16.追跡者④

文字数 2,086文字

「それはそうと、これからのことなんだが」
 呪符を眺めながら、うふふふと不気味な笑いを浮かべるレイに、マスターは声を掛ける。
「……ん? 何か言った?」
「…………これからの、こと、なんだが!?」
「ああ、どうすんの?」
 いかにも他人事ですと言わんばかりの顔で訊ねるレイに、マスターは溜息を吐く。顔を見られ、しかも店の場所も割れた。仕掛けていた術式も――誰かさんのせいで想定外の作用を及ぼしはしたが――概ねバレたと思って間違いないだろう。考えたくはないが、再襲撃されるのも時間の問題だ。
「どうすんのが良いと思う?」
「隠れる。一択」
「……やっぱそうなるか」
「いいじゃん、ちょうど良い機会だし開発部(うち)に来ちゃえば? 好待遇だよ」
 ぽん、と手を打ちながら、いかにも名案ですと言わんばかりのレイの表情に、マスターは眉根を寄せた。
 実は、レイが毎晩のように店にやって来る理由はそこにあった。どうやら自分のことを気に入ったらしい開発長は、ふらりとやって来ては研究員にならないかと勧誘を掛けてくる。これまでは一言の元に断っていた事案だが、事態が急展開した今となっては、それもひとつの方法かもしれない――と、そこまで考えて、マスターの脳裏に、ある可能性が浮かぶ。
「……まさかとは思うが、お前、そのためにわざと紫月を焚きつけたりしてないよな」
「してないけど、偶然すらチャンスに変える。さすが僕ってば天才だよね」
 ふっふっふと腰に手を当てて自画自賛を始めたレイに、溜息とともに肩を落とすと、マスターは路地の中を歩き回り、術式を仕掛けた場所を確かめた。いくつかは先程の戦いで壊れてしまったようだが、概ねまだ動作しそうでほっとする。いちから全部作り直すのは、少々手間だからだ。
「あれ、直すってことは、迎え撃つ体制? 意外とアグレッシブだね」
「んな訳あるか。どっちにしろ、この場所は残さなきゃなんねんだ」
「? 理由を訊いても?」
「ここは、亮介やユイみたいな連中の居場所だったんだ。それをなくすわけにはいかない」
 家にも学校にも、夜の街にすら居場所のない――けれど独りでいられるほど強くもない、そんな若者たちが道を踏み外さずに、仲間とひとときの安寧を得られる場所。
 ――たとえ、それが断崖絶壁の上、ぎりぎりの安寧であっても。
 堕ちずにいられるなら――万が一にも踏みとどまって道に戻れるチャンスがそこにあるのなら、その場所を守らなければならないと男は思う。
 そう言い切るマスターに、レイはふん、と鼻を鳴らした。
「非合理的だね。感情論だ。でも――嫌いじゃない」
 にっと笑い、レイはパチンと指を鳴らした。その瞬間、路地に設置していた全ての術式が呼応して光り出す。
「一個ずつやるのはめんどくさいからね。まとめて強化しちゃおう」
 言いながら、手元の呪符にさらさらと何やら書き始める。
「ついでに、こっちの新術も試しちゃおっかな」
「おい、頼むからやりすぎるなよ」
 不安げなマスターの声など絶対に聞こえていない様子で、ふんふんと鼻歌交じりに術式を書き加えると、レイは書き上げた呪符を地面に置いて手を翳した。ぱあっと金色の光が広がり、呪符が消える。次の瞬間、浮かび上がっていた全ての術式がくるくると回るようにうごめき、修正されていく。程なくして唐突に光が消え、路地に暗さが立ち戻ってくる。
「何したんだ?」
「まずは目眩ましの術式。これで、この路地に愛着のある者しか、この場所を認識することができなくなった。それでももし、害意のある者が無理に路地に踏み込んだ場合には、防御式が発動する。まずは足止めのための結界、それでも諦めなければ、新術が起動して侵入者を強制排除する」
「強制、排除」
 えらく物騒な単語だ。
「どこか遠くに飛ばすって事。まだ実験が足りなくて活火山の火口を狙って飛ばしたりはできないから、どこにいくか分からないのは痛いんだけどねー」
「……火口は倫理的にまずいだろ」
「そう?」
 ま、時間稼ぎにはなるでしょ、と言ってレイは両手を白衣のポケットに収める。
「これであんたが望むとおり、ragazzacciたちの居場所は守れる。どう?」
「……参った、降参だよ」
 両手を挙げ、マスターは言った。さすが“ランブル”の幹部と言ったところか。先程、書き換わっていく術式をちらりと見ただけでも、自分には到底組めないような精緻で強力な術式だということは分かった。これなら、そう簡単に破られはしないだろう。
「あと、おまけで店の方にも術式を組んでおいてあげるよ。もしここにいる時に侵入者が術を破ったら、とりあえず逃げられるように。でも、さっき来た子はしばらくここに来ない方がいいだろうね」
「ああ、そうだな……亮介には悪いが」
 亮介は確実に顔を覚えられている。彼がこの路地を出入りすれば、術式を破壊されてしまうリスクが爆発的に上がるだろう。
「あと、それから……」
「ま、細かい事は後で打ち合わせるとして――とりあえず、モヒートが飲みたいな」
「……はいよ」
 危機感という言葉とは無縁としか思えないレイの言葉に、マスターは溜息交じりに踵を返した。
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