第1章 任務②

文字数 3,685文字

「直人、京平。それから亜里紗と実紀も。ちょっといい?」
 長官の声に、帰り支度を始めていた4人は手を止めた。

 公安部。
 精界の治安維持機関――その当主一族の名を取って通称「ランブル」と呼ばれる――の中でも、人界に関わる事件を扱う部署である。

「何です?」
 小松亜里紗が訊ねると、公安部長官こと中山友香は右手を挙げて彼らを手招きをした。
「ちょっと、頼みたいことがあるの。今、抱えてる事件無いわよね?」
「ちょうど空いたところやけど。何です?」
 重ねて訊ねた北条直人にうん、と頷いて、友香は手元の書類を捲った。
「ちょっと特殊な案件をお願いしたいんだけど」
 そう言って友香は一葉の写真を机の上に置く。
「しばらく交代でこの人を見張っててほしいの」
 写っているのは、20代前半と思しき青年だ。服装からいって、おそらく大学生だろう。
「――誰です?」
「萩原睦月。二十歳、Y市にあるM大の学生よ。住所その他は、こっちに書いてあるわ」
 とそれぞれに手書きのメモと写真を渡して、友香は続ける。
「ただ見張っててくれればいいの。もし何か異変があったら、すぐに私に報せて」
「人界人ですよね、多分。この人がどうかしたんですか?」
 亜里紗の問いに、友香は「あー……」と髪を掻き上げた。しばし言葉を探すように視線を彷徨わせる。
「……ごめん、今は何も訊かないで。時機が来たら必ず話すから」
 思案の末、申し訳なさそうに友香は言った。
 何やら特殊な事情があることを察して、部下達がそっと視線をかわす。

 本来、公安部の仕事は人界で起きる精界人がらみの事件の捜査である。
 実は精界と人界の境界は比較的薄い。そのため、境界に開いた「穴」さえ見つけてしまえば、世界間を移動すること自体はさほど難しくない。しかし精界人の人界での活動は基本的に制限されている。それは、不用意に別の世界の力を使うことが、世界間のバランスを不安定なものにしてしまうからだ。
 精界人には、人界では「魔法」とか「超能力」と呼ばれるような特殊能力を使える者が多い。そうは言っても大したことはできないのだが、それでも悪用しようと思えばいくらでもできる。まして、そうした力をもつ者がほとんどいない人界では、事件そのものが気のせいや事故、怪談の類として処理され、明るみに出ないことすらある。
 そうした「怪しい」事件を探り、犯人を確保するのが友香たちの仕事である。だから、単なる人界人――実はそうではないのだが――の護衛は、本来の職務から外れた業務ということになる。
 その点を追及されたときに何と言って誤魔化すか、友香は素知らぬ顔をしながら、頭の中で素早く説明を組み立てる。

 だがありがたいことに、彼女の危惧は良い方に裏切られた。
「それで――しばらくというのは?」
 何事もない調子で尋ねたのは、直人のパートナーである大徳寺京平だった。
「そうね……とりあえずは2週間ほど。しばらく様子を見て、何もなければ、また考えるわ」
 内心ホッとしながら彼の問いにそう答えると、友香は部下達を見渡した。
「それから、悪いんだけど、この件のことは口外しないでくれる?」
 いつになく真剣な表情の上官に、彼らは疑義を差し挟むことができなかった。


「……なあ、ナオ」
 友香からの奇妙な依頼を受け、自室に戻ったところで、不意に京平が口を開いた。
「何や?」
「……さっきのターゲット、見覚えがある」
「はぁ?」
 相棒の思わぬ一言に、直人は水でも飲もうとキッチンに向かい掛けていた足を止め、振り向いた。
「どこで?」
 仕事で人界に赴いたときにでも見かけたのだろうか。
 しかし、返ってきた答えは予想外のものだった。
「ひと月程前、司令部の前で指揮官と一緒にいるところを見た」
 ほんの一瞬、その言葉の意味を掴みかねて、直人は首を傾げた姿勢のまま硬直した。
「……マジで?」
 相棒の問いに、京平が頷く。
「似てるだけなんとちゃうん?」
「俺が見間違えると思うか?」
「思わん」
 即答して、直人は眉を顰めた。
 一度目にしたものは決して忘れない特殊な記憶力を持つ相棒の言うことだ、間違いはないのだろう。

 だが。

「ホンマにこの人やった?」
 念のためとばかりに先程手渡された写真を取り出すと、京平は無言で頷いた。
「何やそれ? ……どういうことや?」
「わからん」
 困惑する直人にあっさりと首を振り、京平は相棒を眺める。
「どう思う、ナオ」

 どう思うかと訊かれても、判るはずがない。
 わざわざ班長クラスの自分たちや、古参の亜里砂たちが指名されたこと。
 そして何より、指令を伝える友香の様子から、この案件が特殊な事例であることは容易に推測できた。
 しかし、さらに相棒がもたらした情報は、事態が直人の予想していた以上に特殊な状況にあることを指し示している。
 ――とはいえ、それが何を意味するのかは想像の埒外だ。

「わかるか、そんなこと」
 混乱する直人を余所に、とんでもない疑問を提起した相棒の方はさほど困惑した様子もない。
 その感情表現の乏しさが彼らしいと思う以前に、その落ち着きが少し憎らしくもある。
「友香さんに訊いてみて……も、ダメやろな」
 普段ならば情報を隠すようなことはしない上官が、あれだけ歯切れ悪く状況説明を拒んだのだ。
 彼女の一存ではどうしようもない事態なのだと考えるべきなのだろう。
 それはすなわち、彼女より上からの指令であることを意味する。
「だったら指揮官はもっとあかんよな」
 頷いて、京平は溜息を吐いた。
「そうだな。あの人が俺達に情報を漏らす筈がない」
 雑談を装って鎌を掛けたところで、あの指揮官のことだ、僅かの動揺すらなくさらりとかわすに違いない。
「手詰まりか……」
 無理に調べなくとも、いつかは分かることかもしれない。
 しかし、気になることを放置しているのも居心地が悪い。
「……アルフ達はどうだ?」
 相棒の台詞に、尚人は隣室の二人組の顔を思い浮かべた。

 アルフレッド・シモンズとエドワード・マクラウド。
 二人は公安部の副官を務めている。
 上から何か極秘情報が伝わっているとすれば、彼らの所だろう。
「あいつらのとこになら何か情報があるかもしれへん。行ってみるか」
 訊いたところで、望む情報を得られるとも限らない。
 しかしそもそもが駄目もとの行動だ。
 訓練生時代から同期の二人ならば、向こうが何かを知っていた場合に、交渉の余地がある。
 言うが早いか、直人は隣室に向かうと、ノックするより先に扉を押し開いた。

「……何だよいきなり。ノックくらいしろっての」
 前触れのない闖入者たちに、眉を顰めてアルフレッドは言った。
 ドアを開けてすぐのリビングで相棒と二人、酒杯を傾けつつ一日の疲れを癒していたところだったのだが、突然押し入ってきた隣人達はそんなことにはお構いなしでずかずかと室内を横切り、ダイニングテーブルをばん、と叩いた。
「上から何か、情報入ってへん?」
「…………はあぁ?」
 声が重なる。

 この隣人、北条直人の突飛な行動はいつものことだ。
 しかし、今日はいつにも増して意味が分からない。

「……何なんだよ、京平」
 溜息混じりに肩を竦め、アルフは京平に尋ねた。
 その方が直人に問い返すよりも、幾分効率が良いからだ。
「最近、上からおりてきている情報はないか?」
 だが、京平もまた、同じことを口にするだけだった。
「――何でそんなことが知りたい?」
 横からやや険のある声音でエドワードが訊ね返す。
 京平はちらりと直人に視線を送った。
 軽く眉尻をあげて返す直人に頷いてから、口を開く。
「詳しいことは話せないが、少し気になることがある。何かないか?」
 その言葉に、小さく溜息を吐いて、エドワードが首を横に振った。
「ない」
「例えあったとしても、上から口止めされてるなら言うわけにはいかねえよ。その位、分かんだろ」
 相棒の語尾を継いだアルフの言葉に、直人がすっと眼を細める。
「……その言い方。何か、あるんやな?」
 直人にしてはゆっくりとした、確認するような語調。
「ばーか。もしも、の話だっつってんだ」
 それに微塵も動じず、アルフは肩を竦めた。
「そっちこそ、何で上を探ってんだよ」
「別に、上を探ってるわけやない。ただ、ちょっと――」
「――ナオ」
 タイミング良く入った相棒の声に、直人は危うく滑り駆けた口を閉ざす。
 代わって、京平がエドワードに視線を向けた。
「悪いが、理由は話せない」
「何も言わずに、こっちにだけ情報提供しろって? それはちょっと都合が良すぎないか?」
「それは承知の上だ。だが、こちらにも事情がある」
「……俺達にも立場ってものがあるんでね」
 エドワードの言葉に、京平は無表情のままゆっくりと頷いた。
「……そうだな。すまない」
 そう言って、京平は相棒に視線を戻した。
「ナオ、戻るぞ」
「……しゃーない。邪魔して悪かったな」
 あっさりと頷いて、2人は踵を返す。
 その爪先が部屋を出る直前、エドワードの呟きが背中に届いた。
「――ひと月ほど前に噂があったな」
「……感謝する」
 振り返ることなく小さく返して、2人はぱたりと扉を閉めた。
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