第18章 相談

文字数 3,339文字

 週末の居酒屋は、学生や会社員、様々な人々で賑わっていた。
「――よう」
 四人掛けの椅子席に腰を下ろし、ちびちびと烏龍茶を啜っていた亜里砂は、その声に顔を上げた。
「影。どうしたんです?」
 彼女の向かいで実樹も首を傾げた。
 現れたのは、茶色く染めたメッシュ以外、アレクと寸分違わぬ姿の青年だった。
 
 通称、影。
 その名の通り、最高指揮官アレクの影から生まれた彼の分身だとされる。
 アレクと同等の力を持ち、万一の際にはその名代のみならず影武者としての役割も果たす存在だ。

「ほら、あれだ。監察の一件知ってんだろ」
 空いた座席に腰を下ろして影が言った。
「ああ、今朝大騒ぎしてましたよね」
「あれな、この件絡みなんだよ」
「へえ……って、ええ?」
 軟骨揚げをつまみながら頷きかけた実樹が、弾かれたように影を見上げた。
「危ないじゃないですか! セイヤーズが負傷したんでしょ? あの頑丈な人がやられるなんてよっぽどですよ!」
「だから俺が来たんだろ」
 そう言うと、影は通りがかった店員に中ジョッキを注文する。
「勤務中ですよ」
「たかがビールくらいで酔わねえよ」
 向かいから注意した亜里砂にヒラヒラと手を振って、影は笑う。
「で、奴はどこだ?」
「そっちの座敷です」
 今度はげそ揚げをつまみながら、実樹が右手の座敷席を指さした。
 学生の集団が盛り上がっているのが見える。その中に、萩原睦月の姿もあった。
「期末明けの飲み会ってとこか――てか夏野、揚げ物しか食ってねえな」
「ほっといてください」
「太るぞ」
 呟いて、影は運ばれてきたビールに口を付ける。

 アレクと同じ姿をしていても、その言動はかなり異なる。
 本人いわく、区別を付けるためにわざとしているのだというが、本当のところはただ単に性格が違うだけだと実樹は思う。
 彼女たちのような一般の士官にとって、最高指揮官アレク・ランブルは雲の上の存在だが、同じ姿をしているはずの影は、上官であることを忘れるほど馴染みやすい。

 そのまま、しばらくは何事もなく時間が過ぎた。

「あれ、立ちましたね」
 サラダに手を伸ばしていた手を止め、亜里砂が言った。
「手洗いじゃねえのか」
「でも、こっちに来ます」
「ああ?」
 三杯目のジョッキを片手に、そちらを振り返った影が微かに眉を顰めた。
「……こっちに来てるな」
「だから言ってるじゃないですか」
 小声で言い合っている間にも、睦月はテーブル席の間を抜けて彼らの座席に近づいてくる。

 そして。

「……あの」
 彼らの座席の脇で足を止めた睦月は、微かに逡巡する様子を見せた後、意を決したように口を開いた。

 *

 その、少し前。
「あ」
 思わず、小さな声が漏れた。ふと目をやった先に、見覚えのある人物の姿を見つけたのだ。
「萩原? どうかしたか?」
「ん? いや――何でもない」
 岬の声にそう答えるも、視線はついつい、そちらの方に向いてしまう。本当に、相手が自分の知っている人物かを確認したい気持ちが募る。
「あー、あそこの席、いつの間にか男が来てるじゃん」
 トイレから帰ってきた成瀬が言った。その視線が向いているのは、まさに睦月が気にしていたテーブルの方だ。
「かわいい子がいるなーと思ってたのになー」
「成瀬、まだ彼女募集してんの?」
「うっさいわ。彼女もちの奴に俺の気持ちは分かんねーよ」
 程よく酔いが回り始めた友人たちのやり取りを聞きながら、睦月はちらちらとそのテーブルの方を伺う。
 20代と思しき男女3人の座席だ。
 二人の女性に見覚えはない。気になるのは、後から来た外国人風の男性だ。その顔には見覚えがある。
 ――アレク……だよね?
 ひと月前に倒れた時の「夢」の記憶と照合しながら、睦月は相手の様子を確かめる。だが、姿かたちは間違いなくアレクのように見えるのに、纏う雰囲気は違う。
 ――どうしよう、確かめに行こうか?
 しかし友人たちに何と言って席を立てばいいのか。
「萩原? なんかさっきからそわそわしてるけど」
 悩んでいた睦月は、岬の声で現実に引き戻された。
「どうかしたか?」
「いや、あそこの人なんだけど――、知り合いに似ててさ。本人かなと思って」
「どれ?」
「さっき成瀬がかわいい子がいるって言ってた席」
「え、待って萩原、知り合い?」
 唐突に身を乗り出してくる成瀬に苦笑しながら、睦月は首を振る。
「男の方だけどね」
「……なんだそっちか」
「んー。なんか本人っぽい。ちょっと挨拶してくるね」
 そう言って、睦月は席を立つ。
「え、じゃあ俺も――」
「おまえはここにいとけ」
 立ち上がりかけた成瀬の腕を、岬が引いた。
「何でだよー。俺も女の子としゃべりたいよー」
「だから男の方だって」
 苦笑しながら、睦月は席を離れて相手のテーブルへと向かう。それに気づいた先方に、少し戸惑うような気配が生まれる。
 ――どうか、人違いじゃありませんように
 そう祈りながら、睦月は口を開いた。

 *

 結果から言えば、人違いだった――が、あながち大外れでもなかった。
「――で? 相談ってのは?」
 夜の公園でコーヒーの缶を手元で投げ上げながら、影が訊ねた。さっき声をかけた時も思ったが、流暢な日本語だ。
「あの、この間の事なんだけど――」
 言いながら、ふと、どこまで話していいのかという疑問が睦月の頭をよぎる。
 目の前にいる人物は、アレクに似ているが、別人だ。あの時には会っていないはずだから、もしかしたら知らないこともあるかもしれない。
「この間って、おまえが精界(ウチ)に迷い込んだ時か? それとも10日前の件か?」
 さらりと問われ、却ってきょとんとした睦月に、影がからりと笑う。
「だから、俺はアレクの補佐だっつったろ。情報共有くらいしてるって」
「ああ、うん……」
「で?」
「あのさ、この間も夜に何かあったよね?」
「ああ。覚えてるのか?」
「うん。あれで全部思い出した」
 言葉を切って、睦月は首を傾げる。何から順に話したらいいだろうか。
「――もしかして、僕って狙われてたりする?」
「おお、するする。何しろバルドだからなー」
 まるで天気の話でもするように、軽いノリで影が頷いた。
「さっき俺といた2人組ともうひと組とが、交代でおまえの警護をしてる。それで?」
「あのさ……、僕も訓練したら力って使えるのかな」
 睦月の言葉に、影が眉を上げる。
「そうだなー。おまえはバルドの魂を持ってるし、そこそこできるんじゃないか?」
「だったら――僕に身を守る方法を教えてもらえないかな」

 それは、記憶を取り戻してからの10日余り、睦月がずっと考えていたことだった。

 倒れていた間の出来事を思い出した朝、睦月の中で色々な情報が一気に収束した。
 前夜、中山友香の足元にいた白金の髪の少女が、その日の昼間に岬とともに追いかけ――忽然と消えた少女と同一人物であること。そして彼女との初対面はひと月前、セルノの廟に赴いた時だったということ。
 思い出してしまえば、その状況について考えを巡らすことは難しくない――狙われているのだ。おそらくは――バルド(自分)が。
 友香たちがいたのも、その足元にリンという少女が横たわっていたのも、何かしら交戦があったからだと容易に想像がついた。もしかしたらこれまでも――いや今でさえ、自分の知らないところで交戦しているのかもしれない。
 そう思ったら、いてもたってもいられなくなった。
 自分のあずかり知らぬところで守られて、知らないうちに巻き込まれて。そんなのは嫌だと――どうせ巻き込まれるなら、自分の意志で巻き込まれると、あの日決めた。
 だから。

「ふうん……なるほど?」
 睦月の言葉に、影は軽く首を傾げた。
「おまえさ、しばらくこっち泊まりに来れそう?」
「へ? あ、うん。試験終わったから大丈夫だと思うけど」
 ここからしばらくは大学も夏休みだ。今のところ、旅行の予定もバイトの予定も入れていないから、何とでもなるだろう。
「OK。ちなみにとりあえず明日、1日だけこっち来れるか?」
「それも大丈夫」
「んじゃ決まり。明日の朝10時に、おまえんとこの最寄り駅で待ち合わせな。
 ――よし、そうと決まったら、さっさと帰るぞ。明日は顔合わせするから、今日は休んどけよー」
 手早く予定を決めると、影は睦月を促して駅の方へと歩き出した。
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