第12章 言付け②
文字数 3,142文字
「……」
アレクは目を眇め、少女を見下ろす。
声だけでなく、身体もよく見れば微かに震えている。だが当の少女自身がそれに気づいていないようだ。
一体、何がそれほどまでに彼女を追いつめ、捨て身にさせるのか。
それほど、闇の者は厳しく統率されているのだろうか。
溜息をつきたいのを堪え、アレクは敢えて表情を消す。そうして姿勢を正し、胸を張って努めて冷たい声を出した。
「――何故、死を望む? 任務に失敗したからか? それともバルドの言葉がショックだったか?」
真意を探ろうとしたアレクの言葉に、リンはきっと眦を決して彼を見上げた。
「何故だと?
――おまえ達が私の死を望んでいるからだ! 違うか!?」
光の者は闇の者の死を、その滅亡を望んでいるのだと、リンは主からそう聞かされた。
だから光の者には決して気を許してはいけない、と。
リンの両親は既に亡い。
その死に立ち会うことは出来なかったが、光の者に――その首領に殺されたのだと聞いている。
そう教えてくれたのは、今の主だ。主は両親を喪った幼い自分を手元に置き、育ててくれた。自分はその恩に報いねばならない。
両親を殺したのは光の者だ。今目の前にいる男こそ、それを命じた敵の首領だ。
ならば――、男に一矢でも報いることができるなら、死など恐れるものか。
怒りを込めた挑むような台詞に、アレクは表情を変えぬまま、切っ先を微かに上げた。
仄かに青く光る、鋭く研ぎ澄まされた刃先がほんの一瞬リンの顎に触れる。
「――死にたいか?」
感情を窺わせない怜悧な声でアレクは訊ねた。
「…………死など怖くはない」
アレクに問われた、そのほんの一瞬。
脳裏に浮かんだいくつかの面影を振り払い、リンはきっと顎を上げた。
「さあ殺せ!」と嘲笑を浮かべて挑み掛かったその声音は、しかし、やはり微かに震えていた。
震えるその声が石壁に反響し、さらに震えながら消える。
互いに視線を外さぬまま、耳鳴りのしそうな、飽和寸前の緊張を含んだ静寂が充ちていく。
やがて。
リンに向けた視線をわずかも動かさぬまま、アレクがおもむろに剣を振り上げた。
その時が来たのだ。
スッと鋭く息を吸って、リンは奥歯を噛み締め、目を閉じた。
「…………」
だが、予期していた痛みや衝撃は、いつまでたっても訪れなかった。
「……?」
訝しげにゆっくりと目を開いたリンの視界に人の顔がある。
「――驚いたか?」
彼女の正面にしゃがみ込み、膝に頬杖を付いた姿勢で彼女を眺めていたアレクがにや、と笑う。
剣はいずこへともなく姿を消していた。
出口脇の壁に凭れた友香が、「悪趣味よ、指揮官」と呆れた声を掛ける。
部下のそんな言葉に軽く苦笑して、アレクは口を開いた。
「殺してたまるか。何のためにあの光から護ったと思ってる?」
「殺すためでないなら――私から情報を聞き出す気か? 無駄だ、私は決して同胞を売り渡したりしない」
「だろうな」
小さく快活に笑い、アレクは立ち上がった。
「血を流すのは好きじゃないんだ。それにあんたには、バルドの伝言を持ち帰ってもらわないといけないからな」
「…………私を逃がすと? 正気か?」
疑い深げな表情で、リンはアレクを睨め付ける。
本気で言っているのであれば、それ程信じがたい事はない。
必ず、そこには何かの裏があるはずだ。
理由を探すリンの視線をさらりと受け流し、アレクは肩を竦めた。
「無駄な労力は極力惜しむ主義でね」
「――――ふん」
つまらなそうに鼻を鳴らし、リンはアレクを警戒しながらゆっくりと立ち上がった。
気を抜いた瞬間に背後から刺されるのかもしれないと思う反面、目の前の二人は既にリラックスした風情すら漂わせている。
理解しがたいが、本当に自分を逃がすつもりなのだろうか?
先程のバルドの言葉を伝えさせる、ただそれだけのために?
敵に情けをかけられ、みすみす借りを作ることの屈辱以上に、相手の真意が解らぬことへの警戒が勝る。
「あのような戯言、我々が真に受けると思うのか?」
「さあな、それはそっち次第だろ。ただ、戦いにならずに済むなら、その方が良いのはお互い様さ」
苦笑混じりに答えたアレクの言葉に、リンは大きく頭を振った。
『戦わねば勝利はない』
リンにこの任務を預けた人物の言葉が脳裏に響く。
「戦わねば、何も変わらない。我々はおまえ達の支配を認めない」
決して折れない矢のような視線を受け止め、アレクは眉を顰めた。
「俺達はあんた達を支配などしていない。だから戦ったって変わるものなんか何もないぞ」
「それは方便だ。おまえ達はこのまま我々を蔑み、支配し続けたいだけだろう?」
「――――違う」
小さく溜息を吐き、アレクは首を振った。
「俺達はあんたらを支配するつもりもないし、ましてや蔑んでなどいない」
リンはふ、と嗤った。
「それこそ詭弁だろう。闇の者、というだけで犯罪者扱いするのはどこの誰だ?
おまえたちは決して自分の足元なんて省みようともしない。下にいる人間を踏みつけていることにすら気付かずに下の者達を哀れんで、偽善者面を晒しているだけだ」
「違う、それは――」
言いかけた言葉を途中で区切り、アレクは再び溜息を吐いた。
リンの言わんとする事も理解できる。だからこそ、自然、言葉選びは慎重にならざるを得ない。
「光の者の中に選民意識の強い連中がいるのは事実だ。
だが、そんな連中ばかりじゃないことも解ってくれないか? 差別意識の強い連中は、俺達が必ず改めさせる」
一度言葉を切り、語調を弛めてアレクは静かに話しかけた。
「戦いともなれば、お互いに傷つく。殺し合いにでもなれば、より一層憎み合うことになるだけだ。
――それでも戦うというのか?」
「戦わねば何も変わらぬと言っているだろう。
おまえ達はただ、自分の仲間が傷つくのが嫌なだけだ。私たちが死んだ所で何も思わない癖に、そんなのただの詭弁ではないか」
「そんなことない。目の前で人が死んで何も思わないなんて、そんな筈ないでしょう?」
堪えきれず友香が割って入る。
それが詭弁だというのに、とリンは侮蔑の籠もった視線を送った。
迫害を進めている癖に、あたかもそれが本意ではないような振りをするとは、何と白々しいことか。
「口では何とでも言える」
そう言い捨て、リンは挑むようにアレクと友香を睨み付る。
言い返そうと口を開いた友香を目で制し、アレクはゆっくりと口を開いた。
「――確かに俺は、俺の部下の誰一人だって失いたくない。
だがな、仲間が傷つくのが辛くない者がいるか?
自分の親しい者が傷つくのを見たくはないのは、光も闇も同じだろう?」
静かな口調に、一瞬リンが言葉に詰まる。
それに、とアレクは静かに続けた。
「俺は、あんた達にも死んで欲しくはない――今すぐ理解してくれとは言わないがな。
出来るならあんたの主に伝えてくれ。戦わずにすむ道を協議する気はないか、とな」
「戯言を……」
とリンはアレクを睨んだ。
受け流すアレクの静かな視線に、もしかしたら本気なのかもしれない――という思いが、ほんの一瞬脳裏をよぎる。
それを打ち消して、リンはふん、と呟いた。
「……まあ、いいさ。今日の所は退いてやる」
つまらなそうにそう呟いて、リンは数歩後ずさる。
「それから――さっき言っていた、あんたの両親の件も必ず調査しておくからな」
「……」
うっかり、その言葉を信じそうになった自分をリンは戒める。
甘い言葉になど――決して惑わされるものか。
アレクをもう一度睨み付け、無言のまま、ふ、とリンの姿が掻き消える。
「――――俺達も帰るぞ。睦月の消息を確かめて、今後の対策を練る」
「了解」
疲れたように首を鳴らしながら振り返ったアレクに、友香は頷いた。
アレクは目を眇め、少女を見下ろす。
声だけでなく、身体もよく見れば微かに震えている。だが当の少女自身がそれに気づいていないようだ。
一体、何がそれほどまでに彼女を追いつめ、捨て身にさせるのか。
それほど、闇の者は厳しく統率されているのだろうか。
溜息をつきたいのを堪え、アレクは敢えて表情を消す。そうして姿勢を正し、胸を張って努めて冷たい声を出した。
「――何故、死を望む? 任務に失敗したからか? それともバルドの言葉がショックだったか?」
真意を探ろうとしたアレクの言葉に、リンはきっと眦を決して彼を見上げた。
「何故だと?
――おまえ達が私の死を望んでいるからだ! 違うか!?」
光の者は闇の者の死を、その滅亡を望んでいるのだと、リンは主からそう聞かされた。
だから光の者には決して気を許してはいけない、と。
リンの両親は既に亡い。
その死に立ち会うことは出来なかったが、光の者に――その首領に殺されたのだと聞いている。
そう教えてくれたのは、今の主だ。主は両親を喪った幼い自分を手元に置き、育ててくれた。自分はその恩に報いねばならない。
両親を殺したのは光の者だ。今目の前にいる男こそ、それを命じた敵の首領だ。
ならば――、男に一矢でも報いることができるなら、死など恐れるものか。
怒りを込めた挑むような台詞に、アレクは表情を変えぬまま、切っ先を微かに上げた。
仄かに青く光る、鋭く研ぎ澄まされた刃先がほんの一瞬リンの顎に触れる。
「――死にたいか?」
感情を窺わせない怜悧な声でアレクは訊ねた。
「…………死など怖くはない」
アレクに問われた、そのほんの一瞬。
脳裏に浮かんだいくつかの面影を振り払い、リンはきっと顎を上げた。
「さあ殺せ!」と嘲笑を浮かべて挑み掛かったその声音は、しかし、やはり微かに震えていた。
震えるその声が石壁に反響し、さらに震えながら消える。
互いに視線を外さぬまま、耳鳴りのしそうな、飽和寸前の緊張を含んだ静寂が充ちていく。
やがて。
リンに向けた視線をわずかも動かさぬまま、アレクがおもむろに剣を振り上げた。
その時が来たのだ。
スッと鋭く息を吸って、リンは奥歯を噛み締め、目を閉じた。
「…………」
だが、予期していた痛みや衝撃は、いつまでたっても訪れなかった。
「……?」
訝しげにゆっくりと目を開いたリンの視界に人の顔がある。
「――驚いたか?」
彼女の正面にしゃがみ込み、膝に頬杖を付いた姿勢で彼女を眺めていたアレクがにや、と笑う。
剣はいずこへともなく姿を消していた。
出口脇の壁に凭れた友香が、「悪趣味よ、指揮官」と呆れた声を掛ける。
部下のそんな言葉に軽く苦笑して、アレクは口を開いた。
「殺してたまるか。何のためにあの光から護ったと思ってる?」
「殺すためでないなら――私から情報を聞き出す気か? 無駄だ、私は決して同胞を売り渡したりしない」
「だろうな」
小さく快活に笑い、アレクは立ち上がった。
「血を流すのは好きじゃないんだ。それにあんたには、バルドの伝言を持ち帰ってもらわないといけないからな」
「…………私を逃がすと? 正気か?」
疑い深げな表情で、リンはアレクを睨め付ける。
本気で言っているのであれば、それ程信じがたい事はない。
必ず、そこには何かの裏があるはずだ。
理由を探すリンの視線をさらりと受け流し、アレクは肩を竦めた。
「無駄な労力は極力惜しむ主義でね」
「――――ふん」
つまらなそうに鼻を鳴らし、リンはアレクを警戒しながらゆっくりと立ち上がった。
気を抜いた瞬間に背後から刺されるのかもしれないと思う反面、目の前の二人は既にリラックスした風情すら漂わせている。
理解しがたいが、本当に自分を逃がすつもりなのだろうか?
先程のバルドの言葉を伝えさせる、ただそれだけのために?
敵に情けをかけられ、みすみす借りを作ることの屈辱以上に、相手の真意が解らぬことへの警戒が勝る。
「あのような戯言、我々が真に受けると思うのか?」
「さあな、それはそっち次第だろ。ただ、戦いにならずに済むなら、その方が良いのはお互い様さ」
苦笑混じりに答えたアレクの言葉に、リンは大きく頭を振った。
『戦わねば勝利はない』
リンにこの任務を預けた人物の言葉が脳裏に響く。
「戦わねば、何も変わらない。我々はおまえ達の支配を認めない」
決して折れない矢のような視線を受け止め、アレクは眉を顰めた。
「俺達はあんた達を支配などしていない。だから戦ったって変わるものなんか何もないぞ」
「それは方便だ。おまえ達はこのまま我々を蔑み、支配し続けたいだけだろう?」
「――――違う」
小さく溜息を吐き、アレクは首を振った。
「俺達はあんたらを支配するつもりもないし、ましてや蔑んでなどいない」
リンはふ、と嗤った。
「それこそ詭弁だろう。闇の者、というだけで犯罪者扱いするのはどこの誰だ?
おまえたちは決して自分の足元なんて省みようともしない。下にいる人間を踏みつけていることにすら気付かずに下の者達を哀れんで、偽善者面を晒しているだけだ」
「違う、それは――」
言いかけた言葉を途中で区切り、アレクは再び溜息を吐いた。
リンの言わんとする事も理解できる。だからこそ、自然、言葉選びは慎重にならざるを得ない。
「光の者の中に選民意識の強い連中がいるのは事実だ。
だが、そんな連中ばかりじゃないことも解ってくれないか? 差別意識の強い連中は、俺達が必ず改めさせる」
一度言葉を切り、語調を弛めてアレクは静かに話しかけた。
「戦いともなれば、お互いに傷つく。殺し合いにでもなれば、より一層憎み合うことになるだけだ。
――それでも戦うというのか?」
「戦わねば何も変わらぬと言っているだろう。
おまえ達はただ、自分の仲間が傷つくのが嫌なだけだ。私たちが死んだ所で何も思わない癖に、そんなのただの詭弁ではないか」
「そんなことない。目の前で人が死んで何も思わないなんて、そんな筈ないでしょう?」
堪えきれず友香が割って入る。
それが詭弁だというのに、とリンは侮蔑の籠もった視線を送った。
迫害を進めている癖に、あたかもそれが本意ではないような振りをするとは、何と白々しいことか。
「口では何とでも言える」
そう言い捨て、リンは挑むようにアレクと友香を睨み付る。
言い返そうと口を開いた友香を目で制し、アレクはゆっくりと口を開いた。
「――確かに俺は、俺の部下の誰一人だって失いたくない。
だがな、仲間が傷つくのが辛くない者がいるか?
自分の親しい者が傷つくのを見たくはないのは、光も闇も同じだろう?」
静かな口調に、一瞬リンが言葉に詰まる。
それに、とアレクは静かに続けた。
「俺は、あんた達にも死んで欲しくはない――今すぐ理解してくれとは言わないがな。
出来るならあんたの主に伝えてくれ。戦わずにすむ道を協議する気はないか、とな」
「戯言を……」
とリンはアレクを睨んだ。
受け流すアレクの静かな視線に、もしかしたら本気なのかもしれない――という思いが、ほんの一瞬脳裏をよぎる。
それを打ち消して、リンはふん、と呟いた。
「……まあ、いいさ。今日の所は退いてやる」
つまらなそうにそう呟いて、リンは数歩後ずさる。
「それから――さっき言っていた、あんたの両親の件も必ず調査しておくからな」
「……」
うっかり、その言葉を信じそうになった自分をリンは戒める。
甘い言葉になど――決して惑わされるものか。
アレクをもう一度睨み付け、無言のまま、ふ、とリンの姿が掻き消える。
「――――俺達も帰るぞ。睦月の消息を確かめて、今後の対策を練る」
「了解」
疲れたように首を鳴らしながら振り返ったアレクに、友香は頷いた。