22.対峙①

文字数 2,341文字

 夕暮れの街は、終わりゆく一日の倦怠と仄かな昂揚の入り交じった空気が溢れている。
「うーん……」
 携帯電話ショップの前で最新のスマートフォンを眺めながら唸っているのは、レイ・ソンブラだ。日本のごく当たり前の町並みの中で雑踏から頭ひとつ飛び抜けたその姿は、ギリシャ彫刻のような外見も相俟って酷く目立つ。
「どれがいいかな。こっちの機能は――」
「こら」
 陳列された商品をためつすがめつ比較し始めたレイに、背後から声が掛かる。振り返れば、レイよりもさらに頭ひとつ背の高い警備長の姿があった。ラフな服装の彼は、いかにも外国人観光客のように見える。
「なに?」
「いやいや、何じゃないだろう。亮介を探すんじゃないのか?」
「ん? ああ、そうだったっけ」
 悪びれないレイに苦笑を禁じ得ず、レオは頭を掻く。
「大体、なぁんで僕が駆りだされるのさ」
「亮介の顔を知っているのが、俺たちだけだからだな」
 そう言って、レオはレイが握りしめていた新型のスマートフォンを取り上げ、ディスプレイに戻す。それからレイの肩を軽く押して、歩き出した。
「お嬢は辺りの警戒で忙しいしな」
「……僕としてはそっちの方が興味あるんだけど」
 今朝、マスターが持ってきたばかりの情報だ。ユイという少女が街で紫月から渡されたというそれは、その場で簡単に解析をしただけで、これまでの『胤』よりも効果が強いことが明らかだった。このところやけにゴーレムの出現頻度が上がっていたことと無関係とは思われず、公安部は急遽、一体の警備強化に駆りだされている。一方、レオは『胤』の解析をしたいと暴れるレイを引きずって、亮介の安全を確保しに来たところだ。
「それは帰ってからじっくりやってくれ」
 観光客らしくゆったりとした足取りで、道々の店先を眺めるようにしながら、二人は小声で会話を交わす。
「とりあえず、亮介を見つけよう」
「まったくもう。家から出るなって言ったのに」
 そう言いながら、レイは軽く意識を集中させる。先日の一件の別れ際、彼にそっと守りの術を掛けておいた。その気配を手繰れば、程なく見つかるだろう――本当にこの辺りにいるのなら。

「――あ、いた」
 レイの示す方角へと、もう二十分も歩いただろうか。レイが声を上げたのは、ある細い路地の入口だった。大通りに面した飲食店の裏口から漏れる光の中に、うずくまる人影がある。
「リョースケ」
 レイの呼びかけにも反応せず、その人影は地面に倒れ込むようにして、身体を丸め震えている。
「どうした!?」
 素早く駆け寄ったレオが顔を覗き込み――その表情を険しく歪めた。
 呼吸は、ある。だが口を開けたまま、はっはっと繰り返される喘鳴の混じった浅い呼吸。全身に酷く汗を掻き、見開いたままの瞳孔は焦点が合っていない。
「チェン!!」
 膝をついたレオの傍らで、声が上がる。抑えてはいるが鋭いその声に、目を上げる。開発長が指を伸ばすその先に――亮介の身体から立ち上ろうと蠢く闇の塊が見えた。
「まさか――」
「十中八九それだろ!」
 言うが早いか、レイはがさごそと上着のポケットを探る。
「錠剤と液体、どっちだ?」
 取り出した二つの瓶を手に、レイは一瞬の躊躇の後、片方の瓶の蓋を開け、中の錠剤を数粒取り出した。「コレ、飲んで」
 亮介の口にざらざらと薬を放り込むと、顎を押さえる。窒息の危険が頭をよぎるものの、手持ちの薬はこれだけだし、呼吸が落ち着くのを待っている余裕もなさそうだ。幸い、錠剤が気管に詰まることもなく、喉が嚥下する動きを見せる。そのことにほっとする間もなく、レイは懐から取り出した呪符を亮介の胸元に押しつける。そしてもう一枚、同じ物を亮介の側で蠢く塊にも貼り付けると、早口で呪を唱えた。
 ややあって、亮介の身体が淡く光る。その光が茨のように伸びて闇の塊を絡め取ると、うぞうぞとしたその動きが収まったように見えた。それと前後して、亮介の呼吸も僅かずつ落ち着いていく。だが、それでもまだ呼吸に異音が混じっているし、発汗も収まる様子はない。
「……口腔内で溶けて成分摂取できるようにした方が良いな」
 医療部と共同で開発したばかりの気療薬だ。心身が元々持っている回復力を引き上げるものだが、ひとまずの所、最悪の事態からは脱したように見える。
 とはいえ、安心にはほど遠い。いつ、術の効果が破られるかも分からない。
「ここだと危ないな。移動させられるか?」
「できなくはない、と思うけど。それよりも、萩原の力を借りた方が良い」
 万が一の事態が生じた時に対処を確実にするなら、バルドの力が必要だ。結界を張り始めたレイの傍らで、レオが端末から友香に連絡を入れる。
 その時、ピクリと亮介の身体が動いた。
「……あんた、たち……」
 やがてゆっくりと目の焦点が合い、亮介が掠れた声を発する。先程よりは落ち着いたようだが、苦しそうな様子に変わりはない。
「亮介、なにがあった?」
 レオが目を合わせて訊ねる。
「……ちが。おれ、変なやつ、に。脅され、て」
 震える声で、亮介が言った。喘鳴に紛れ、囁くような声音だった。
「変な――?」
「――変な奴、とはなかなかに失礼だな、小僧」
 唐突に聞こえた声に、真っ先に反応したのはレオだった。ばっと勢いよく振り返ると、建物の影の中から、ぬぅっと男が姿を現すところだった。
「……紫月」
 薄暗い路地の陰の中でもサングラスを掛けたままの男が、ふっと嗤う。
「おや、ご存じか。なら、そっちは二人ともランブルの者か」
「この子に何をした?」
「今その小僧が言った通りだが?」
「……レイ、ここは俺が」
「分かった。任せる」
 言うが早いか、さっと結界を展開したレイが、亮介ごと消え失せる。
「さて――お手合わせ願おうか」
 レオは腰を落とし、構えの姿勢を取った。
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