第10章 決意②

文字数 3,019文字

「昨日までの状態なら、絶対に連れて行かなかったけどな。一晩で随分色々あったみたいじゃないか?」

 そう言ったアレクの言葉に嘘はない。
 出会ってからの半日、睦月を観察してアレクが下した評価は「適応能力は高いが極めて受動的」というものだった。

 訳も分からず異世界に迷い込み戸惑いながらも、睦月はその現実を拒絶し目を背けようとはしなかった。バルドの生まれ変わりだという話も含め、簡単に受け入れられないとは言いつつも冷静に状況を観察し、波風立てることなく受容する適応力には目を瞠るものがある。
 しかしその反面、その適応力は状況に対して徹底的に受身になることと表裏一体のように見えた。森の中で出会って以降、睦月は自分から周囲に働きかけるより、流れに身を任せることで極力ダメージを少なくしているように見えた。

 無論、見知らぬ環境では闇雲に行動するよりも、状況を冷静に観察し見極める力も必要だ。だが、睦月は様子見をしている場面の比重が高すぎた。
 確かに、ミシレの門番から逃げたように、危険を感じる状況では身を守る行動を選択する判断力もある。だが目立った危険がない状況では、睦月はあたかも水面に浮かぶ草のように、場の流れに身を委ね逆らわぬことで、特異な状況をいなし乗り切ろうとしているようだった。

 その様子が、アレクには危ういものと感じられた。
 彼らが身を置くこの精界は、人界に比べて精神力の影響が強く働く世界だ。ほんのわずかな気の持ちようの差が、大きな結果の違いをもたらすことがある。
 ましてや今回のようにどことなくきな臭い状況では、自ら状況を変えようとする意志が、生きようとする強い思いこそが危機を脱する鍵となることも少なくない。
 睦月には、それが希薄だった。ただ状況に身を任せ流れに従っているだけでは、有事に際して身を守る力は得られない。それどころか、命を削る原因にもなりかねない。

 よりにもよって、光の継承者の生まれ変わりがそのような受動的な性格だとは。
 睦月を観察しながら、いささか残念な心持ちに陥ったことは否定しない。これでは、万が一の時に身を守れずあっけなく死んでしまうかもしれないと危ぶんだ。
 だからアレクはできる限り慎重に、安全な道を選ぶしかなかった。光の継承者の力はセルノ復活を防ぐ鍵になる。本当にセルノを復活させようと企む者たちがいるなら、この先大きな争いが起きる可能性が高い。ならば光の継承者の魂を受け継ぐ睦月は、何があっても守り抜くべき存在になるだろう。
 だからセルノの廟を確認するにあたり、アレクは睦月を置いていくことに決めていたのだ。

 昨夜までは。

 ――だが、今の睦月ならば。

 改めてアレクは睦月の表情を観察する。
 まっすぐに彼の視線を受け止める睦月の目には、これまではなかった意志の光がある。たった一晩の間に一体どのような心境の変化があったのかはわからないが、その表情はもはやただ流されるだけのものではない。自ら動き、掴み取ろうとする者の目だ。
 意外とこれが睦月という人間の本質なのかもしれないとアレクは思った。状況への適応力や冷静な観察力の高さから見ても、その可能性が高いのではないか。

 これまで睦月が人界でどのような生活を送ってきたか、アレクは知らない。
 だが人間同士のかかわりの中では、敢えて流れに身を任せることで衝突や葛藤を回避する方が、強固に意志を貫くよりも生きやすい場合もあるだろう。特に睦月の暮らす『日本』というエリアは、集団の和を重視する傾向が強かったはずだ。観察力と適応力の高い睦月なら、知らず知らずの内にそういう生き方を身につけていても不思議はない。

 そういえば友香もそんなことを言っていたなとアレクは思い出す。
「萩原君のあれは処世術かもね」
 昨日、睦月を部屋に案内した後のことだ。
「日本の学校って、クラスの中で悪目立ちするとややこしいことになりやすいから」
 何度か仕事で学校に潜入したことのある友香自身が肌で感じた実感なのだろう。いつだったか「学校に潜入するのは気を遣う」と漏らしていたこともあったなと思い出して苦笑する。

「参考までに訊くが、たった一晩でどんな心境の変化があったんだ?」
 たとえ今の睦月から垣間見える意志の強さが彼の本質なのだとしても、慣れ親しんだ隠れ蓑を脱ぎ捨てることは、そう簡単なことではないはずだ。
 興味半分で訊ねると、睦月は少し悩んでから口を開く。
「ん-……、ひとつはさっき話した夢の件。バルドが僕を巻き込んででもセルノを止めようとするくらい、過去を悔やんでるなら、僕もその力になるべきじゃないかと思って」
 そう言ってから、睦月は口元に、小さく笑みを浮かべる。
「それからもうひとつ――、アレクやみんなを見て思うところもあったっていうか」
「俺たち?」
 意外な発言に、不思議そうにアレクが首を傾げる。
「みんな僕とあんまり歳が変わらないのに、しっかり仕事してるのを見てちょっと焦ったのと……、昨日、アレクが、自分がやりたいことをすればいいって言ってくれたから」
 スープマグを両手で包むようにしながら、睦月は目を伏せる。
「昨日も少し話したけど……、僕、これまで自分から何かしたいとか思ったことがなかったんだよね。ただ決まった道を進んでるだけっていうか。進学も就職も、決まった年齢になったらみんながそうするから、自分だけがそこから外れちゃわないようにっていう感じでさ」

 一度外れてしまったら、もう元の道には戻れないような気がしていたから。多くの人が進むのとは別の道に逸れるのは、何となく怖かった。
 だから、友人たちが将来の夢や目標を掲げるのを横目に見ながら、自分で選択したふりをして、その実ただ押し流されてきただけだった。

 けれど。
「生まれ変わっても、それでもセルノを止めたいと望むくらい、バルドは後悔したんだと思ったら……さ」
 世界の崩壊なんて、そんなハリウッド映画みたいなスケールの大きな話は正直、ピンとこないけれど。
「もしここでバルドに力を貸さなくて、それでもし何かに巻き込まれて死ぬことになったら、僕も――それこそバルドみたいに、生まれ変わった後まで後悔するのかな、って思っちゃったんだよね」
 親友が狂いつつあることに薄々気づいていながら、見て見ぬふりをしたために、死んでも残る大きな後悔を抱え込んだバルド。
「そんなのは嫌だなって。だったら、せめて僕にできることくらいはしようって、そう思った」
 言葉を探りながら、睦月はそう言うと苦笑を浮かべた。
「なんかやっぱりちょっと――消極的だね」
 口に出してみたら、思った以上に格好悪かった。だがそんな睦月に、アレクは真顔で首を振った。
「それでも、選択は選択だ。睦月自身が自分の意志で決めたっていう、その事実が大事なんだ」
 ふっと、アレクの目元がわずかに緩む。
「睦月にとっては、これがはじめの一歩だな」
「――」
 静かな声が、胸の深いところに沁み込んでいく。
 睦月の――おそらく他の人にとってはあまりにも些細な――決断を、軽んじることなく受け入れてくれたその言葉が、今はひどく心強い。
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちの方だ。バルドの力を持つおまえが自分から動いてくれるなら、俺たちもやりやすい」
 言葉と共に、アレクが拳を突き出す。
「こちらも最善を尽くしてお前の身は守る。よろしくな」
「うん、よろしく」
 こん、と拳を突き合わせ、睦月は頷いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み