第68話 魔女のお茶会1
文字数 2,157文字
午後のあたたかな光が、広場一帯に無数の木漏れ日を作る。
湿気をはらんだ夏の風が、木々の匂いとともにツリーハウスに満ちていく。古い扉がわずかに不安定な音を立てた。
ベッドに腰をかけるメルリアは、その風をすうっと鼻から吸い込む。草と土の匂いがした。ヴィリディアン国のどこよりも、魔女の村の空気は清純だ。この場所で息をしているだけで、体の奥の悪いものがすべて溶けてしまうとさえ思えてくる。
あれから数日経過したが、彼女の体調はやはり万全とは言えなかった。アラキナの調合した風邪薬を毎晩寝る前に飲みながら、村で療養生活を過ごす。皜潔薬は説明通りこちらの体にゆっくりと効果を現していた。
村のエルフ達やクライヴに迷惑をかけていることを申し訳なく思う。しかし、彼女にとっては久しぶりの休みだ。発熱のせいとはいえ、旅に出てから――祖母が他界してから今日まで、こんなにゆったりとした時間を過ごすことはなかったのだから。
メルリアは顔を上げ、窓の外を見つめた。そよ風が新しい空気を運んでくる。草と土の匂い、葉の擦れる音に加え、小鳥の美しいさえずりをも乗せてきた。控えめだが、その美しく長い声は森の木々に反響する。おそらく開けた場所で歌っているのだろう。そのさえずりを耳に、ゆっくりと目を閉じる。まだ少し体が熱い。膝に手を置いているだけだというのに、そこからはじんわりと汗がにじんでいた。
そうしていると、ツリーハウスの扉から控えめなノックが三度鳴る。
「メルリア、起きてる? おやつ用意したんだ~。一緒に食べよ?」
扉の外から、ふわっと間延びした声が聞こえた。リタだ。
「あ、うん……。ありがとう。今、行きます」
問いに答えるには不十分な声量で伝えてから、ゆっくり立ち上がった。
メルリアはリタに手を引かれるまま、ツリーハウスの階段を下りていた。
広場の中央には、白樺を思わせる真っ白な樹皮を利用した、中型のダイニングテーブルがひとつ。その周りには三脚の椅子がぐるりと囲っている。椅子の一つには、黒いローブを身にまとうエルフが慎ましやかに腰掛けていた。リタは先客のエルフと一つ空いた席にメルリアを案内する。侍女がするように椅子を引き、どうぞとメルリアを座るよう促した。
テーブルには三人分の茶器や菓子が用意されている。目の前にある木製のスプーンをは、それぞれ異なる模様をしていた。
「そういや、メルリアは初めましてだっけ?」
リタは自分用のスプーンを手に取ると、その手でちょいちょいとローブのエルフを示した。深々とかぶったフードのせいで表情は分からないが、わずかに見える長い鼻には無数の皺が刻まれている。
その言葉に、メルリアははっと立ち上がる。が、やがて水不足の観葉植物のようにしなしなとその場へ崩れ落ちた。
「無理しちゃ駄目だよー」
「ご、ごめんなさい」
メルリアは椅子に腰掛けて息を整えた後、ゆっくりと顔を上げる。向かいに座るローブのエルフがこちらに視線を向けたようで、わずかにフードが動いた。
「初めまして……。メルリア・ベルといいます。お世話になっています」
熱っぽい息を吐いた後、メルリアは笑顔を作る。
すると、目の前のエルフがおもむろにフードに手をかけた。喉の奥でクククッと奇妙な音を鳴らしながら、それを首の後ろへ下ろす。暗闇の中から、皺の多い老婆の顔が現れる。長い鼻、長細いエルフの耳に、無数の皺が刻まれた顔。メルリアが好きだった絵本の魔女とよく似ていた。こんなところまで本の世界そっくりなんだと、老婆の顔をじっと見つめる。
「話は聞いとるわい……よく来たのぅ、旅の娘」
奇妙な音がやんだかと思うと、次に聞こえてきたのは迫力のある重く低い声だ。
細い目が突然、飛び出しそうなほどに見開かれる。身を乗り出すように腰を浮かした老婆だったが、やがて眉をピクリと動かすと、憑きものがとれたかのように無表情に変わった。そして、そのまますとんと椅子に座り、労るように腰をポンポン叩いた。腰痛だった。
「儂ぁアラキナ・ダンズじゃ。ここミスルトーの村長をしておる」
軽く腰を叩きながら、老婆は簡素な自己紹介を済ませる。心底かったるいというような、感情のこもっていない声だった。先ほどの大げさな芝居とは大違いである。
「村長さん……! すみません、お世話になっている上に、長居してしまって」
しかし、ただでさえお人好しであるメルリアが――特に、熱に浮かされている彼女が明らかな違いに気づくはずもなく、着席したまま深々と頭を下げた。
申し訳なさそうに萎縮する彼女の姿を見て、アラキナの両の眉がピクリと動く。他人の弱みは老婆の好物である。
その途端、手を叩く音が空間を裂いた。
「二人とも。挨拶はそれくらいでさ、お茶しようよ。溶けちゃうよ」
老婆の目論見を阻止するように、リタが割って入る。彼女がスプーンで指し示した先には、木の実や果物をゼリーで固めたような、半透明の料理が鎮座していた。ドーナツ状のそれは、夏の暑さに当てられ、端から少しずつ形が崩れている。
慌てるメルリアと、子供のように唇をとがらせるアラキナ。それらすべてをまとめて片付けるべく、リタは「いただきます」と、食前の言葉を宣言した。
こうして、エルフ二人と人間一人の奇妙なお茶会が始まった。
湿気をはらんだ夏の風が、木々の匂いとともにツリーハウスに満ちていく。古い扉がわずかに不安定な音を立てた。
ベッドに腰をかけるメルリアは、その風をすうっと鼻から吸い込む。草と土の匂いがした。ヴィリディアン国のどこよりも、魔女の村の空気は清純だ。この場所で息をしているだけで、体の奥の悪いものがすべて溶けてしまうとさえ思えてくる。
あれから数日経過したが、彼女の体調はやはり万全とは言えなかった。アラキナの調合した風邪薬を毎晩寝る前に飲みながら、村で療養生活を過ごす。皜潔薬は説明通りこちらの体にゆっくりと効果を現していた。
村のエルフ達やクライヴに迷惑をかけていることを申し訳なく思う。しかし、彼女にとっては久しぶりの休みだ。発熱のせいとはいえ、旅に出てから――祖母が他界してから今日まで、こんなにゆったりとした時間を過ごすことはなかったのだから。
メルリアは顔を上げ、窓の外を見つめた。そよ風が新しい空気を運んでくる。草と土の匂い、葉の擦れる音に加え、小鳥の美しいさえずりをも乗せてきた。控えめだが、その美しく長い声は森の木々に反響する。おそらく開けた場所で歌っているのだろう。そのさえずりを耳に、ゆっくりと目を閉じる。まだ少し体が熱い。膝に手を置いているだけだというのに、そこからはじんわりと汗がにじんでいた。
そうしていると、ツリーハウスの扉から控えめなノックが三度鳴る。
「メルリア、起きてる? おやつ用意したんだ~。一緒に食べよ?」
扉の外から、ふわっと間延びした声が聞こえた。リタだ。
「あ、うん……。ありがとう。今、行きます」
問いに答えるには不十分な声量で伝えてから、ゆっくり立ち上がった。
メルリアはリタに手を引かれるまま、ツリーハウスの階段を下りていた。
広場の中央には、白樺を思わせる真っ白な樹皮を利用した、中型のダイニングテーブルがひとつ。その周りには三脚の椅子がぐるりと囲っている。椅子の一つには、黒いローブを身にまとうエルフが慎ましやかに腰掛けていた。リタは先客のエルフと一つ空いた席にメルリアを案内する。侍女がするように椅子を引き、どうぞとメルリアを座るよう促した。
テーブルには三人分の茶器や菓子が用意されている。目の前にある木製のスプーンをは、それぞれ異なる模様をしていた。
「そういや、メルリアは初めましてだっけ?」
リタは自分用のスプーンを手に取ると、その手でちょいちょいとローブのエルフを示した。深々とかぶったフードのせいで表情は分からないが、わずかに見える長い鼻には無数の皺が刻まれている。
その言葉に、メルリアははっと立ち上がる。が、やがて水不足の観葉植物のようにしなしなとその場へ崩れ落ちた。
「無理しちゃ駄目だよー」
「ご、ごめんなさい」
メルリアは椅子に腰掛けて息を整えた後、ゆっくりと顔を上げる。向かいに座るローブのエルフがこちらに視線を向けたようで、わずかにフードが動いた。
「初めまして……。メルリア・ベルといいます。お世話になっています」
熱っぽい息を吐いた後、メルリアは笑顔を作る。
すると、目の前のエルフがおもむろにフードに手をかけた。喉の奥でクククッと奇妙な音を鳴らしながら、それを首の後ろへ下ろす。暗闇の中から、皺の多い老婆の顔が現れる。長い鼻、長細いエルフの耳に、無数の皺が刻まれた顔。メルリアが好きだった絵本の魔女とよく似ていた。こんなところまで本の世界そっくりなんだと、老婆の顔をじっと見つめる。
「話は聞いとるわい……よく来たのぅ、旅の娘」
奇妙な音がやんだかと思うと、次に聞こえてきたのは迫力のある重く低い声だ。
細い目が突然、飛び出しそうなほどに見開かれる。身を乗り出すように腰を浮かした老婆だったが、やがて眉をピクリと動かすと、憑きものがとれたかのように無表情に変わった。そして、そのまますとんと椅子に座り、労るように腰をポンポン叩いた。腰痛だった。
「儂ぁアラキナ・ダンズじゃ。ここミスルトーの村長をしておる」
軽く腰を叩きながら、老婆は簡素な自己紹介を済ませる。心底かったるいというような、感情のこもっていない声だった。先ほどの大げさな芝居とは大違いである。
「村長さん……! すみません、お世話になっている上に、長居してしまって」
しかし、ただでさえお人好しであるメルリアが――特に、熱に浮かされている彼女が明らかな違いに気づくはずもなく、着席したまま深々と頭を下げた。
申し訳なさそうに萎縮する彼女の姿を見て、アラキナの両の眉がピクリと動く。他人の弱みは老婆の好物である。
その途端、手を叩く音が空間を裂いた。
「二人とも。挨拶はそれくらいでさ、お茶しようよ。溶けちゃうよ」
老婆の目論見を阻止するように、リタが割って入る。彼女がスプーンで指し示した先には、木の実や果物をゼリーで固めたような、半透明の料理が鎮座していた。ドーナツ状のそれは、夏の暑さに当てられ、端から少しずつ形が崩れている。
慌てるメルリアと、子供のように唇をとがらせるアラキナ。それらすべてをまとめて片付けるべく、リタは「いただきます」と、食前の言葉を宣言した。
こうして、エルフ二人と人間一人の奇妙なお茶会が始まった。