12.再びの邂逅

文字数 2,578文字

 待ち合わせしていた雑居ビルの前に到着すると、睦月は立ち止まり辺りを見回した。飲食店やライブハウスが入った建物の前では、学生とおぼしき若者達や仕事帰りの会社員がひっきりなしに行き交っている。その中に、睦月は友人の姿を探した。
「まだみたいやね」
「そうだね――って、何で分かるのさ」
 彼誰時(かはたれどき)とはこのことか。冬も近づいたこの時期、まだ夕方の5時過ぎだというのに、既に辺りは薄暗い。目をこらさなければ、人混みの中に友人の姿を見つけられそうにないこの状況で、あっさりと断定した直人に睦月は首を傾げた。大体、彼らは友人たちとは初対面の筈なのだが。
「何でって……なあ、京平」
 睦月の呆れ声に首を傾げて、北条直人が相棒を振り仰ぐ。
「……護衛をしている間に、おまえの友人の顔は一通り覚えた」
「ま、京平の場合、同じ講義を履修してるだけの他の学生も全部覚えてんねんけどなー」
「あのね。一応初対面なんだから、変なこと言わないでよ。説明するの大変なんだから」
 一応、高校時代の友人を連れて行くと告げてはいるが、話の辻褄を合わせておかなくては、ややこしい事態になるのは目に見えている。
「分かってるて。そやから俺らが来たんやろ」
 からからと笑う直人に、本当に分かっているのかと睦月は溜息を吐く。

 ほんの数日前、大学の友人である成瀬から、知人が出るというアマチュアバンドのライブに誘われた。その件を友香に相談したところ、彼女は護衛として部下を貸し出してくれたのだ。そのこと自体はありがたいのだが、突っ込んだ質問を投げかけられて、躱す自信は睦月にはない。
「……大丈夫だ。ナオはそういうのが得意だからな」
「そうそう。大体、俺らがこっそり尾行してた時かて、全ッ然気づいてなかったやん」
「まあ、それはそうだけど――と、メールだ」
 ジーンズから携帯電話を取り出すと、画面には、待ち合わせをしている友人の名が表示されていた。
「何やて?」
「……成瀬はもう中にいるらしいよ。出演者の控室にいるから、岬と合流したらそっちに来てくれって」
 件のライブハウスは、この雑居ビルの地下にある。一階に受付があり、そこから階段でライブスペースに移動する形式だ。
「りょーかい。ところでな――」
 不意に真顔に戻って声を潜めた直人に、何事かと睦月は顔を寄せる。
「実は、ここのライブハウスに『紫月』が出入りしてるかもしれへんらしい」
「え――」
 思わぬ言葉に、睦月は目を丸く見開いたまま、固まった。
「え、待って。それってまずいんじゃないの」
「ああ、めっちゃまずいねんけどな。俺らも友香さんから電話があって知ったんやけど」
 友香自身も、ついさっき情報長が手に入れてきた情報で知ったという。
「どうやらこの辺り一帯に出没してるらしい」
 そういわれてみれば、以前ゴーレムと遭遇した――紫月にもまみえたあの場所も、この近くだ。
「まあ、よりによって今日ここに現れる確率はそう高くないはずや……と思いたい」
 と言いながらも、直人の表情は硬い。
「念のため、友香さんたちも近辺を張ってくれるらしい。だがとにかく、気をつけていてくれ」
「……分かった」
「頼むで。で、もう一人も来たみたいやな」
 直人が睦月の背後に視線を投げる。
「え?」
「よぉ、萩原」
 振り返ると同時に声が届いた。待ち合わせをしていた友人のひとり、岬孝允がこちらに手を振っていた。
 軽い足取りで近づいてきた岬は、直人と京平に目を向ける。
「こないだ言ってた友達?」
「うん。えと、こっちが――」
「北条直人。で、このデカイのが大徳寺京平や」
 睦月の言葉尻を引き取って、直人が言った。その語尾を睦月が引き取る。
「さっき成瀬からメール来てさ、先に入ってるから控室に来いって」
「へえ。じゃあま、入るか」
 岬が頷き、四人は連れ立って、ライブハウスの入口へと向かった。
 中では既に演奏が始まっているらしい。階段の下から、ベースの低音が漏れ聞こえている。受付で入場料を徴収していたスタッフに事情を説明すると、話は通っていたらしく控室の場所を教えられた。
「――あ、ごめん。僕トイレ行ってくるから、先行ってて」
 控え室に続く廊下の手前に手洗いがあるのを見つけ、睦月は言った。
「おー、あっちだからな。迷うなよ」
「迷わないって」
 軽口を叩いて、トイレに足を踏み入れる。
 用を済ませて手を洗っていると、誰かが背後に立つ気配を感じ、睦月は顔を上げた。
 鏡に、人影が映っている。サングラスを掛けたその顔には見覚えが――
「――!!」
 バッと勢いよく振り向いた拍子に、水が辺りに飛び散った。だが、それにも構わず睦月は相手を凝視する。正面から改めて見ても、見間違いではない。
「…………紫月……」
「何だ、おれの名も既に掴んでいるのか」
 口元に冷笑を浮かべて男は言った。サングラスの奥から届く視線も、鳥肌の立つような冷たさだ。
 改めて明かりの下で対峙してみると、相手の異様な存在感に身体が凍り付く。日頃つきあいのあるアレクや友香も時に強烈なプレッシャーを発することがあるが、この男のそれは異質だ。そもそも人である事自体を疑いたくなるような、禍々しい気をこの男は纏っている。
 ついさっき、この辺りに出没すると聞いたばかりだ。
 けれど、まさかその直後に遭遇するなんて。緊張する睦月を、面白そうに紫月が眺める。
「危ないと聞いただろうに。なかなか怖い物知らずだな、バルド」
「僕は……、バルドじゃない」
 絞り出すように、睦月は声を出した。
「いいや。おまえは間違いなくバルドだよ、小僧」
 そう言って、紫月は鼻を鳴らした。
「聞こえてるんだろう? 俺が誰かも分かっているんじゃないのか、バルドよ?」
「何を――」
「気をつけた方が良いぞ、バルド」
 睦月の言葉を遮り、紫月が嗤った。
「ここはもうすぐ――狩場になる」
「え……」
 何を言っているのか、一瞬意味が分からなかった。
 ただ呆然とする睦月を冷笑とともに眺め、紫月は悠然と身を翻す。
「小僧、早めに逃げるんだな。 
 ――おまえを狩るのは時期尚早だが、ここにいれば間違いなく食われるぞ」
 そう言い残し、手洗いの入口の戸を開けて、紫月の背中が廊下に消える。
 彼の姿が見えなくなった瞬間、枷が外れたかのように、身体が動いた。
「――待……ッ」
 だが、慌てて後を追った廊下には、もはや男の姿はどこにもなかった。
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