第7章 胤②

文字数 2,595文字

「バルド!」
 去ろうとする相手をどうにか引き留めようと声を上げる友香の見守る前で、睦月の身体を覆っていた白光は唐突にスッと収束した。
 同時に、意識を失ったらしい睦月の体が、おもむろに膝からくずおれる。
「うわ!」
 勢いよく倒れ込む睦月の身体を支えようと、慌てて直人が走り寄る。屋根に激突する直前にその身体を受け止めると、彼はホッと息を吐いた。
「ありがと、直人」
「いや、まあ……」
 身動きのとれなかった友香の謝辞に曖昧に頷いて、直人は睦月の腕を肩に回し、担ぎ上げた。
「それよりも、友香さん……バルドって」
 形容しがたい複雑な表情を浮かべた部下の予想通りの問いに、友香は微苦笑を浮かべて首を傾げた。
「今見た通りよ……って」
 言葉を探して斜め方向にめぐらせた視線の先でゲートが開くのを確認し、友香は口を閉ざす。
「――指揮官」
 闇に同化するような黒い服を着た彼らの上官は、目の前の光景に対して訝しげに眉を顰めながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「何があった?」
 友香の抱えたリンと、直人が背負った睦月に視線を送り、アレクは静かに訊ねる。
「あの……」
「ああ、ちょっと待て。北条、睦月を部屋に戻してこい」
 話し出そうとした友香を止め、直人にそう指示を出してから、アレクは再び彼女に向き直った。

「――――と、いうわけです」
「……わかった」
 友香から一連の事情を聞くと、アレクは静かに頷き、部下達を見渡した。
「おまえ達も色々と訊きたいことがあるだろう。その件については後日改めて説明する。それでいいな?」
 明らかに直人と京平に向けたその言葉に、二人は黙って頷いた。
「さすがに今日はもうないと思うが、彼のガードを続けてもらえるか?
 疲れが酷いようなら、交代しても構わないが」
「いえ、大丈夫です」
 労るようなアレクの言葉に首を振って、直人は言った。頭の中は疑問符で飽和しているが、疲労はさほどではない。
 その答えに頷き、アレクは友香を振り返る。彼女は、抱き上げたリンを心配そうな面もちで眺めていた。

 少女の意識は戻る様子もなく、その顔色は未だ、紙のように白い。
 バルドはああ言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。

「指揮官。この子は?」
「とりあえず、監察に送るしかないだろうな。あっちで医者に診せればいいだろう」
 その口から出た単語に、友香の眉がわずかに寄せられる。
「……監察に?」
「妥当な手順だろう。不満か?」
「そういうわけではないけど……」
 監察部は、罪を犯した精界人を裁き勾留する司法機関だ。だから、少女を送致するのは確かに妥当な手順である。だが――
 言葉を濁した彼女の不安に気付いたのだろう、アレクの目元がかすかに和らぐ。
「安心しろ。アレンかセイヤーズ達に直接担当させる」
「……ええ」
 頷くと、友香はリンを抱えたまま立ち上がった。
 それを横目で一瞥しながら、やや険しい表情でアレクは直人と京平に告げる。
「報告のあった別件の方だがな。確かにかなりきつい反動が計測されていた。詳細はまだ不明だが、一応情報部が調査に出ている。おまえ達も気をつけろよ」
「はい」
 頷いた直人と京平に頷き返し、さっと一度にふたつのゲートを開くと、アレクは友香に歩み寄った。
「俺が監察に連れていく。おまえは戻って、医療長に往診を頼んでくれ」

 部下達に聞こえぬよう声を潜めたその言葉に、友香は弾かれたように顔を上げた。
 気遣う色を滲ませた漆黒の瞳が彼女を見おろしている。

「――直接送るだけじゃ、心配なんだろ?」
 一層声を落として、気遣う声。

 普段通りの手順なら、ゲートを通して直接少女だけを送ってしまえばいい。けれど、深く傷ついたこの少女を――たった一人で見知らぬ場所に送り出すのはあまりにも不憫だ。
 だが同時に、監察部は友香にとって鬼門ともいえる場所だ。
 これまではできるだけ近づかないようにしてきた場所に行くことに、不安がないわけではない――いや、はっきりと不安がある。
 アレクはそんな友香の葛藤に気づいて、心配してくれているのだとわかる。

 任せてしまおうか、と心のどこかでそう思った。
 彼の優しさに甘えてしまえばいいと囁く心の声に、友香は意志を振り絞り、ゆっくりと首を振った。

「…………私が連れて行きます。あなたは医療長を呼んできて?」
「……友香」
 ゆっくりと寄せられた眉の下で、アレクの目が、心配を語っている。
「ありがとう。……でも、大丈夫だと思う、多分」
 アレクの視線を正面から受け、友香は微笑んだ。

 笑顔が強張っているのは、自分でもわかっている。
 だが、いつまでも逃げてばかりはいられないとは、以前から思っていた。

 ぎこちなくても笑えるなら、何とかなる。きっと。

「――本当に、平気なんだな?」
 やがてゆっくりと、確認する口調でアレクは言った。
「うん。いい機会よ」
 ぎこちない笑みを浮かべたまま、友香は頷く。
 アレクはほんの一瞬何かを言いかけ、しかし結局何も言わずに、彼女の頭をぽんと叩いて長い溜息を吐いた。
「…………無理はするなよ。俺もすぐに行く」
 そう言うと、彼は一度友香の手からリンを取り上げ、彼女の背中に背負わせた。
「うん。ありがとう」
 背中の少女が落ちないように軽く前屈みになると、友香は一度きつく目を瞑った。
 二、三度、同じことを繰り返し、ふう、と息を吐くと、普段の表情に戻って部下達を振り返る。
「――それじゃ、後は頼むわね。何かあったら連絡して」
 部下達にそういい残し、友香はアレクが開いたゲートの一方に姿を消した。
 続いて、アレクもまたもう一方のゲートを潜る。

「……何か、大事になってきたんちゃう?」
 残像を残しながらふたつのゲートが消えて、数秒。
 視線はそのままに、直人がぽつりと呟いた。
「そうだな」
「……何で、おまえまで平然としとんねん」
「これでもかなり驚いてるつもりだが」
 持ち場に戻るべく踵を返しながら、二人は顔を見合わせ溜息を吐いた。


 その光景を、遙か遠くから眺めている男がいた。
 若者向けのカジュアルブランドで統一したファッションに、薄い色眼鏡。
 紫月である。
「あぁ、結局捕まっちゃったか」
 手にした双眼鏡を弄びながら、紫月は呟いた。
 その口元には、やはり皮相な笑みが浮かんでいる。
「困ったお嬢さんだね。さて、どうしようか?」
 飄々とした口調で迷いを口にすると、彼はくすりと笑いながら闇の中に融けた。
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