23.力の解放③

文字数 2,946文字

 目を開けると、既に危機的状況だった。
「……ハギワラ!」
「ごめん、遅くなった」
 白光を全身に纏った睦月が立ち上がる。それに応じるように、ゴーレムがほんの僅かに上体を退けた。それを正面から見据え、睦月は意識を集中させた。
 身体の中を、これまで感じた事のない力が渦巻いているのが分かる。泉のように湧きあがり、波濤のようにうねりながら、睦月の全身をくまなく循環する力の奔流を、睦月は意識する。
 ゆっくりと――細く息を吐く。

 ――その大きな力をそのままに解き放てば、お前の傍らにいる無関係の者まで傷つけてしまうぞ

 脳裏にバルドの声がよみがえる。
「……目標にだけ、力を行使する」
 バルドの言葉をなぞるように、口に乗せる。今回呼びかけるのは、バルドではなく――自分自身だ。身体に満ちる力が一直線にゴーレムへと向かうイメージを思い描く。レイの術が茨のようにゴーレムに巻き付いているおかげで、イメージも作りやすい。
 きいんと音のしそうな緊張感。睦月を中心に、店内の空気が一気に吸い出されていくような、感覚。

 グアアアアアアアアア

 威嚇するように、ゴーレムが叫ぶ。だが、睦月は怯まなかった。以前、ライブハウスで対峙した時とは違う。今なら抑えられるという確信が、睦月を支えている。
「――行くよ」
 呟いた睦月の目が、白く光る。全身を覆う光が強まり――
「――――――――っ!!」
 自分の中で急激に力が膨れ上がる感覚に、睦月は息を呑んだ。
 ――ヤバい!
 慌ててブレーキを掛ける。幸い、暴発する寸前で、広がりかけた光の侵攻はびたりと停まった。
「……っ」
 幸い、まだ力は身体の中に満ちている。息を整え、睦月はもう一度身体の中を巡る力に意識を集中させた。

 *

 目を開いた瞬間、目に飛び込んできた化け物の姿に、亮介は息を呑んだ。
「――っ」
 咄嗟に出かけた悲鳴を押し殺し、口に両手を当てる。
 ――アイツだ
 ゴーレムだと認識すると同時に、自分の身に起きた一連の出来事を思い出す。
 昨日と同様、あの日の知人を探しに出た路地で、サングラスを掛けた男に声を掛けられ――無理矢理にあのクスリを飲まされた。その後のことは朧気にしか覚えていないが、身体をひねり潰されるかのような痛みも、呼吸を奪われる苦しさも、今はもう感じない。
「――」
 そろりと身体を起こし、辺りを伺う。屋内――見覚えのある場所だと思った瞬間、少し離れたところに見知った人影が見えた。
「!」
 ユイだ。認識した瞬間、亮介の視界は彼女へと収束する。恐怖に見開いた目と蒼白な顔色、絶えず悲鳴を上げるその口元が、あの日のことを思い出させた。
 逃げた自分、彼女の悲鳴、昨日出会った彼女の姿――
「……っ」
 気付いたら、走り出していた。先程まで苦痛に苛まれていた身体には力が入らず、足がもつれる。それでも、転ぶようにふらつきながら、亮介は走り出した。

 *

 その瞬間、誰もが亮介に気を取られた。
 睦月の意識が逸れたその隙に、ゴーレムが動く。
「――っ」
 大きく口を開けたゴーレムが、足下を駆け抜ける亮介に狙いを定め。

 キイイン――ッ!

 勢いよく降りてくる巨大な口を、レイの結界が阻む。
「ハギワラ!」

 ゴーレムに意識を戻した睦月の目が白く光る。
 勢いを緩めることなくカウンターの裏へと回った亮介が、ユイの腕を掴み。
「逃げよう、一緒に」
 はっと振り仰ぐユイを引っ張って、再び亮介は走る。

「ハヤチも行け! 早く!」
 レイの声が飛ぶ。
 マスターが亮介を追って踵を返す。開け放たれたままの扉の向こうに飛び込み――扉を閉める。

 バタンと大きな音が響き――

 睦月の全身が光る。
 圧倒的なその光量に、ゴーレムの動きが止まる。距離を取ろうと後ずさる。

「く――ッ」
 身体の中で、大きな力が出口を求めてうねっている。
 その暴発を抑えるだけで精一杯だ。
 まっすぐに、ゴーレムだけを見据えることで、かろうじて指向性を保ち。

「――消えろ!」
 呼気とともに、力が一気に噴出した。
 白い光の奔流が、うねりながらゴーレムを取り巻き捕らえる。光が触れたところから白い煙が立ち上る。

 ガァァァァアアアアアアアアアアアアア

 ゴーレムの断末魔が響き――

「………………」
 不意に静寂が、降りた。

「――」
 かくりと睦月の膝が抜ける。
「ハギワラ!」
「う、平気……」
 カウンターに手をついて身体を支え、睦月は手近のスツールに腰を下ろした。
「あはは……なんか身体が動かない」
 まるでフルマラソンを走った後――実際に走った経験はないのだが――のようだ。
「ああ、慣れない力を使ったからか」
 納得したように言って、レイが上着のポケットから小さなびんを取り出した。
「これ飲んどきなよ。少しは回復する筈」
「ありがと……」
 手渡されたびんの蓋を開け、睦月は一気に中身を傾けた。
「――う、まっず……」
 生薬特有の匂いを甘みで無理矢理に誤魔化そうとしているような、なんとも言えない味に、睦月が顔をしかめた。呑み込んだ後から匂いが広がる辺り、なんともたちが悪い。
「なるほど、味に改善の余地ありか」
「ちょ、実験台にしてない?」
「してる。回復の度合いもレポートして」
「……」
 じとりと睨め上げる睦月にも素知らぬ顔で、レイは奥の扉へと向かった。
「――お待たせ。終わったよ」
「……良かった、無事だったのね」
 戸口を潜ってマスターが顔を出す。こちら側に出てくると、扉を閉めて溜息を吐いた。
「リョースケ達は?」
「あっちにいる――ま、今は落ち着いてるし大丈夫でしょ」
「ハギワラならどっちの言語でも平気だよ」
 精界語で話し始め、途中で何かに気付いたように日本語に戻したマスターの様子を眺め、レイが告げる。右の眉を軽く上げて、マスターは了解の意を示した。
「しっかし――、今回はさすがに死ぬかと思ったな」
 次に出てきたのは精界語だ。後ろの扉から亮介達が出てくる可能性を考えたのだろう。
「だから、早く逃げろって言ったじゃないか」
「ユイが動かなかったんだから仕方ねえだろ。あと、何が普通の大学生だ」
 ぼやくように言った彼の視線の先で、睦月が苦笑する。
「てかあんた、まだ光ってるぞ」
「え」
 指摘を受けて、睦月は慌てて自分の身体を見下ろす。が、自分では今ひとつ発光具合が分からない。
「……光ってる?」
「ばっちり光ってるね」
「ちょ……言ってよ! てかどうやったら消えんのさ」
「いいじゃん。夜でも灯り要らずで。見つけやすいし最高」
「そうじゃない!」
 わたわたと慌て出す睦月に構わず、レイはどこからともなく携帯電話を取り出した。
「――僕だけど。ん、こっちも終わったよ。うん、全員無事。……ん、わかった」
 どうやら業務連絡らしい。二言三言交わして電話を切ると、レイは二人を振り返った。
「あっちも終わったらしいよ。ハギワラは僕と本部に。ハヤチは解析を続けてくれる? あと、後で駐在員をよこすから、それまであの子達は外に出さないでね」
 そう言いながら、レイが司令部につながる扉を開く。睦月も慌てて立ち上がる。あのまずい薬の効果が出たのだろうか、少しふらつきながらも問題なく立ち上がり、小走りにレイの後に続いた。
「じゃ、後でまた来る」
「はいよ、ボス」
 頷くマスターにひらりと手を振って、レイは扉を潜った。
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