後、メルリアはベッドに寝かされていた。口をついて出てしまった行かないで欲しい、という願いを聞き入れたクライヴは、本日何度目か新しく濡らしたタオルを額に乗せる。
「俺はメルリアの熱を変わることはできないけど、眠れるまで傍にいるよ。ほら、体調が悪い時って人寂しくなるだろ? まあ、俺じゃ力不足かもしれないけどさ……」
彼の苦笑を耳にした途端、咄嗟にそんなことないと否定しようとした。が、クライヴが慌ててメルリアを制する。突然起き上がったため、目眩に似た感覚が襲う。そのまま静かにベッドに横たわったのだった。
細く鋭い風が広場を駆け抜けた。たき火に温められていた頬に冷たい風が当たる。顔を上げると、彼の消えていった道の奥に視線を向けた。一寸先の森に光はない。
……自分にもできることがあるはずだ。あの時、クライヴが傍にいて安心して眠れたように。このまま朝を待つわけにはいかない。今度こそ。
「……行かなきゃ」
立ち上がり、記憶を呼び起こす。
あの瞬間、クライヴが走り去った方向を記憶の中で見ると、その方向へ走り出した。
胸の前で手を握り、彼が消えた暗闇をじっと見つめていた。木々の生い茂る森の奥は、黒い枝枝や葉の数々がすべての光を飲み込んでいる。視認できる距離はわずか数メートル程度。
彼が走り去り、姿が消え、足音が消え、そうしてようやく状況を理解した。メルリアは心残りを抱えながら暗闇に目をやると、そっと背を向けた。
広場のたき火は、弱々しく燃え続けている。その中に薪を一本静かに落とした。まだ重く質量の多い薪に押しつぶされ、元々燃えていた木々が大量の火の粉をまき散らす。あまりの変わりように思わず数歩後ずさった。火の粉は次第に収まり、追加した薪もまた炎に飲み込まれるよう同化する。
それを見守った後、椅子に腰掛けた。勢いを取り戻した炎の揺れる様を視認した後、ゆっくりと目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、先ほどのクライヴの姿だ。
……あれは見間違いだったのだろうか?
酷く荒い呼吸を繰り返すクライヴは、頬には脂汗をかいていて、表情に余裕はない。苦しそうに細めた目がこちらを鋭く睨む。途端、普段の彼とは異なる違和感を覚えていた。表情や仕草の攻撃的な印象から来る幻なのだろうか――けれど、その異変を気のせいだとは片付けられなかった。それはごくごく最近見た色と重なるが、何なのかは分からない。記憶力が高いメルリアだが、大昔の記憶、もしくは本人がきちんと認識していない場合、はっきりと思い出すことはできなかった。
ゆっくりと目を開くと、自然と視線が隣に向いた。二脚ある椅子を使う者はいない。その上の空白は、今の彼女にとっては非常にもの悲しい。胸が締め付けられるような痛みを感じながら目を細めた。クライヴが楽しそうに笑う顔、真面目にこちらを見つめる様子、名前を呼んでくれる声。それらを思い出すと、たまらなく切なく感じる。その胸の苦しさに、奥歯を強く噛んだ。
……私はいつだってそうだ。クライヴさんが苦しんでいる時に何もできない。ただただ、いなくなる背中を見送るだけで。ただ黙って見ているだけ。自分はあれだけ助けてもらったのに。
両手のひらをぼんやりと見つめる。彼女の顔には悲痛な表情が浮かび上がっていた。次第に視界がにじみ、両手の皺や肌の薄橙が眼前にぼやけて広がっていく。
自分にできることはあるのだろうか。直接的に役立てなくても、苦痛を緩和するようななにかが。メルリアは空を仰いだ。煌々と輝く星空と静けさ。広場を照らす控えめな月明かり。森を抜ける風の流れが、彼女の長い髪をさらさらと揺らした。瞬く星の揺らめきを見ていると、ふと先日の夜を思い出す。
まだメルリアが熱で寝込んでいた時のことだ。
食事を済ませ、アラキナの用意した薬を飲んだ後、メルリアはベッドに寝かされていた。口をついて出てしまった行かないで欲しい、という願いを聞き入れたクライヴは、本日何度目か新しく濡らしたタオルを額に乗せる。
「俺はメルリアの熱を変わることはできないけど、眠れるまで傍にいるよ。ほら、体調が悪い時って人寂しくなるだろ? まあ、俺じゃ力不足かもしれないけどさ……」
彼の苦笑を耳にした途端、咄嗟にそんなことないと否定しようとした。が、クライヴが慌ててメルリアを制する。突然起き上がったため、目眩に似た感覚が襲う。そのまま静かにベッドに横たわったのだった。
細く鋭い風が広場を駆け抜けた。たき火に温められていた頬に冷たい風が当たる。顔を上げると、彼の消えていった道の奥に視線を向けた。一寸先の森に光はない。
……自分にもできることがあるはずだ。あの時、クライヴが傍にいて安心して眠れたように。このまま朝を待つわけにはいかない。今度こそ。
「……行かなきゃ」
立ち上がり、記憶を呼び起こす。
あの瞬間、クライヴが走り去った方向を記憶の中で見ると、その方向へ走り出した。