18.黄昏に誓う④

文字数 1,773文字

「力があっても、助けられないことはある」
「……分かってる、分かってるけど!」
 絞り出すように、睦月は声を荒らげた。
 あの時。最初に感じることができたのは、恐怖だけだった。圧倒的な異形の存在感がもたらす本能的な恐怖の前では、ただ自らの生命の危機に震える以外の感情を覚える余地はなかった。
 しかし興奮から冷めるにつれ、それは次第に怒りへと転化していった。最初はゴーレムを生み出した紫月や闇の者たちに対して。それから少し遅れて――何もできなかった自分に対する憤りがやってきた。
 それは無力感とない交ぜとなって、このところずっと、睦月を繰り返し苛み続けている。

 こんなことをして何になる。所詮、一人では何もできないくせに。
 訓練をしていても、そんな諦念と自分への怒りとが交互に沸き起こる。この気持ちをどう整理すれば良いのか、分からないほどに激しく荒れ狂い、睦月の心をかき乱す。

「でも、それなら――なんで。僕は、だって」
 言葉にならない思いを叩きつけるような睦月に、アレクは静かな目を向ける。
「目の前の人も助けられないなら、なんのために僕は――」
「――悔しいよな」
 静かにそう言って、アレクは鉄柵に背中を預けた。余計な感情の乗らないその声に、つい先刻のアレクの言葉が蘇る。知識でしか知らなかった現実を目の当たりにしたその時の彼は、まさに今、睦月が抱いているのとよく似た思いに悩んだのかもしれない。
 そう、直感のように睦月は思った。思ったら――不思議と素直に頷くことができた。
「…………うん。悔しい」
 バルドの生まれ変わりだという話を受け入れ、この数ヶ月特訓を受けてきたのは、手の届く範囲の人たちを――家族や友人たちを――守りたいと願ったからだ。なのに。
「バルドの力を持ってても、僕は無力だった。アレクが来てくれなかったら、僕だけだったら、きっともっと被害が出てた」
 睦月の護衛をしていた直人と京平を皮切りに、自分自身も含め、多くの犠牲が出ていたかもしれない。睦月は自らの手を空に翳す。真っ赤な陽光に照らされて、掌が朱く透き通って見える。
「力を持ってるだけじゃ、だめなんだってことは分かった。でも、どうして良いか分からない。あの時の、あの人の顔が目に焼き付いて、どうしても忘れられないのに」
「……なら、どうする?」
 静かな声が発したのは、決して答えを与えてはくれない問いだ。どうして良いか分からないと、たった今言ったばかりなのに。
 けれど。ひとつだけ確かな思いがある。
 陽光に透けた手を見つめ、睦月は拳を握った。
「もう、あんな思いはしたくない」
 バルドの力を持っていても救えないものがある。そんなのは嫌だ。けれど、もしも睦月がその事実に絶望し、あがくことを諦めてしまったら、もっと多くの犠牲が出るのだろう。
 そんなのは、もっと――もっと嫌だ。ならば、今、自分にできることをするしかない。
「もっと力を使いこなせるようにならなくちゃだめなんだ」
 睦月(じぶん)が今ここにいる意味。自分自身の選択を無意味なものにしないためには、前に進むしかない。
「それでも、全部は救えないかもしれないぞ」
「分かってる。けど、尽くす力さえ持っていなくて後悔するのは、絶対、嫌だ」
 きっぱりとそういった睦月に、アレクがふっと笑った。
 数ヶ月前に初めて出会った時の睦月は、ただ周りの状況に流されるだけだった。あの頃とはとはまるで別人のように、その瞳には強い意志の光が点りつつある。
「――上等」
 ぽん、と頭に手を載せて、アレクが言った。
「なら、訓練のメニューを見直さないとな。特訓だな」
「う……、よろしくお願いします」
 一瞬言葉に詰まりながらもそう返せば、アレクはくつくつと笑いながら、身を起こした。
「さぁて、戻るか」
「あ、アレク」
 くるりと踵を返したその背に呼びかければ、「ん?」と肩越しにアレクが振り返る。
「ありがとう」
 睦月の言葉に、無言のまま人の悪い笑みを浮かべ、アレクは背を向けた。
 少しずつでも確実にできることを増やし、一歩ずつ前へと進もうとする睦月の芯の強さは、バルドの力を必要とするアレクにとっても、この先を見据える上で心強い要素となりつつある。助力など惜しむものか。

 扉へと向かいながら、睦月はもう一度、背後を振り返った。空はもう、地平線にわずかな残光を残して薄闇に染まっていた。
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